
遺言ブログ#4 サッカーは重要でないものの中で一番重要である
小学一年生からボールを蹴ってきてつらいことなんて何回もあった。それでも次の日にはまた笑ってボールを蹴りに行く。それが当たり前だった。でもいつからか練習が、試合が楽しくなくなった。
こんにちは。経済学部4年 メンヘラ担当の二ツ森友一朗です。
「自分は何を書くのだろうか」と想像しながら読んでいた引退ブログをこのような書き出しで書くとは思ってもいませんでした。自分は引退まで残り2週間というタイミングで一足先に引退(途中離脱)をし、その5日後に復帰しました。このブログでは、このような経験をした自分にしか書くことのできない思い・考えを書こうと思います。どうか最後までお付き合いください。
大学1・2年時の部活動は楽しかった。地区大会で他の人より早く公式戦デビューをし、1年のラストにはトップチームのベンチにも入れてもらった。2年には学生リーグ開幕戦にスタメンで出してもらった。廣瀬が旅行に行っていたこともあり、正直運がよかった。「先輩に好かれていた」から試合に出れていたんだと思う。2年でアイリーグ全試合に出たがほとんど勝てなった。3年でもアイリーグ全試合(出場停止を除く)に出させてもらった。でも勝てなかった。天皇杯や大臣杯でも試合に出たが、活躍はできなかった。3年時に務めた学連という役職でも何もできなかった。
自分の代には試合に出れない選手も多く、そいつらからしたら贅沢言うなって言われそうだけど負けるのは楽しくなかった。自分のせいで負けることはあっても、自分がいたから勝てた、そんな試合は無かった。次第に、「舘野さんなら」「直人さんなら」「廣瀬なら勝てたんじゃないか」そう思うようになった。自分が試合に出る理由がわからなくなった。もともと自分が出て負けるくらいなら、自分がベンチで勝つ方がいいと思う性格なので余計つらかった。同期(特に鈴木×2)は本当にサッカーが楽しそうだった。楽しくて仕方ないんだなって、そうありたかった。
結局自分は「期待されたけどチャンスを掴めなかった人」だと思う。掴めなかった原因は確実に努力不足である。その努力不足を自覚してもなお努力をしなかった自分の甘さである。そう思ったときに心が折れた。なんで自分は練習をしているんだろう。そう思うようになってしまった。もちろんそんな奴が上手くなるはずもなく、4年の間はずっとBチームにいた。余計サッカーが楽しくなかった。それでも「試合に勝ちたい」という少しの思いと「何かサッカー部のためにしなければならない」という義務感のため何かを変えるわけでもなく練習に出ていた。
残り2週間、自分の出る試合が無いことが分かった時には「引退」をすることを決めた。「あと2週間くらいやればいいのに」「メリットなくね」そんな声が聞こえた。逃げたかった。楽になりたかった。2個上の三輪という先輩は「やめたくねー」と言って引退した。本当に楽しそうだった。1個上の先輩はたくさんの言葉や尊敬を残してった。本当にかっこよかった。そんな先輩のように胸を張って引退したかった。だから3年のタイミングで辞めずに4年まで続けた。何か大学サッカーの意義というか、サッカー部のために何かを残さなければと思っていた。でも試合に勝てない下手糞のBチームの自分には何もできないんじゃないか、後輩は努力もしていない自分の言葉を聞くわけがない、自分が辞めてもチームにマイナスは無い、そう思ってしまった。それくらいサッカーにおいて自分が試合に出ること、勝つことが大事だった。過去のブログで「大学サッカーの意義はプレー以外にあるんじゃないか」なんて書いといて自分が一番勝ち負けに拘っていた。だから試合が無くなったタイミングで、部活を辞めた。
なぜ、復帰したか。それは先輩が応援してくれたから。
カッコ悪ぃよ もっとできるよ ぐだぐだ言わずやってみろよ
そんな言葉が嬉しかった。実際なんでもない言葉かもしれない。
