
遺言ブログ#2 「soccer」での学び
皆さん、どうも。工学部材料科学総合学科4年の吉迫です。部活引退後2週間が経ちますが、元々ここ最近、週1ないし2週に1回程度しか練習参加できていなかったので、特に引退前と変わらない生活を送っています。でも、引退したんだと思うと、やはりなんだかさみしいですね... 引退ブログもまだ2日目ですが、よろしくお願いします。
大学サッカーを振り返って正直に思うこと、それは「反省」です。
大学入学時、自分はサッカーを続けるつもりはあまりなく、むしろ新しいことに色々挑戦しようと考えていました。入学直後、たしかに自分は色々なプログラムに申し込んだり、授業に参加したりしたのですが、ことごとく失敗しました。そんな折、ふとしたきっかけでサッカー部の練習を見、やっぱりサッカーしたいと思うようになりました。今にして思えば、新しいことに挑戦しようとしても門前払いを食らい続けていた、当時の状況からのある種の「逃げ」の選択だったのかもしれません。そんなわけで、なんとなく入部当初から自分には「甘え」があったように思います。もちろんネガティブな理由だけが要因ではありませんが、「中途半端」な覚悟で大学サッカーを続けた結果、公式戦の出場はゼロ、ベンチにすら入ることはできませんでした。
大学サッカーは正直、暗闇の中でもやもやした感覚を抱えながら過ごした時期のほうが多かったように思います 。(この辺のことは過去のブログhttp://hyojosoccer.com/2020/10/5599/ で書いたので、割愛します。)
しかし、だからといって自分のサッカー人生が無意味だったわけではありません。むしろ非常に価値あるものだと思っていますし、サッカーを通じて多くのことを学んできたとも感じています。そこで私の遺言ブログとして、その中でも特に重要だと思った3つのことについて書きたいと思います。(大学サッカーに関しては他の同期が密度の濃い内容を書いてくれると思うので...)
1つ目は、環境が変わったときにこそ自分の真価が試されるということです。私は、小学・中学でそれぞれ一度ずつ、チームを変わるという選択をしています。小学2年次に近所のサッカークラブに加入したのをきっかけに私のサッカー人生はスタートしたわけですが、そのクラブは個を重んじていて、中には指導者に対しなめた態度をとる、シュート練習などで順番を守らないなど、サッカー以外の部分で好き勝手するチームメイトもいて、ある意味無法地帯に近い状態でした。ハングリーな選手が多かったといえば聞こえがいいかもしれませんが、当時の自分はあまり気が強い方ではなく、そういった競争に入っていくことができませんでした。次第にこのチームでは自分は成長できないのではないかと真剣に考えるようになり、最終的には小学5年のときにチームを変わるという決断をしました。(この時期、毎練習後に父から、「今のままでホンマにええんか、もっと真剣に考えーや」、と怒られていたことを思い出します笑)ただ、これはものすごく勇気のいる決断で、今まで指導していただいた指導者の方への恩を仇で返す行為なのではないか、小5から新しいチームに入って果たして自分の居場所は作れるのか、と不安要素のほうが多かった印象があります。新しいチームに入ったとき、文字通り自分とチームメイトはお互いのことを全く知らない状況で、自分を認めてもらうにはどうすればいいのか真剣に考えさせられました。人見知りが激しかった自分が周りに認めてもらうにはどうすべきか。当時の自分が導き出した答えは、誰よりも動くこと (プレーでも、ボール拾いなんかでも) と、自分からコミュニケーションを取りにいくこと、です。これらを続けた結果、徐々にみんなから信頼を得、自分を出しやすい状況が出来上がっていきました。最終的には、加入から半年ほどで副キャプテンに任命され、チームの中心としてプレーできるようになりました。
中学でも同じような体験をしました。自分の地元は、怜南の地元とは対照的にサッカーがあまり盛んではなく、基本的に市内の公立中学校にはサッカー部がなかったため、サッカーと勉強をある程度のレベルで両立すべく中学受験を選択し、お隣広島市の中高一貫校に進学しました。その当時、地元のクラブチームでサッカーをするか、それとも進学先の部活動でサッカーをするかという2つの選択肢がありました。しかしクラブチームの方は、学校が実家から1時間かかる上に私学で授業時間が長いこともあり、学校が終わってどんなに急いで練習に向かったとしても30分以上遅れてしまうという状況でした。やはり練習不足は徐々に効いてくるもので、試合での出場時間は減ってしまいました。さらに、毎度遅れて参加することに引け目を感じ、結局2ヶ月ほどでクラブチームをやめることとなりました。最終的に学校の部活動の入部テストを受けて部活動でサッカー生活をリスタートさせたわけですが、このとき、「もう後はない」という危機感を強く感じ、絶対にここにいるメンバーよりもいいパフォーマンスを出し続けることを意識して活動に臨みました。その意識は自分以外にも伝わるもので、ゆくゆくは周りを巻き込みながら、切磋琢磨できる環境を作る原動力になることができたと思います。
歯切れの悪い文章になってしまい申し訳ないのです (実験の関係で2徹目に片足突っ込みながら書いているので多少の違和感は許してください笑) が、ここで伝えたいことは、主体的であれ受動的であれ、自分を囲む環境は変化するものであり、それをいい方向にも悪い方向にも変えるのは自分自身だということです。環境が変わったときには、誰もが多かれ少なかれ困惑したり悩んだりすると思います。その中で自分を発揮するには何が必要か、それを実現するにはどういうアクションを起こせばよいのか、を真剣に考え行動することで自分の価値は高まっていくと思います。後輩のみんなには、首脳が変わり新体制がスタートした今このときにこそ、このチームをどう作り上げ、そこに自分がどう関わるかを真剣に考えてもらいたいなと思っています。
