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#10 PASSIONとの葛藤

私のブログを待ちわびていた後輩の皆さんを始め、これを読んでくれている皆さんこんばんは!文学部4年 更級匠です。今回はこのような機会なので最低限のリテラシーの元、好き勝手に書かせて頂きたいと思いますが、そんな中で読んでくれている皆さんになにかひとつでも伝わるもの、心に残るものがあれば幸いです!

それではまずは、先週の更級匠の活動報告です!
17日 卒論、バイト
18日卒論、バイト
19日麻雀、バイト
20日卒論、バイト
21日卒論、バイト
22日卒論
23日卒論、バイト
.........
もう涙で前が見えないので、書けなさそうです。卒論に夜まで拘束された後、自転車でラーメン屋に行く公生さんと柴田さんをマックの上から見下ろしていた1年前、こうはなるまいと思っていたのですが、まんまと同じ流れを歩んでいるようです。サッカー部引退後のセカンドキャリアはプロ麻雀師と決めていたのですが、このような毎日では、渋谷アベマズ入団は遠のくばかりです。BEASTなら再来年ぐらいに、とか言っちゃダメか。笑 卒論以外は麻雀に時間を使いたいところですが、私がいなければバイト先は回らないと言っても過言ではありません。できる人間というのはこういった苦労があるのです。(ヽ´ω`)トホホ・・(バ先の人が誰も見ていないことを切実に願います)。そんなバイト先には3ヶ月ほど前からサッカー部の後輩を何人か紹介して働いてくれています。特にみつきくんは先月22日間も出勤したようです。こんな即戦力を紹介した私は、サッカーのスカウトマンだったら絶対ボーナス出るよな。昇給するべきだろ、とか思ってたら先月からほんとに時給が上がりました。みつき、ありがとう。これからも彼には僕の右腕として邁進して頂こうと思います。まだまだしんどい毎日が続きますが、「ゴールは近い!」と自分に言い聞かせ、僕を待ってくれているお客様への接客へと歩みを進めてまいりたいと思います。
と、喋りすぎましたね。では本題に移ろうと思います。私の大学サッカーの4年間、の振り返りスタートです!(ここから真面目に書きます。笑)

1年生
入学前からサッカー部に入ると決めていた。新歓で出会った高井、悠太、蓮、大貴ら辺と河川敷等でサッカーする半年だった。コロナで全然部活は始まらない。でも自分のモチベーションはあんまり落ちなかった。蓮と一緒にラントレしたり、悠太と大雨の中シュート練したり、高井と悠太とわけわかんないほど汚いグラウンドで国際サッカーサークルに混ざったのが懐かしい。
でもいざ始まってみると自分のサッカーは全然通用しなかった。高校時代頑張っていた自負のあった守備は、基本から疑うほどに酷く、もはや自分の弱点だった。初めてやるスリーバックのウイング。出る試合出る試合、辛かった。自分のところにボールが回ってくる時にはもう疲弊していて、何も出来なかった。結局絡めたのは最後のIリーグ2試合くらい。同じポジションだった力輝が、学生リーグの最後の方で点を取ったのを覚えている。悔しかった。ベンチにすら座ってない自分。モヤモヤとイライラ。自分を使えと思うことすらできなかった。しかしイライラが募ったのか何故か人に矢印が向いてしまっていたなと今では思う。


1年の最後に出た新人戦も自信とは裏腹に活躍できなかった。

(写真)
2年生
悔しくて筋トレを始めた。もう何をどうすればいいのか分からなかったけど、守備の改善のため、これから試合に出るためには、体は変えないといけないことは明確だった。オフの筋トレの成果もあってかシーズン序盤からIリーグにもスタメンでコンスタントに出場し、その年のIリーグは、稀に見る好成績だった。学生リーグ開幕戦、大きくリードしていた終盤、おまけで出して貰えた。調子に乗っていた。個人で見れば何も残せていなかったにもかかわらず、先輩に助けられて得た成績で満足してしまっていた。宮本さんが確かブログで「なかなか課題が変わらない選手がいた」と書いていて、自分はまさにその選手だったと思う。ほんとに成長出来ていなかった。学生リーグにもこの年からメンバーに入れてもらっていたが、交代の枠として見られていた訳ではなかった。誰もいなかったからベンチに入れてもらっていた。スタメンの遠藤さんの代わりなど務まるはずもなかった。でもチームには勝って欲しくて、心のどこかで自分は代わりが務まらないと思っていたから、自分が学生リーグに出たいという思いはいつしか消え、「何とか遠藤さん、90分もってくれ」などと思う、舐めた気持ち、情けない選手だった。そんな情けなさと慢心のふたつの気持ちが自分の中にずっとあった。そうした迷いの中でも何かを決心することが出来ずにダラダラと無駄な時間を過ごしてしまったと思う。

