見出し画像

遺言ブログ#9 自分の役割

こんにちはー。増渕です。引退してから、時間が出来たり寂しくなったりといった変化を予想していましたが、研究はあるし、引退試合や学年対抗戦、秋季飲みに学年プチ旅行などイベントが盛り沢山だったため、まだまだ楽しくやってます。引退試合では選手としてゴールを決め、学年対抗戦では監督として二連覇を果たすなど、なぜか引退後から上り調子なのは果たして喜んでいいものなのかと思うところもありますが、こんな私の遺言ブログを最後まで見ていただけたらうれしいです。この13年間を時系列と共に振り返りつつ、最後に私をここまで支えてくれた方々への感謝で締めたいと思います。


二年生練習

小学校(富士見SSS)
努力は実ることを実感した三年間。私は小学校4年生の時に友人に誘われて通っていた小学校のスポ少に入りました。入ったのが周りよりも遅かったため、最初は必死こいてたことしか覚えていません。毎週コーチからリフティングの課題を出されて、毎朝登校する前に家の前で練習していました。最後には学年で一番くらいにリフティングが出来るようになったことがすごくうれしかったことを覚えています。

中学校(宮の原中学校サッカー部)
勝つことの楽しさを覚えた三年間。この三年間は今までで一番つらかったです。とにかく監督が厳しい人で、毎朝朝練の前の外周10週と放課後の練習後にタイムに入りきるまでダッシュというメニューを引退までこなしました。その成果はしっかり発揮され、公式戦は延長に入っての逆転勝ちがとても多かったです。3年では主将を務めました。別にチームで上手い方ではなかったので、なぜ自分になったかは今でもあまり分かっていませんが、この経験は今にもかなり生きていると思います。3年になって初めて、32チームほどの市予選でチームが優勝しました。勝利の味を覚えました。真に勝つことの楽しさを知るのは、スポーツに本気で向き合う上で絶対に必要だと思います。

高校(宇都宮東高校サッカー部)
自信をもってプレーすることの大切さを学んだ三年間。うちの高校はそこまで部活に力をいれている学校ではなかったため、入部当初は先輩の二年生と三年生が6人ずつしかいなかったことにとても驚いたことを覚えています。しかし同期には恵まれ、とものしんの中学のチームの主将をはじめとして、小さい頃トレセンなどで見たことがあるような選手が多くいてとても頼もしかったです。私は運が良く、一年生から試合で使ってもらっていたので自然と自信を持ってプレーを出来るようなりました。そうなってからの成長曲線の傾きは大幅に上がっていきました。二年生から急に監督がいなくなり、東北大蹴球部のように自分たちで戦術やスタメンを決めなければならないような体制に変わるなど難しいことがとても多かった三年間ではありましたが、同期に恵まれたことがとても大きく、楽しい高校サッカーを過ごすことが出来ました。


二年生Iリーグ

大学(東北大学学友会蹴球部)
劇的に上手くなった4年間。あるあるの出だしではありますが、私は大学までサッカーを続けるつもりは全くありませんでした。ただ、試合を見る会というZOOMの企画をSNSで見つけて、単純に自分の大学がどんなサッカーしているのか気になってそれに参加しました。そのとき先輩から、それに集まった人たちでLINEグループを作ることを提案され、河川敷でサッカーをする事になります。まじでこれが原点。すぐに仲良くなり、気づいたらサッカー部入ってました。それからは本当に楽しい日々で4年間あっという間でした。私は運良く1年生の時からIリーグにちょこちょこ出始め、4年になって多少トップに試合に絡めるくらいでした。学生リーグの壁は厚かったですね。私は他の同期とは異なり、この4年間をサッカーに全振りしたわけではないです。部活に入ったらそれ以外何も出来なくなるよという周りの意見を見返すべく、バイト、勉強、高校の同期、学科の同期、彼女、そしてサッカーと、この体一つで出来ることは全部に全力でぶつかりました。その分、部活以外の時間もサッカーに注いできた他の選手に勝てるはずはありません。それでも、自分が選んだこの4年間の生き方に後悔は全くありません。むしろ良くやった方だと思います笑

