遺言ブログ#13 同じ車両で進む
こんにちは。医学部医学科四年の今田太志改め豊岡太志です。引退してからは大きな試験を二つなんとか通し、旅行に行ったり、同期と飲んだりしています。
いい機会ですし、備忘録として自分の四年間を印象深い出来事とともに振り返ろうと思います。
一年目
東北大学に入学。医学部サッカー部と学友会サッカー部で迷うが、学友会サッカー部に所属していた高校の時の大先輩から山形でサッカーに誘われ、何人かのサッカー部の先輩とサッカーをする。意外と自分でもサッカーをまだまだうまくなりたいという気持ちがあり、いいご縁だと思って学友会サッカー部に入部。
入部後、なかなかAチームに上がれず、焦る思いばかり積もる。やる気はあったと思うが、空回りしていた気がする。Iリーグに最終節出させてもらう。よくわからないまま大敗した記憶だけが残っている。
シーズン中ほとんど試合に出られず、悔しかったが、特に何をすればいいかもわからずとりあえずオフシーズンで体を鍛える。プロテインを飲みまくる。やよい軒でプロテインをビルダー飲みする、もちろん失敗して怒られる。
二年目
コロナで開幕が遅れる。河川敷で同期がサッカーをやっていたので混ぜてもらっていた。開幕からAチームに入りたかった。やる気満々だったが、シーズン前の練習試合で手首にボールが当たって骨折、一か月の離脱。
なんだかんだ試合の開催も遅れ、Aチームに上がれて、Iリーグの二節目くらいには間に合う。初めてスタメンで出させてもらう。ルールを忘れてスローインのリターンを何故かキャッチする、もちろんハンドを取られる。試合は勝った。
次週かその次の週くらいに運よく学生リーグにもベンチ入りできた。試合をベンチで見てると、スタメンのタイガがまぶたを切って出血、今田緊急出場。もちろん緊張した。しかし、ベンチでプロテインをがぶ飲みする包帯を巻いたタイガを発見。切り傷をプロテインで治そうとするタイガの姿を私は一生忘れられないだろう。試合は勝った。このあたりから「緊急出場の今田」と呼ばれる。
その後もIリーグには出させていただいたが、90分強度が続かない体たらく。加えて、後期になるにつれて調子を落とし最終的にはBチームに落ちる。悔しくて悔しくてオフシーズンに体を変えようと本気で思う。
四年目は学校が忙しくて練習に参加できないと思ったので、学生リーグでスタメンを取るには三年目しかないと思い、本気でジムに通いトレーニングする。またもう一度自分のプレーや技術を蹴り方から見直す、考え直す。プロの試合もきちんと見る。
三年目
自分で勝負の年と思っていた。
プレシーズン、スタメン獲得を狙う。練習試合で主力の一人がけがをして、二度目の緊急出場。緊急出場がきっかけでスタメンを狙えそうな立ち位置まで来る。しかし、直前の対外試合にスタメンで出させてもらったとき、ハナクソみたいなプレーを連発してスタメン争いに敗れる。以降はIリーグが主戦場となる。かなり悔しかったし、恥ずかしかった。
もちろん落ち込みはしたが、幸運なことにこの年はすぐにIリーグが始まったので、そっちでできちんといいプレーをして勝とうと切り替えた。この時のIリーグのチームは雰囲気もよく、締まった試合が多かったと思う。
後期に二試合だけ学生リーグで出番をいただいた。しかし、一つは自分の与えたファールによって失点、逆転負け、もう一つは大敗。学生リーグでは自分の能力では通用しないのかと思った。
オフシーズン、自分だけ早く始まる授業、後輩や同期の台頭もあり、来シーズンの学生リーグのスタメンになるのがきつそうだと思う。それもあって、この時期は正直前の年ほどのモチベーションはなかった。
四年目
三月の後半ごろにようやく部活に復帰。Bチームからのスタート。ただこの時期は今までの試合の経験や学びがうまく自分の中で消化できてサッカーは楽しかった。去年より試合で何が起こっているのかが理解できて、それに応じて下手なりに状況に適したプレーをしようとした。同時に去年までは何もわからないでサッカーをやっていたんだなと理解した。今までAチームとかBチームとか、スタメンとかにこだわってきたが、それよりもこの時期はサッカー自体へのこだわりや楽しいという気持ちが強くなっていたと思う。
すると春先、けが人が続出して、自分に学生リーグスタメンのチャンスが回ってきた。三度目の緊急出場。あとは自分にできることを精一杯やった。
後期はほとんど試合には出られず、悔しい思いもあったが、それでも一回一回の練習を楽しんだ
非常に長い自分語り申し訳ないです。四年間過ごしてみて大切だと思ったことがあります。
