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遺言ブログ#9 過去を偲ぶ

お世話になっております。教育学部4年鬼澤大介です。

先日、仙台で雪が降りましたね。仙台に来て4回目の冬なのでそろそろ雪と寒さに慣れてきただろうと思っていましたが、全然慣れてませんでした。寒くて死にそうです。

さて、連日続いている遺言ブログリレーも(予定通り更新されていれば)僕で折り返しですね。ここから後半戦です!まだまだ癖の強い自分勝手な4年が続いていくのでどうぞお楽しみに!

それでは後半戦一発目の遺言ブログスタートです!

…とスラスラと書き始められればいいのですが何を書けばいいのかぼんやりとしか思い付いていません。なのでとりあえず「遺言」っぽく大学4年間の部活生活を偲んでいきたいと思います。

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1年目

4月の新歓はたくさんのところに顔を出していたという涼平とは打って変わって僕はサッカー部の練習とか新歓に参加していました。なんなら教育学部の集まりよりも優先してサッカーしてた気がします。ヤバいやつですね。さてそんなヤバいやつだった僕はただひたすらにサッカーだけをしてました。その時は本当にただひたすらにサッカーが楽しかった。それは自分がやりたいプレーをやりたいようにやれてたからです。たとえチームに迷惑をかけていたとしても。当時の僕はただサッカーだけやれてれば良いという気持ちでひとりよがりでした。僕はそこまで外交的な性格じゃないし、GKの練習はフィールドとは別でやることが多かったので同期、先輩の方々に関わらないでいました。その時はマジで同期よりも先輩の祥太郎さんとゆうひさんと話す方が圧倒的に多かったです。そんな僕の大学1年目は終始こんなふうにサッカーだけにのめり込んでた感じでした。

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二年目

2年目に入っても最初の方はまだサッカーだけにのめり込んでました。でもなんかあまり楽しく感じなくなってました。その時は年明けマラソン大会でぶっちぎりのビリを記録したり、春遠征でバックパスをからぶってオウンゴールを演出したり(これらは正確には1年目の出来事だけど)肘を脱臼・靭帯損傷したりとうまくいかないことがかさんでいました。満足にプレーすることが出来なかったり少なくなったりして(なんかうまくいかないな、つまんないな)って思ってました。そんな僕の鬱然とした気持ちを変えてくれたのは祥太郎さんです。祥太郎さんはその時酔っ払っていたので覚えていないかもしれないですが、「もっと仲間を大事にしろ」と言ってくれました。その時から僕なりにそれなりにほどほどにですが「仲間」を意識してサッカーしてました。「チームのために」、ありきたりな言葉ですがまさにこんな感じでした。そんな気持ちでサッカーしてるとそれまでの鬱然とした運気も変わって学生リーグに出場させてもらうチャンスが巡ってきました。味方のバックパスをキャッチするという超弩級の大失態を除いてなんとか無事に守り切ることが出来ました。その後の反省会(というなの飲み会)はとても楽しかったことを覚えています。そんな「仲間」の重要性を知り「仲間」に助けられ、「仲間」と楽しんだ一年でした。

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三年目

3年目は年明けマラソンでヒデとの激戦を制されぶっちぎりのビリ2連覇を達成するなど華々しい(?)開幕を迎えて始まりました。といってもこの年から例のあのウイルスの流行によって対面での部活が満足に出来ないという異例のシーズンでした。流行り病がひどい時には部活といってもオンラインで筋トレするくらいの時もありましたね。そんな調子ですから個人的にはこのシーズンはサッカーの思い出があまりありません。(強いて言うならアイリーグコモンセンス戦でパントキックイップスに陥ってボールが蹴れなくなってしまったことくらいです)でもその一方で裏方の仕事の大変さ・重要さを知りました。僕は一応用具班の班長を任されてました。ボール買ったり、感染対策グッズ買ったり、けっきょく頓挫したけどチームタオル作成しようとしたりなどなど意外にも大変でした。普段僕たちはなんともなしにサッカーしてるけどそれは当たり前のことなんかじゃなくて多くの支えがあってサッカーできてると痛感しました。