2つ目は、「文武両道」の大切さです。これには2つの意味合いがあり、一つはサッカーが上手くいかないときの歯車調節として、もうひとつは自分の価値を高める手段としての意味です。自分はサッカーのプレーの波が激しい方で、うまくいかないときに何ヶ月もスランプに陥ることが多々ありました。怪我も然りです。こんなとき、どうすればこのスランプを抜け出せるのか考えることも重要ですが、考えすぎて行き詰まってしまって身動きが取れなくなるのはあまり得策とは言えません。そんなとき自分はよく、あえてサッカー以外のことに集中してみる、ということを試みていました。まあ、主に学校の勉強だったわけですが...私の経験上、あえてサッカーから離れた分野を頑張ることは、自分の自信回復のプロセスになると考えます。自信が回復すれば、自ずとサッカーの方にそれが還元されて、プレー自体も向上してくると思います。
後者の方は特に大学で意識したことで、「自分からサッカーを抜いたら何が残るか」を自分に問い続けるプロセスであると思います。これは裏を返せば、「なぜ大学でサッカーをやるのか」を問い続けるプロセスでもあるかもしれません。もちろん1サッカー選手として、サッカーにすべてを捧げる覚悟を持って過ごすことも重要だと思いますし、この考え方を否定するつもりはありません。しかし、大学は高校までと異なり、行動の範囲やトライできることの幅が広がります。私はこの機会を利用しないことはもったいないと思い、留学を始め様々なことに積極的に挑戦しました。(その分サッカーに避ける時間が減ってしまったのは事実ではありますが...) ある意味、サッカー以外の部分での充実度というのは東北大とそうでない大学とで最も差別化できる部分なのではないでしょうか。もちろん、サッカーに対して別角度から関わるという方法でこの部分にトライするのも良いと思います。東北大学サッカー部にある班制度は、その体現に最適な環境だと思いますし、もっとブラッシュアップできる部分でもあると思います。
3つ目は、コミュニケーション&パッションです。これはMITメディアラボの石井教授が研究者に最も重要な能力として挙げていたことでもあります。私は小中とサッカー部で副キャプテンを担当しましたが、高校では分析担当で、東北大の分析班の活動に近いですが、フォーメーションや練習メニューの提案、試合の分析 (特に局面の分析、プレー評価) 等を行っていました。私の学年を担当した監督はサッカー経験がなかったため、私に戦術的な部分を任せてくれました。分析の活動の中で、このチームをより良く持っていくにはどうすればよいだろう、どんな戦術がマッチして、どういったコンビネーションが最も効果的にフィットするだろう、こういった事を常に考えていました。ただ、考えるだけではだめで、これを部員や監督に対しアウトプットし、自分の意見を相手に理解して貰う必要がありました。そこで私は試合のビデオを切り取って視覚的に理解しやすい資料を作り、この局面ではこうすべきではないか、ここにポジショニングをとってスペースを守るべきではないか、など選手個人個人に提案を行いました。あるときには、監督とフォーメーションに関する意見が合わず、何度も説得に行ったりもしました。いわゆる数字や記録に残る業績は得られませんでしたが、細かなコミュニケーションの重要性に気づくことができた経験だと思っています。後輩の皆さんも、部員間でコミュニケーションを積極的に取り、常日頃から意見のすり合わせを行えば、より高度な連携や良い組織運営ができるようになると思います。
ここまで自分がサッカーを通じて学んだことについて書いてきましたが、ここに書いてきたことを大学サッカーではあまり還元できなかったことが私の「反省」です。これは次のステージで克服すべきピースとして自分の心に留めておきます。
長くなっていますが、もう少しだけお付き合いくだされば幸いです。
自分には、サッカーをしてきた人生で大事にしてきた哲学があります。それは、中高サッカー部の理念にあった1フレーズです。
サッカーの勝負の原点は、最終的に一人ひとりの人間性の追求にある。「敵は己自身」
サッカーはその性質上、試合での勝ち負けやチーム内での争いは当然重要です。でも、特に部活動という括りで見るならば、試合の勝敗以上にそこでの経験を通じて人間としてどれだけ成長できたかということが重要です。ずっとBで試合に出られない、怪我が多くて満足にサッカーができない。こういったことは今後誰にでも起こり得ることです。でも、どんな環境に置かれたとしても、そこで諦めてほしくない。自分が面白くないから練習で手を抜く、他人のせいにするなど、競争以前に自分に負けるようなことだけはやってほしくないと思います。チーム、そして何より自分の成長につながらないので。
色々と偉そうなことを書いてしまいましたが、引退ブログと思って大目に見てもらえたら幸いです。また、部員全員とまではいかなくても、誰かの心に響いてくれたならば、それはそれで私が4年間大学サッカーを続けた意味があったということなのかもしれません。
冗長な文章となってしまいましたが、最後に、私をずっと支え続けてくれた家族とこれまで指導してくださった指導者の方々、本当にありがとうございました。また、この4年間私とサッカーしてくれた同期のみんな、ありがとう。後輩のみんなもなかなか顔見せない先輩だなと思っていたかもしれませんが、一緒にサッカーできた時間は楽しかったですし、もっと一緒にプレーしたかったなと思っています。自分は東北大の院に進学するので、しばらくは仙台にいます。これからの活躍を楽しみにしています。頑張れ!
では、さようなら。Kiitos