サッカーの事をよく知るということです。試合中は相手の状況を見て自分で判断して、それに応じたプレーを正確に実行する必要がありますが、自分はそれができていなかったからあまり活躍できなかったと思います。相手がこういう時は大体こういうことしたほうがいいよね、というプレーの文脈、流れのようなものが備わっていなかったと思いますし、それを意識して練習もしてこなかったので練習が試合で実を結ばない=プレーの質が上がらない感じだったのかなと思います。試合中にやることがあれをしろ、これをしろとはっきり決められるとそこそこできるけど、普通に試合に出て相手の状況に応じて妥当なプレーをやってチームとして前進する、守備をするというようなことができないのが私だったと思います。これではやはり活躍はできない、というよりそれ以前にそういった姿勢だとサッカーがあんまり楽しくないのかなと思います。私なりにそういった状態を脱却したくて、自分の無知を自覚し、少しでも自分で判断できるように、うまい人のプレーと自分のプレーとが何が違うのかを比較したり、プロの試合でもなぜ今の一連のプレーがうまくいったのか、なぜボールが奪われたのかを体の向きやボールの持ち方、相手の出方などに注目してそのシーンだけを何度も見返したりしました。それだけで試合でいろいろできるようになるわけでは決してなかったですし、考えすぎて逆にうまくいかないこともありましたが、サッカーに対する考え方は少しずつ変わったのかなと思います。特に練習では体の向きやパスの出し方にこだわるなど、自分なりのこだわりを持って取り組むことができて、できないことだらけでしたがそれをクリアしていくのが楽しくて、一時期はサッカーを始めたての時のような気持ちで練習ができました。私にとってのEnjoy Footballとは自分の無知さ、無力さを自覚した上でもう一度サッカーを見つめなおし、今まで味わえなかった楽しさを感じるところにあったのかもしれません。ここに関しては本当に同期に恵まれたと思っていて、感謝しています。ずっと真摯にサッカーに取り組んできた選手たちがいて、彼らのプレーを見てサッカーに対する考えが広がったし、いろんなことを直接的に、間接的に教えていただけました。真摯にやってこなかった自分が、きちんとやってきた選手と一緒にプレーできるというのは彼らを苛つかせることもあったでしょうが、私にとってはとても実になるものでした。これは恐らく東北大学学友会蹴球部という多種多様なバックグラウンドをもつ選手が集まる部活動だからこそではないかなと考えており、三年前に少しの不安に負けないで入部してよかったと思っています。
本当にサッカーが生活の一部であり、それに真摯に取り組んできた選手がいる中で、私が「サッカーが生活の一部であった」などと表現するのはおこがましさを感じますが、それでも私にとってサッカーはいつでもそこにあるものでした。大学でサッカーをやる意味なんて考えたことがありませんが、振り返れば確実に私の人生を豊かにしてくれたと思っています。世界で最も愛されているスポーツのうちの一つですから、やはりサッカーというスポーツは楽しいのでしょう。背が低くても、足が遅くても、筋肉がそこまでなくとも、技術がそこまでなくとも(最低限はあると思います)、やりようがあるスポーツだと思っています(ある程度のレベルまでは)。他のスポーツよりも選手としての価値の示し方に様々なスタイルがあると思います。したがってサッカーは、自分の選手としての価値をどのように上げていくか、そのための道が色々あり、その道の模索の過程で無知の知、試行錯誤、努力、工夫、成功、失敗、仲間とのコミュニケーションなど人生で大切なことを学んでいくことができると思っています。加えて東北大学では指導者がいない分、苦労もしますが、自分なりに考えて主体的に選手としての価値を上げていく体験ができると思い、また違った学びや達成感を得る環境が整っているのかもしれません。このあたりを組み合わせると私なりの大学でサッカーをする理由になるのかなと思います。
最後に、「我々は同じ電車ではなく、同じ車両で進む」。これはある指導者が言ったとされるビルドアップ、またはサッカー全体に対する一つの考え方の例えですが、少し別の意味で漫画「Days」でも「車両」という単語が出てきました(DAYS [288th day] 車両)。臼井先輩が長々と語っています。気になる人は読んでください。私も臼井先輩のような気持ちです。皆さんと短い間でしたが同じ車両で進むことができて本当に幸せでした。忘れることはないと思います。
同期のみなさん
みなさんと一緒にサッカーをした時間は宝物のようです。本当にありがとうございました。これからも仲良くしてくれたらうれしいです。結婚式に呼べるようにがんばります。
先輩、後輩のみなさん
一緒にサッカーをしてくれてありがとうございました。山形でサッカーに誘ってくれたからこそ今の私があると思います。本当にありがとうございました。
両親へ
あまり口にすることもなく、試合に出ている姿も見せられませんでしたが、心から感謝しています。きちんと親孝行します。
サッカーというスポーツと一緒にプレーしてくれた方、支えてくれた方に感謝の意を示して私の遺言ブログを締めさせていただきます。
本当にありがとうございました。
東北大学医学部医学科4年 豊岡(今田) 太志