
遺言ブログ#13 闘
「遠回りこそが俺の最短の道だった」
ジョジョの奇妙な冒険_第7部「スティール・ボール・ラン(SBR)」ジャイロ・ツェペリ
こんにちは。農学部4年の佐久間大河です。
金曜のクリスマスイブの夜に研究室でブログを書いている僕はなぜか前がかすんで見えません、佐久間です。
雪が降り始めると、雪かきをして練習をした川内のグラウンドが懐かしくなって非常にサッカーがしたいです。
遺言ブログも終盤になって、残すは僕と元首脳3人になりました。素晴らしい文章は首脳が描いてくれるので、僕は自分勝手に大学サッカーを振り返ってそこで考えたことについて書いていこうかなと思います。
それでは、、、いってみよ

高校の半分をけがでプレーできず不完全燃焼だった自分は大学でサッカーすることを高校の時から決めていて、春休みの3月くらいに引っ越して勝手に仮入部していました。
1年目、僕は、Iリーグを早めにデビューさせてもらい学生リーグのベンチにも入れてもらってAチームなのに二ツ森と一緒にB練にも参加して週7でサッカーして兄と居残りでシュート打ったりして最高に楽しかったです。先輩に誘われた飲み会も練習があるからって断ってずっとボールを追っかけていました。
そんな9月あたりから完全に覚えのある痛みに襲われて、力がどんどん入らなくなって、でもなんとかとりあえずシーズンを乗り切って、病院で言われたのは腰椎分離症。2回目だから自分でもわかっていたし再発したらやめようと決めてサッカーしていました。けど久しぶりにやるサッカーが楽しすぎてやめられませんでした。

2年目、1年目と変わらずIリーグにちょくちょく出させてもらってメンバーにも少し入って、怪我を恐れてやるぐらいならやらないほうがましだと思いながらも半年のブランクを取り返すのが限界で上がらないコンディションと腰の痛み、それでも天皇杯に出してくれて期待にこたえられないことに涙が流れました。
3年目、代替わりの時に何人かの人に副キャプテンやらないのって言われて投票してもらったけど、怪我が多いからやりたくないって言っていました。今思うとただ責任を負うのが怖かっただけでした。
その後コロナ等もあり活動の自粛、正直フィジカルを鍛えられてうれしく、58㎏から65㎏まで増量し、このシーズンで出れなかったらやめようと思ってました。そしてむかえた活動再開、半月ぐらいで捻挫により2か月のシーズンの1か月を離脱しました。正直グラグラの右足でボールをけるのはつらかったけど、どうにかこの1年だけはやり切ろうと決めていたけど出場はIリーグの1試合の途中出場のみでした。

怪我は多いし、上手くもないし、来年も活動できるかどうかわからない状態で4年は院試や研究で忙しい、3年でやり切った、チームの力になれるのか、やるからには全力でチームの力にならなければならないんじゃないのか、やめる理由を考えている自分が嫌でした。
そんな時に中学校のサッカーノートを開いて見えたのは、
「応援されるチームになろう」
タガタメサッカーをするのか自分が活躍できるのかっていう考え方をやめて、チームのために何ができるのか、勝利のためにサッカーをしたいと思いました。
もう一度人生最後の部活に全力で取り組んでみたいと思うか思わないか、なぜ部活に入ろうと思ったのか、大学でサッカーに挑戦しようと思った気持ちをもう一度だけ思い出して、諦めるのはもったいないんじゃないか
なんで4年は毎年チームのために何ができるのかということを話すのか、一度やめるかどうかを考えて真剣に取り組もうと思ったからだとやっとわかりました。遠回りをしてしまった。自分が活躍するために何が必要なのかという考えに加えて、チームのために何ができるのかについて考える必要があると思いました。

4年目、最後の1年も2回の捻挫をして、それでも、研究室があっても居残りでボールをけってオフの日にはランニングして筋トレして、
最終節、工大戦、約2年ぶりのベンチ入り、情で出るぐらいなら出たくないと思っていたけれど、後輩に途中出場の紙を渡されるのは悔しかったけど、興奮して鳥肌が立って、アドレナリンがわいてきて、ずっとこの時を待っていたんだなって。
引退したあと、後輩に「大河さんはそれだけ努力してきましたよ。」っていう言葉がうれしくて、でももっとやれたんじゃないかって、非常に悔しかったです。
いつも最短を試みたが
「一番の近道は遠回りだった」
「遠回りこそが俺の最短の道だった」
ジョジョの奇妙な冒険_第7部「スティール・ボール・ラン(SBR)」ジャイロ・ツェペリ