これは後日談だが、当の本人は覚えてないらしい。(まじでなんなん…)
二ツ森にしか伝えられない思いを、経験を伝えることで後輩を救うことができるはずだ
全員に刺さらなくても、一人に刺さればいいんだよ
もう一度頑張ろうと思った。
試合の勝ち負けしか見えていなかった自分が、何を見ることができるのか
後輩とサッカーをする喜びなのか、サッカーをする環境への感謝なのか
最後の練習試合を終えて見えたものは 「ほめること」、「応援」だった。
最終節、たくさんのOBが見に来てくれた。自分の3個上の先輩も来てくれた。自分に置き換えて考えると、今の1年が4年になった時に試合を見に行くだろうか。すごいなって。
廣瀬に「久しぶりに安定してる二ツ森のプレーを見れた」と言われた。
素直に嬉しかった。最後やってよかったなって思った。
自分は良いプレーをしても喜ばないと言われたことがある。相手が弱かったから、トップの奴なら当然できる。そう思ってた。でもそれじゃダメで、いいプレーをしたら喜ぶ、試合に勝ったら喜ぶ、「自分を褒めること」が大事だと思った。それがあるからサッカーって楽しいんだと思う。もし、自分みたいに自己肯定感の低い奴がいたら、先輩が、同期が褒めてあげることが大事なんだと思う。自分はそれに救われた。だからこそ、人を褒めて、話を聞いて支えてあげられるのではないか。それが自分ができるサッカー部での、サッカー部OBとしての役割だ。最後の最後に一つの答えを見つけたと思っている。
一度辞めたことに後悔はしていません。ただ、復帰して良かったと心から思っています。大学に入ってからずっと「サッカーの辞め方」について考えていました。漫画のようにカッコいい、もしくは絶望的な終わり方なんて無くて、恐らく「あっけない」終わり方をする人がほとんどです。それでも、友人の言葉を借りるなら「一生サッカー人でありたい」と思います。普段は理屈っぽい自分にとってピッチの上は熱くなれる、感情をむき出しにできる唯一の場所です。ずっとそこに立っていたいです。
首脳、学連、大学、会計、班長、宴会部長、得点王…
様々な役職がサッカー部にはあります。もっとできた等、後悔はたくさんあると思います。だからと言って「あいつがやった方が良かったんじゃないか」「自分じゃなくてもよかった」なんて思う必要は絶対にありません。その人がやったから今の結果がある。それは誇りに思うべきです。これから役職に就く人、試合に出る人もそうです。選ばれたことに誇りを持っていい。自分を応援してくれる人がいる、自分を選んでくれた人は失敗しても支えてくれる、そう思って頑張ってください。
学生の特権は「やりたいことだけをやれる」ことにあります。単位を落とすことも、アルバイトでヘルプ先の店長が気に食わないなら殴って辞めることもできます。そんな中で、サッカーをやりたい奴だけが集まる「サッカー部」はすごい場所だし、かけがえのないものにしなければなりません。
今後、東北大学学友会蹴球部は全国を目指すのであれば、もっと大きい組織になるかもしれません。組織が大きくなればなるほど、不満を持つ人は増えるし、途中で辞めたくなる人は増えると思います。
サッカー部をもっと良くするためにも、居心地の良い場所、応援してもらえるチームにするためにも、「自分のいいところをわかってくれる」「出来たら褒めてくれる」、そして「褒められたら、ありがとうと素直に喜ぶ」そのような「欲しがるより与える側の人」が増えたらいいなと思います。
そういえば、サッカーについてのアドバイスをしていませんでした。
「球際」
以上です。
なんとか涙を流しながら書ききりました。どれだけ長いブログを書いても、もっと長い引退ブログが一番最後に投稿されることでしょう。
自分のサッカーに関わった同期、先輩、後輩、指導者、OBの方、家族、自分の代をかわいがってくれたアルバイト先の店長、様々な人に感謝しています。
本当にありがとうございました。
東北大学学友会蹴球部 Grazie!!