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遺言ブログ#15 向川 バルサと東北大の今後に期待

 「自分勝手」と書いて、自分の考えを突き通せる素晴らしいさまを表す。

 こんにちは。工学部4年の向川大成です。遺言ブログもついに残り二人になってしまいました。最後までお付き合いいただければ幸いです。

 さて、今回の遺言ブログで4年は自分勝手だという言葉が何度か出てきてしまいました。これは回収してくれるという信頼のもとみんな書いていったと思うので、4年の名誉のためにもしっかり回収して逝きたいと思います。この言葉は僕が最後のミーティングで言った言葉でした。この言葉が少し悪い方向、面白い方向に行ってしまいましたが、自分勝手という言葉だけが記憶に残ってしまうのは避けたいので言いたかったことを振り返りたいと思います。要約すると、4年は自分の考えを曲げない自分勝手な人も多いけれど、それは自分の考えを突き通すことができる素晴らしいことでもあり、それが今の後輩には足りないんじゃないかというお話でした。本当に自分の技術的なミスで失敗したときは素直に謝ることも大切ですが、自分は思ったところにボールを蹴れたけれどそれが味方の動きが合わなかったというシーンはサッカーでは多く見られます。そのときは考えを共有できなかったということなので、どちらも非を認め、お互いの考えを曲げるのではなく、すり合わせるべきです。他の4年も言っていましたが、考えを共有することはかなり重要です。

 また、考えを共有するという中でミスを指摘するという現象が起こると思います。特にミスを指摘するということに関しては少し繊細に扱うべきだと思います。ミスを指摘することは重要な面もありますが、それは同時に雰囲気を悪くするという副作用もあります。以前に2個上の先輩の菅野さんが言っていた話ですが、ミスには2種類あって技術的なミスと思考によるミスがあると。技術的なミスとは、パスミスやトラップミスなどの基礎技術の失敗によっておこるミスで、思考によるミスとは、そこにパスを出すという判断のミスやいるべき場所にいなかったというポジショニングのミスなどのことです。技術的なミスは仕方ない部分が多く本人も自覚しているはずなので、これを指摘してもほとんど意味はない。一方で、思考によるミスは考え方の違いなどから起こるのでこれは指摘してすり合わせることが必要です。この違いをしっかり認識せず、ただただ指摘してしまっていることがあるので雰囲気を悪くする指摘はやめて、雰囲気はよいままで考えを共有できるようになっていってほしいです。

 冒頭の話が長くなってしまいましたがここから遺言ブログ本論を始めさせていただきます。

 振り返ると、僕は小学校4年からサッカーを始めました。当時最強のチームはバルセロナだったと思います。メッシ、シャビ、イニエスタを中心にそのほかにもエトー、アンリ、プジョルなどタレントがそろっていました。監督もグアルディオラで組織された完璧なパス回しでした。低い位置ではSBをあまり使わない木の形のようなビルドアップというのが印象に残っていて、当時から偽SBにつながる考えを持っていたのかもしれません。WOWOWやスカパーに入っていなかったので、バルセロナの試合を見る機会は少なく、地上波でたまにやっているチャンピオンズリーグの決勝やクラブワールドカップの試合を録画し、バルセロナの同じ試合を何十回とみていたのが懐かしいです。僕はそんな中、某先輩や某後輩のようにイニエスタに強くあこがれて、そこを目指してサッカーを純粋に楽しんでいました。まさかイニエスタがその後日本に来るとは思ってもいませんでした。中学高校でもサッカーをしてきて、いろいろなことを学びましたが、僕のサッカーに対する考え方、サッカー観の核が作られたのは完全にそのときでした。そのころのバルセロナのサッカーが正しいと思っていたし、正義だと思っていました。カウンターサッカーは邪道であり、間違っているとも思っていました。シャビの引いて守る相手に対する言葉も印象的でした。「今日の相手はサッカーをしていなかった。」と。力の差が明らかと感じている敵チームに寄り添えば少々酷な発言だと思いますが、それが当時の僕のサッカーの正義でした。