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四年目

最終学年となったこの年の僕を一つのキーワードで語るなら「PK献上」です。さらに言えばあのPKは僕のこの4年間の集大成といっても過言ではありません。このブログを読んで頂ければ分かると思いますが僕は純粋な心でサッカーをしていた時期があまりにも短いです。その素行の悪さみたいなものが大事な局面で失敗を生むのです。そういったメンタル的なオカルトチックな要素で実際のプレーへの影響は薄いだろうと皆さんは感じると思います。しかしそういったものが巡り巡って積み重なり大事なところでプレーに影響するのです。サッカーに正面から向き合う、真摯に付き合う。この気持ちが大事なのかもしれませんね。

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…なんか4年間振り返るだけでもだいぶ長くなってしまいましたね…

これだけでもう逝っても良い気がしますが「遺言」なのでもう少しだけ。

最後に自分から伝えたいことです。といっても僕はそんな人に教えを説くほど高尚な人間でも偉くもないので僕がサッカーを始めてから今まで大事にしてきたことを言いたいと思います。

一つ目、今を大切にすること。

人間万事塞翁が馬という諺があります。これは『一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ』を説く諺です。コロナはまさに人間万事塞翁が馬の状況です。当たり前だったことが当たり前じゃなくなる。そうなってしまってから過去のことを思い出しても遅いのです。大事なのは「今」です。「今」を生きることが急に来る状況の変化に対応する術だと思います。

二つ目、「疑問・問題とそれに対する自分なりの答えを常に持つこと」です。

かっこよく書いていますが、実はこれは誰しもがやっていることです。誰でもプレーや練習中には自分なりの意図を持って行動をしていると思います。僕はさらに突き詰めてその意図を言語化し、それが理論的に正しいのかを精査していってほしいと思っています。例えば風磨は練習中よく「挟んでキャッチしちゃうわ〜」と嘆いているのをよく耳にしますが、ではなぜ挟んでキャッチすることがいけないことなのでしょうか?また逆に挟み込まないキャッチをすることのメリットはなんでしょうか?と考えたことはありますか?「ただイメージ的に挟み込むキャッチングは良くないから」とかみたいなふんわりとした考えではだめですよ。合理的に理論的に通ずる考えを持つようにしてください。こう意識することでキャッチからポジショニングまで何にでもやるべきことが見つかるはずですし普段の練習は何倍にも有意義なものにすることができると思います。

三つ目、「もっと感情的になること」です。

東北大学蹴球部では時折「なぜ大学までサッカーをするのか」という話題を耳にします。僕が思うその理由は「サッカーが楽しいから」だと思います。そして東北大学蹴球部のスローガンには“ENJOY FOOTBALL”があります。これには自分たちが楽しむという意味が込められています。きっと皆さんも少なからずこのスローガンに共感していると思います。

僕はたまに「本当に楽しめてるのかな」と疑問に感じる時があります。それは普段の練習中です。個人的な感想なのですがみんな黙々と練習をしすぎだなと思っています。もちろん寡黙に練習することが悪いわけではありませんが、例えばシュート練習の時に止められたり外したりしたらもっと悔しがっていいと思うし、決めたらもっともっと嬉しがっていいと思います。(なんならGKを煽ってもいいくらいだと思います。)今のは一例ですがサッカーを楽しむにはもっと感情豊かになるべきだと思います。ぶっちゃけ、GKだけとか一部の人だけが盛り上がっているだけの練習はあまりよろしくないと思いますよ。

まず自分たちが楽しむ、これができなければ他の多くの人を楽しませることはまず無理だと思います。

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ここら辺で僕の遺言は終わりにしたいと思います。

最後に

GK陣のみんなへ

みんなとても上手くて毎日が刺激的でした。田中は足元上手いし、茂野はGKとして万能だし、風磨はシュートストップがうまい、板橋はキック力がえげつないし、大上はデカイし、一戸は一対一がうまい。来年以降誰が試合に出るか想像もつきません。みんなに可能性があると思っています。応援しています。

父さん、母さんへ

今まで応援してくれたり支えてくれてありがとうございます。多分大学に入ってからはほとんど直にサッカーを見てもらう機会がなかったのですごい残念に思います。それでもこれまでやって来れたのは間違いなく父さんと母さんの応援があってのことだと思います。本当にありがとうございました。

最後の最後に

今までの僕のサッカー人生に関わってくれた全ての皆さん、本当にありがとうございました‼︎

さてこれで終わりです。明日は誰が遺言を遺していくのかな?お楽しみに‼︎

それでは、再见‼︎

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