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遺言ブログ #15 かけがえのないもの

こんにちは。工学部4年の田邊悠太です。

ついに遺言ブログも最後に自分を残すのみとなりました。自分が先輩の遺言ブログを読みながら送り出してから自分の番になるまでが早すぎますね。引退ブログではなく遺言ブログなので、少しでも後輩たちの記憶に残る文章を書ければと思っています。その点、現在でもブログを引用される先輩は本当にすごいと思います。このようになりたいですね…。自分も精一杯書こうと思うのでよろしくお願いします。みんな四年間の振り返りを書いているので自分も軽く自分の心情マシマシで書いていこうかなと思います。


大学入学当初はせっかくの大学生活で部活動に入る気なんてありませんでした。自分にとってサッカーは今まで長い期間やってきて楽しいものという考えはあったにせよ、大学までサッカーを続ける同期の高校のサッカー部はいないし、その当時は「部活=辛いこと」と捉えており、サッカーを続ける意味なんてないと思っていました。しかし、高校の先輩から誘われたことや体験をしにいって意外と楽しかったこと、そして友達を作りにいったことなど入部した理由はいろいろあります。中でも一番の理由は浪人で太った体を絞るためだったかもしれません。今でも馬鹿にされますが、確定新歓の頃の自分は顔で分かるほどデブでした。入部して数ヶ月でかなり改善されたと思いますが、引退した今はまたあの頃に戻りそうで少し不安です。あの頃は何も考えずにプレーしていて同期が試合に出て行く中、自分も出たいと無邪気にサッカーをやれていたと思います。実際大学四年間で一番楽しく(何も考えずに)サッカーをやれていたのはこの時期だったかもしれません。そんな時期にIリーグでの1ゴール2アシストの活躍などがあり、僅差ではありますが自分が副主将になりました。なった当初は何をしたらいいか分からず、主将について行くことしか出来ませんでした。今思い返すともっと何か出来たのではないかと思いますし、その時の主将が何でも出来る人だったため甘えていたというのが事実かなと思います。

春合宿を終え二年生になるタイミングでコロナウイルスが流行して部活動が停止になりました。今までやってきたこと全てに禁止を言い渡され、いつ解除になるか分からない不安の中、やれることをやるのは本当に辛いことでしたね。今後コロナウイルスは全ての活動につきまとってくるわけですが、約2年経った現在でもそこまで変わっておらず、本当に早く去ってほしいと切に願っています。ようやく制限が緩和されましたが、出来た試合は学生リーグの総当たり戦一回のみでした。初戦はスタメンだったものの同じポジションの選手が怪我するまでスタメンとして出ることはありませんでした。後半戦はスタートから出ることが多かったですが、あの頃は「ミスしない」ようにとしか考えておらず、そこまで楽しくなかった気がします。あまり自分の取り柄が分かっておらず何をしたらいいか分からない状況が続き、まして副主将という役職を与えられたので下手なプレーは出来ないプレッシャーもあったのだと思います。また、代替わりが近づくにつれて主将としてチームを引っ張っていく準備を行っていたつもりでしたが、今思えば全然足りなかったと反省しています。

副主将の流れで次の年はやはり主将になりました。練習中は常にチームのことを考え、試合前には分析、試合中には相手の対策と考えなければならないことが多かったですね。自分にとって「このようなことを選手に考えてサッカーしてほしい」という核は決まっていたので、それに沿って色々考えて行っていたつもりでした。その内容に関しては前回のブログに書いたので割愛します。あの頃はやるべきことが多すぎてそれをこなすだけで精一杯でしたが、「これやれば面白いな」とか「これどうだろう」とか今更ながら考えることもあります。そう思うとこのような試行錯誤が自分の中で「楽しい」ものだったのだと思います。ある練習を行ってうまくいかなかった場合に、次はこれを変えてみようなどと考え、変えてうまくいったときの達成感はとても素晴らしいものでした。この年の学生リーグはコロナの影響で終盤の2ヶ月に11試合というとてつもないペースで消費されていきました。毎週毎週試合があり肉体的にも精神的にも疲れが出てくる中、最後まで戦い続けられたのはこのような「楽しさ」があったからだと思います。結果は4位と目標に届かなかったのでまだまだ足りない部分、改善しなければいけない部分はあったと思いますが、自分の中ではやりきったと胸を張って言えると思います。