 それから時はたち、大学入学したての頃、僕はサッカー部に入る気はほとんどないほどになってしまっていました。東北大のサッカー部はあまり強くないと聞いていたし、それに比べてフットサル部が強いと聞いていたのでフットサル部に入ろうとしていました。そのため新歓でもほとんどサッカー部には行っていませんでした。しかし、サッカー部のフォーメーションを聞いたとき考えが大きく変わりました。フォーメーションは3-4-2-1でした。

 3-4-2-1は当時、というか今でも僕の中で最強のフォーメーションだと思っているフォーメーションです。なぜかというと、それは僕が中学のときに、サンフレッチェ広島が2年連続で優勝したときのフォーメーションで、その戦術が印象的だったからです。そのときの監督は、今の代表監督の森保監督でした。今は批判も多いですが頑張ってほしいですね。そのときの広島のサッカーはとてもきれいでした。WBがサイドに張ってFWと合わせて、4バックをピン止めし、ボランチとシャドーが中盤で四角形を作り空いているスペースを有効に使う、相手はシャドーを捕まえられず、完全に崩される。今でいうハーフスペースをうまく使う。そんなサッカーでした。見ていて本当に楽しかったし、そんなサッカーをしたいと思った記憶があります。

 また、この3-4-2-1というフォーメーションにはもう一つ印象に残っている思い出があります。それは、その広島のサッカーを見てから何年後かの高校のときです。高校のサッカー部の合宿で関東に行ったときに、高校サッカー界で名門である市立船橋と練習試合をする機会があったのです。BチームかCチームかでしたが、ぼこぼこにされました。そのときの市立船橋のフォーメーションが3-4-2-1だったのです。高校のときは正直チームとしての戦術などはあまりなかったのですが、何とか攻めたり守ったりできていました。しかし、その試合は完全に違ったものでした。当然相手にボールを支配される展開になるわけですが、4-4-2のボランチをやっていた身としては本当に相手の中盤4人をつかめないのです。それまでサッカーをやってきて個が強い相手はまあまあ見てきました。宮城には聖和学園があり、技術が高い選手は多くいます。個人で潰せない相手も多くいます。しかし、そのときの市立船橋戦での勝てない感覚は初めてのものでした。サッカーをやってきて初めて、恥ずかしい話ですが、試合中にこれは構造上守るのは無理だと思ってしまいました。本当にすごいなと。こんなサッカーをしたいなと頭のどこかに思っていました。

 そんな出来事があったので実は東北大が3-4-2-1だと聞いただけで、かなりサッカー部に入るほうに傾きました。最終的にはそんな縁でサッカー部に入りました。ほとんどサッカー部の新歓に行ってなかったのに斐都さんがかなり誘ってくれたのも大きかったですが。

 サッカー部に入ると思い描いていたものとは違う現実が待っていました。実質フォーメーションは3-4-2-1という名の5-4-1でした。誰が悪いとかではないですが、期待しすぎていたのかもしれません。5バックで守りショートカウンターで攻めるというのが戦術で、理想の広島や市立船橋のサッカーではありませんでした。

 そのため、1年、2年のころはそこの乖離を自分の中で消化できていない期間になってしまった気がします。奪った後はショートカウンターで中盤を飛ばすというサッカーは、自分のルーツとなるサッカーとはかけ離れていて、それは僕がやりたいサッカーではありませんでした。なんとなく試合の流れで蹴るサッカーをしてしまうのはまだ仕方ないところもあるとは思いますが、戦術としてそれをやると最初から決められてしまうと余計に試合前から中盤で自分が出る意味を否定されているような‘気がしていました。ボランチはセカンド回収係なのではないかと思い、サッカーが楽しくない時期もありました。僕のプレーの特徴は味方を生かし味方に生かされるプレーであると思っていましたが、それを出すことができない気がしていました。