Iリーグ開幕戦、通称くりくんにボコボコにされた。


3年生
なにか変えたいと思って筋トレの日数を増やしたり、栄養管理もするようになった。特に夏場はコンディションが崩れがちだったからノートにまとめて体の動きのいい日のご飯とかは徐々に頻度を増やしたりした(ちなみにおすすめは親子丼です。)。何よりもこのチームで勝ちたいと、強く思った。2年の時から、練習の雰囲気の悪さは改善すべきだと思っていたから、上学年となって、自分が声を出したり、後輩も声を出しやすい雰囲気にしたくて意識した。当時の4年生が気さくだったことも大きく影響したと思うが、前年よりはいい雰囲気で1年できたのではないかと思う。けどなかなかプレーでは力にはなれなかったと思う。宮本さんや知之進さんが言ってることが全然分からなかった。今までどれだけ何も考えずサッカーをしてきたのか痛感するような1年だった。それでも蓮とか知之進さんとかに、プレー中何を考えてるのか、どんなことを確認してるのか、聞いたり自分なりに考えたりして、抗ったことはその後の糧になったと思う。結局は全然納得いく活躍はできなかった。チームに勝って欲しいという思いと、自分の現状のギャップに、もはや何を目指して、何が楽しくてサッカーしてるのか分からなかった。4年間の中で1番辛かった。結構引退も考えた。

個人としては辛かったけど、一個うえの代とはいい思い出も沢山ある。


4年生
なんで吹っ切れたのか忘れたけど、あと1年、全力でサッカーに向き合おうと思った。ここでやれなきゃ一生後悔すると思ったし、現状のままでは、自分のサッカー人生の終わりをピッチの外で迎えることになるなと思った。それだけは嫌だった。
今までほぼ毎週出てたバイトは試合前は1回も入らなかった。禁酒もした。3年の初めで少し疎かになっていた筋トレにも取り組んだ。人によっては当たり前だと思えるような事だけど、自分にとっては当たり前じゃなかったし、そうした小さな意識の変化は自信に繋がった。実際、学生リーグの出場時間はほぼ毎回あった。今まで出るのが怖かった学生リーグ。「自分を出せ」って思えた。この最後の1年、サッカーへの取り組みに関して何一つ後悔はない。自分のサッカー人生で1番いい状態だと思えた9月の北定。スタメン起用だった。試しの意味合いも強かったと思うけど、ここが勝負だと思った。前半終了間際のライン際でファウルを受けて、足首を捻った。すぐ出来ると思ったけど、立ってワンプレーして、無理だと悟った。診断結果は靭帯損傷だった。こんな時期に怪我するなんて、と思ったけど、2年3年と長い時間を無駄にした自分への報いだなとも思った。と、言うより、その時間をもっと努力に使えていたら、この怪我もそんなに大きな意味を持たなかったかもしれないと思った。

北定

それでも引退前最後の試合、学院戦。ピッチの上で試合終了の笛を聞けたのは、4年生になって、吹っ切ってサッカーに打ち込めたからだと思う。そうゆう意味でやりきったなという気持ちもある。試合が終わったその時は、色んな人への感謝、達成感でいっぱいだった。

最後のドリブル突破、中見せて縦しかければ、、と今でもたまに思う。


改めて見ると自分の4年間は基準の低いものだったと思う。だからチームを引っ張る選手になりきれなかったのだと。それでも最後、真剣に取り組んで、4年間葛藤しながらもやりきったからこそ、自分の弱みを知ることが出来たし、今、この充実感があると思う。
とても長くなってしまいましたね 笑
最後に感謝を述べたいと思います。
サッカーを通じて多くの人とのかけがいのない出会いを得られました。地元に帰って会ういつものメンバーの大半はサッカークラブで一緒だったヤツらだし、会話をしなくても分かり合えるような、そんな相棒みたいな人にもサッカーを通して出会いました。自分にサッカーの楽しさを教えてくれた翔平コーチ、榎さんや古山さん、橋本さん等々、大学時代以外でも、サッカーをしていなければ出会えなかった、尊敬する人達にも沢山出会いました。そんな出会いに感謝したいと思います。本当にありがとうございます。
そのうえで、大学で関わった方々へ。

後輩の皆さんへ
自分に勝ってください。日常の些細な瞬間、筋トレしてる瞬間、トレーニング中、楽な方に流れそうな時、「ほんとにそれでいいのか?もっとできるんじゃないの?」と自分に問いかけてください。その問いかけに勝った時、きっと大きく成長できるはずだし、何より大きな自信を得られるはずだと思います。特に3年生、来年期待しています。

先輩の皆さんへ
このブログを読んでくれている人がどれだけいるか分かりませんが、自分は生意気で慕われるタイプではなかったと思います。それでも、皆様の勝利にかける姿勢、責任感に引っ張られて最後まで取り組めたと思います。ありがとうございました。

同期の皆さんへ
意外と雰囲気が嫌いじゃないという話を聞いて驚いています。ぜひまた集まりましょう。そして、最後までチームの中心として活躍してくれた、悠太、高井、野村、蓮、本当にありがとう。来年も東北大が1部で戦えるのは君たちのおかげです。

両親へ
ここまで支えてくれたことに感謝します。自分とサッカーとの出会いやこれまでの取り組みで何か一つでも返せていたらいいなと思います。ここでサッカープレイヤーとしての人生は一旦終わろうと思いますが、更級匠人生第2章、会社員編も引き続きお楽しみ頂けたら幸いです。

すごく長く書かせて頂きました。これを書き終わっている、今、なんと卒論は残り300文字まで進んでいます。もう余裕なので、いい気持ちでバイトに行けそうです。
それでは皆さん、またどこかでお会いしましょう。じゃあね👋



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