そして四年目。なんだかんだいろいろありましたが、やはり一番記憶に残っているのは最終節仙台大戦での途中交代した後のベンチです。前半で5失点して、そして後半途中でベンチにいる自分。打倒仙台大を思って練習してきたのにも拘らず結局何も出来ない自分。悔しさは当然ありましたが、これが自分なのだと改めて思いました。これで真剣にやるサッカーが終わってしまったと喪失感がある半面、今までよく頑張ったなとも思えました。今思うと、このように四年目を振り返って「自分」という単語がたくさん出てくるのは、首脳を引退して自分にかなりフォーカスすることが出来ていた証拠だと思います。

軽くではなかったですが、四年間を振り返ってやはり「サッカーは楽しい」という一言に尽きるのではないかと思います。自分の中での大学サッカーの意義を前々回のブログで「サッカーが楽しい」としていましたが、実際には少し異なり、「サッカーを如何に楽しむか」だと思います。大学に入るまでは漠然とプレーすることが楽しい、または監督から指示されて勝利することが楽しいと思ってやっていましたが、今思うと楽しさは自分で手に入れる方が大切であると思います。この楽しさは視点を変えるだけで変わるもので、自分もプレーよりも首脳として考えている時間が楽しい時もあり、サッカーと真剣に向き合うことでその楽しさを知ることができると思います。そして、それに気づかせてくれたのは首脳としての経験であり、このような機会を与えていただきとても光栄だったと思います。

長いですがもう少しだけ、自分の中にある伝えたいことを一つだけ書こうと思います。

それは「サッカーは社会の縮図である」と言うこと。

これは高校の時の先生が言っていた言葉で、当時はあまり意味を理解していませんでした。この中の「サッカー」はプレー中でもプレー外でも当てはまります。プレー中で言えば、ゴールを取るためには点を取る人が一番重要なのではなく、点を取る人以外の10人やコーチ、応援してくれている人などの様々な人が関わってやっと成立します。失点も同じで、一人がミスしてしまったらそのカバーを全員で行い、それが出来ない場合に失点してしまう。
個人的に一番大切だと思うのはプレー外のことです。自分は首脳を経験してこれを強く思いました。主将は社会で言う社長のようなものであり、その下に副社長(副主将)がいて、その人を中心にまとまりを作るために部署(班)があり、それのどれかに属している社員(選手)がいる。そしてこの会社がうまくいくには社長が頑張るだけではダメで、必ず社員の努力も大切になってくる。このように考えた時に、全ては繋がっているのだと思いました。チームとして上を目指すためには誰一人欠けてはいけないし、全員が同じベクトルを向いていないと前進しない。そして選手一人一人が所属意識(東北大学蹴球部としての誇り)を持つ必要がある。東北大学蹴球部に入った以上、もう組織の一員であり、志を高く持って活動しないといけない。このように一人一人の意識がより良いチームに、集団に、していくのだと思います。

最後にこれまでお世話になった人にお礼を述べたいと思います。

今までお世話になった先輩方、本当にありがとうございました。ありがたいことに自分は先輩との関わりが強く、飲みに誘われる回数も多かったと思います。楽しかったのはもちろんですが、その時の何気ない言葉などは自分の中で大切に感じる部分がとても多かったです(覚えているかは分かりませんが)。特に自分をこの東北大学蹴球部に誘ってくれた高校の先輩には、本当に感謝しかないです。本当に良い先輩を持つことができました。

今まで関わった後輩たちへ。
技術とかは自分よりもあるし、やる気もある人が多いと思うので、自分たちに出来なかったことも出来ると思います。来年は試合見に行くので、チームとしての成長を期待しています。

同期のみんなへ。
四年間本当にお世話になりました。馬鹿なことやけんかをしたこともあったけど、終わってみて本当にこの学年でよかったと思う。正直主将をやっていたときは同期に助けられたし、面倒くさかったと思うけどちゃんと話を聞いてくれてありがとう。これからもお世話になると思うけどよろしく。

そして最後に両親へ。
こんな歳になるまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。ご飯とか洗濯とか毎日毎日大変だったと思うけど、そのおかげでここまで成長することが出来ました。もっと活躍した姿を見せられれば良かったけどごめんね。
今まで本当にありがとう。

長い文章で読み飽きたかも知れませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

今後も東北大学蹴球部を応援しています。

工学部 機械知能航空工学科 4年 田邊 悠太

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