あー、まじで楽しかったな~。


最後の日

 私はサッカーはもちろんですが、オフのところで貢献するところを頑張ってきました。大小関係なく飲み会の幹事や旅行の計画などですね。こーゆーの得意なんですよ。サッカーはみんなの方が得意だったので、「自分は自分の得意でチームに貢献しよう」なんて思ってました。ただの遊びでしょって思う人が大半だと思いますが、以外とこーゆー息抜きって大事だと思うんですよ。リフレッシュとしてもそうですが、サッカーはチームスポーツなのでこーやって仲を深めていくのは絶対サッカーのためになると思います。4年が最後沢山トップに絡めていたのは、仲を深めながら切磋琢磨してきたからだと思います。仲間って大切です。


3年夏旅行

後輩へのアドバイス。自信を持ってプレーすること。これが一番大切だと思います。この部活は80人近く選手がいて上手い選手も沢山居ますが、それに臆せず自信を持ってプレーしましょう。何か一つの部分でもいいです。私はコーチングなど横のコミュニケーション、試合中ずっと考え続けること、ポゼッション系のメニューは誰にも負けないという気持ちをもって取り組んでいました。そしてもう一つ。二年前のブログにも書いてあるので詳しくはそっちを見てほしいんだけど、「5人の法則」[1]。これは本当にそのとおりなので、自分の言動が自分一人だけにではなく身近な人にも影響するという自覚と責任を持ってプレーしましょう。


後輩とのご飯
引退記念品

ここまで自分のことについてずっと書いてきました。最後には私の13年を支えてくれた周りの人たちに感謝をして閉めたいと思います。

同期たちへ
この代は本当にバランスのいい代だと思います。お調子者のりょうが。多才なしばた。愛されキャラのりゅうせい、やすとも。サッカーにまっすぐすぎるこうせい、うめ、きいち、しげ。天然のけい。しっかり者のまほ、まなみ。盛り上げ担当ふとし。プレーですべてを示すみやもと、とものしん。これは個人的な話になるけど、俺と良く波長の合うたかお、ふうま。そして最後にお頭たいが。率直に言います。君たち最高です。
特にたいが。「まじでたいがが現役落ちてくれてよかった~」と心の底から思います。良くも悪くも色々な人が居る代なので、バランスは崩れやすい方だと思います。たいががいなかったら絶対まとまんなかった。これまでの人生で一番良いリーダーだったのはたいがかな~。世の中の女性諸君。僕の一押しは彼なので、頑張ってゲットしてね。
みんなが僕が考えた催しで想像以上に楽しそうにするので、すぐ次のイベントを考えついちゃうのが最近の悩みです。3月に控えた卒業旅行の他にも、球技大会とか考えてるから楽しみにしててね。卒業してからもガンガン集めるのでしっかり出席するように。


4年冬旅行
4年夏の海ドライブ

弟へ
君がすげぇサッカーうまかったから、小さい頃から楽しかったです。いいライバルでした。ありがとう。

父さん・母さんへ
スパイク買ってくれたこと。試合の送り迎え。お弁当。応援。一緒にサッカーしたこと。遠い仙台までも応援に来てくれたこと。貴重な休みを兄弟含め自分達に使ってくれたこと。俺が自分で決めたことを否定せずにすべて認めてくれたこと。今までのことすべてに感謝します。ありがとう。俺は多分他の人よりも親孝行精神半端ないので、楽しみにしててね。

以上、私の遺言ブログでした。ちょっと長くなったかな?最後までお付き合いいただいた方。ありがとうございます。飲み誘おうと思うので、後輩たちは来てくれるとうれしいです。それではまた。

東北大学工学部機械知能航空工学科 増渕爽太郎

[1]5人の法則


いいなと思ったら応援しよう!