 大学ではそこらへんの齟齬で迷いを抱えながらサッカーをしていた気がします。今振り返ると、チームの方針を受け入れない未熟さが自分には合ったと思います。それは首脳になって4年になってサッカーを知り、考え方も広がって、受け入れることができるようになりましたが、心のどこかではずっと理想のサッカーをしたいという気持ちがあったことも事実です。つまらなそうにサッカーをしていたことがあったと思うので、それを感じてしまった人には申し訳ないと思います。

 そこの部分は大学でのサッカーを通じてかなり後悔している部分でもあります。サッカーにはいろいろな正解があるはずでそれらがどれも間違いではないはずです。しかし、僕はその環境のせいにして、自分が新しいものを受け入れて、そこで生きるためには何をすべきかを考え挑戦することをやっていなかったと思います。大学で成長した人はかなり多いと思いますが、僕は大学に入ってからあまり成長できなかったなという自覚があります。サッカーにはいろいろな勝ち方があり、それぞれに正しさがありますが、自分が持っている以外のものを受け入れるのが遅かったです。首脳や4年になって考える機会が多くなり、改まったところもありますが、気づくのが遅かったなとかなり反省しています。

 大学で、部活で、サッカーをする意味について、前回のブログで書きましたが、結局答えを先延ばしにしていました。その答えを待っている人がいるようなので書きたいと思います。結論としては、大学でサッカーをやる意味は、やっぱり楽しいからであり自分の成長のためであり、高校までと変わらないなと思います。人それぞれ、サッカーの辞め時はあるもので、中学卒業でやめたり、高校卒業でやめたり、大学卒業でやめたり、自分にとってはそれがたまたま大学までサッカーを続けるという選択になっただけです。確かに、大学サッカーだからこそできることもあり、その恩恵を多く受けることができたことも事実ですが、大学でサッカーをする意味はと聞かれたら、やっぱり楽しいからになると思います。

 答えを先延ばしにして結局その程度の答えかよと思われてしまいそうですが、自分なりに考えると、前回のブログではこの答えを自信を持って言えなかったのではないかなと思います。楽しいからといえるほど全力で楽しめていなかった気がするし、自分のためにやっているといえるほど自分の成長のためにできていなかった気がするし、そういう点で自信を持って言えなかった自分がいたと思います。前回のブログで楽しいだけならゲームをやって楽しいのと変わらないんじゃないかというようなことを書いていましたが、それは何となく自分を正当化しようとして、純粋にサッカーを楽しんでいた涼平やその他の人がうらやましかったのかもしれません。

 結局、eスポーツと何が違うのかや、すでに就職している同年代の人にとっては部活もただ遊んでいることの一種であるかもしれないという問いに対して今答えることはできません。しかし、就活では評価されるほど、大学で部活をやっていることは貴重なことであるはずです。これ以降は、就活のときにまた考えます。

 最後に、サッカー部を引退してからは平凡な日々を送っています。みんなとサッカーをやっていた時間は、本当にかけがえのない時間だったことを感じます。今回のブログは、かなりマイナスなことを書いてしまった気がします。後輩たちにはこれを反面教師として同じことを引退のときに感じてしまわないように頑張ってほしいです。マイナスなことを多く書いてしまいましたが、充実した日々であったこともまた事実です。今回は深く書きませんでしたが、首脳をした3年目は本当に充実していました。副主将として本格的にリーダーのような経験をするのは初めてでした。アイリーグの監督や練習の仕切りなどもっとうまくできたのではないかと後悔も多いし、快く思っていない人もいたかもしれませんが、ついてきてくれた部員の皆さんには本当に感謝しています。また、今までかかわってきた先輩や後輩を始めすべての人に感謝いたします。特に、同期のみんなには普段言えないですが、本当に感謝しています。ありがとう。これからもよろしく。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。東北大蹴球部のさらなる発展を期待しています。

                        2021.12.27 向川大成

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