ここまで振り返って僕から伝えたいことは3つ
まず挑戦を楽しむこと、たとえ先輩のアドバイスであってもその通りにしてうまくいくとは限らないし、自分の信念を貫くことも挑戦だし、うまくいかないときにアドバイスをもらって何か変えることも挑戦だと思います。いずれにせよ自分で決断をして責任をもってそれを楽しんでプレーしてほしいです。
次は、緊張を楽しむこと、張り詰めた空気の中で闘って、自分の力をいかに発揮するか、湧き出るアドレナリンとフル回転の脳みその快感を練習から楽しんでほしいです。
最後に、東北大学学友会蹴球部に所属することの意義について、僕は、まず、この組織が所属することに意味がある集団にならなければならないのではならないと思います。例えば、就活でただの体育会といわれるだけでなく、東北大蹴球部なのかといわれるような、街中でただの東北大生でなく蹴球部の人だといわれるような、素晴らしい集団を全員で作り上げていく、共同体感覚を持って個人が集団に貢献するとともに、さらにより大きな組織に貢献すること、日々関わっている人に対してサッカーを通じて感謝を返していく、そして少しずつ応援してくれるサポーターが増えていくこと、enjoy footballだけではなく、人を楽しませる、応援される、entertainment football が重要になってくるのではないかなと思います。
そのためには小さな感謝を伝えることや、れなん君のように面倒なことを進んでやる、自分から始めるということを大事にして下さい。蹴ったボールを拾うとか、ビブスを畳んで渡すとか、ゴミを拾うとか、それらに対する感謝を伝えるとか、個人の部活の仕事をより良いものにしていくとか。
そして、首脳陣だけでなくみんなが同じ温度でより良い集団を作ろうとしていけばより良いチームになるのではないでしょうか。
稚拙でまとまりのない文章でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

迷惑をかけても応援してくれた親、練習で削ってしまったチームメイトの皆さん、頼りがいのある先輩、頑固な同期、やさしい後輩たち、部活やめて遊ぼうよといいつつ僕のスケジュールに合わせて遊んでくれる友達、優しく声をかけてくれる学校のみんな、2年以上帰省しない僕を機にかけてくれる地元、少しでも僕のサッカー人生を支えてくれた方々ありがとうございました。これからの人生で少しずつ恩返しをしていきたいと思っています。
まだまだ未熟な僕ですが、これからもよろしくお願いいたします。
それでは
Arrivederci!!!

あとがき
ここからは雑記です。読みたい人だけ読んでください。
アドバイス
大学の勉強がつらくてもカフェインの取りすぎと徹夜には気を付けましょう。足がつりやすくなります。
バイトは体力的にきつくなったらやめてもいいかなと思います。継続も大事ですがいろんな社会を知り、挑戦することも同じぐらい大事だと思います。
筋トレは頑張りましょう。プロと同じ筋肉量にしたら自分はどんだけプレーできるんだろうと考えると筋トレが継続しやすいです。ですが急な増量や偏った部位だけ鍛えると怪我のリスクが増えるのでそのへんは計画的に。
怪我した時はサッカーを見る時間を増やすと気持ちが切れにくいです。今更だけど体のバランスとか使い方が大事だと思いました。
夜遊びはほどほどに、遊ぶのはいつだってできるけどサッカーできるのは大学にいるうちぐらいだと思います。

雑記
途中のジャイロの名言とかArrivederci!!!とかジョジョ好きな人にはたまらない感じにしました。気づいた人いたらうれしいです。
タガタメをカタカナにしたのはミスチルファンの方のためです。どうせ気付いているだろうけど。おすすめの曲は前回のブログでいているので参考にどうぞ
イルミネーションが消えた定禅寺通りで写真撮って
闇のページェント
っていうネタ誰かにあげます。ご自由にお使いください。ちなみに1年の頃のブログでもこれ言いました。
それではメリークリスマス
