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伊藤文学の問題発言についてⅡ

『Daily WiLL Online』様で「リケジョと呼ばないで」の動画について、記事が掲載されています。

 高校生が作った動画とされますが、そのバックの市民団体が、何だかヤバい感じで……どうぞご愛顧のほどお願いいたします!

 ――さて、ややこしいですが今回、新規記事です。
 同性愛者と幼い少年とのセックスを何十年にも渡って称揚し続けた児童への性的虐待の旗手、伊藤文学。そしてその彼をひたすら崇拝し続けるフェミニストや左派。
 今回はそんな伊藤の問題発言から前回採り零したものを、そしてまた、伊藤の後を継ぐ同人誌版『薔薇族』の情報も少し、お伝えしましょう。


薔薇を散らせはしまい―『薔薇族』と共に歩んだ22年』批評社、1993。

「僕の子供がホモだとしても」

 今回ご紹介する『薔薇を散らせはしまい』は特に章立てがないコラム集なので、上のようにそれぞれのタイトルを「」に入れて見出しにすることにします。

いつか少年愛の人が訪ねてきて、自分が写した何十人もの少年の写真のコレクションを見せてくれたことがありました。どれもこれも、はだかのものなのです。こういう写真をとれるということは、相手に警戒心をおこさせない人だということです。はっきりと自分のことはいわないから、その人がどんな職業をもった人か分かりませんが、おそらく、学校の先生だと思うのです。
 自分の息子と同じくらいの子供たちが、はだかで、いろんなポーズをとっている写真を見て、ショックを受けないといえばうそになるでしょう。自分の息子がそんな写真をとられていたら、親である僕はどうするだろうか。
 まあ、そのときのことは、そのときに考えなければ、なんともいえないけれど、自分の息子がホモであったら、これは僕自身「薔薇族」を刊行し、たくさんの読者にも会って、ある程度は理解しているのだから知らなけりゃびっくりもするでしょうが、今の僕なら、べつにおどろきもしないと思うのです。そんなことでおどろくぐらいなら、自信をもって『薔薇族』を刊行し続けてはいけないでしょうから。
(58p)

 伊藤には二人の息子がおり、当時、上の子は六年生だったといいます。
 いやらしいのは「変質者が何十人もの子供を瞞し、ヌード写真を撮っている」という事案を「僕の子供がホモだとしても」との意味のない仮定にすり替えている点。
「子供がホモでも差別しまちぇ~ん」という格好のいい宣言によって「薄汚い性犯罪者」の行状をロンダリングしようとしたのでしょうが、読む側にしてみれば「子供が変質者の毒牙にかかっても構いません」と言っているかのような印象を受けます。

 僕の子供がホモだって、僕はちっともおどろきゃしません。人間が、人間を愛するんだから、男が、男を好きになったって、いいじゃないか。
(59p)

 あぁ、そうですか。

「なんとも、いまわしい本が出たものだ!」

 ジャーニー喜多川の性的虐待に関しても、ずっと擁護の立場です。
 何十年にも渡って児童への性的虐待を称揚し続けた伊藤は左派から一流文化人として崇拝され続けていますが、何十年にも渡ってそれを実際に行動に移していた者は、この国ではメディアの王として君臨し続けていました。
 日本はまさに誰もペドに逆らうことのできぬペド帝国なんですね。
 さて、上の「いまわしい本」というのは北公次『光GENJIへ』のこと。
 北は元・フォーリーブス(といっても若い方はご存じないでしょうが、大昔のジャニーズアイドルです)の一員であり、ジャーニーから受けた性的暴行についての暴露本を出し、世間から黙殺されたといったことがあったのですが、唯一、伊藤はそれに過剰反応したのです。

この本を読んで、一番嫌だったことは、同性愛が汚らしいこと、罪悪であるということを前提にして書かれているということだ。
(346p)

 何と、北はホモ差別者でけしからんと居直るのです!!
 力関係で勝てない相手に(まだ二十歳前であろう時に)性行為を強要されたことを、やっとのことで告白した者に対し、「差別だ」。
 ホモはそんなことすらもが許される方のセクシュアリティ、なのでしょうか。
 いえ、続けて伊藤は枕営業を悪いことでも何でもないと大肯定します。

 たとえ事実だとしても、世間には男と女の関係ではよくある話ではないか。新人の女性タレントを売り出すためにはプロダクションの社長、それを売り出すためにマスコミの人に抱かせるというような話はよく聞く話だ。
 それが、なぜ男と男だといけないのか? それが不思議ではある。
(347p)

 男でも女でも枕の強要はOK。男女平等ですね。
 フェミニストの皆様方が伊藤の味方となり、批判する者を恫喝するのも当然です。
 もっとも、伊藤はいついかなる場合も、強固な信念を持ってブレなく「児童への性的虐待は正義」と主張していたというわけではありません。

「少年愛の読者諸君、今こそブレーキを!」

 1989年、連続幼女誘拐殺人事件が起こっていた時期には、「子供に手を出してはならぬ」という投書を紹介しています。

『薔薇族』の編集長として、切にみなさんにお願いします。つらいかもしれないけれど、直接行動に走ることだけはやめてください。
(363p)

「少年愛って悲しいな!」

 また少年に対する事件が起きていた時期にも読者からの投書を織り交ぜ、近い主張がなされています。

“伊藤さん、少年愛の人に、とにかく自重するように呼びかけてください。よろしくお願いします”

 子供とは精神的に付き合うのが精いっぱい。からだを求めたいと思ったことは何度もあるけど、悪いことだと、いつも想像だけで、がまんしてしまう。

 少年愛の人って、本当につらいだろうと、いつも思う。精神的なもので満足感を得て、性欲は他に発散する何かを持って生きていくしかないだろう。
(404-405p)

 ちなみに上の二段が投書であり、最後の段が伊藤の意見なのですが、なるほど、ここだけ読めば彼は少年愛者に常識を説くまともな人間のように思えます。
 ところがこれらも『薔薇を散らせはしまい』、つまり先の「子供のヌード写真を収集している変質者」の記事と同じ本に載っているものなのです。
 つまり事件が起こるなどして不利な時には場当たり的に常識論を説き、しかし喉元過ぎると本音を吐露し出す、というのが彼のやり方なのです。
 伊藤を称揚するフェミニストたちは、ぼくの指摘する問題発言を頑として認めませんでしたが、上のような常識を説いている箇所については、一体全体どういうわけか実に目ざとく見つけてきて、こちらに突きつけてきました。
 しかし今回の記事、そして前回記事をお読みいただいた方はもう、確信を持つことができたことでしょう。
 伊藤文学は長きの間、児童への性的虐待を称揚し続けてきた悪魔、なのです。

 ――ところで伊藤、いまだ存命なのですが2011年に『薔薇族』編集長を「勇退」しています。
 現在でも『薔薇族』はSage/セージという若手の変臭者、否、編集者を迎え、同人誌として継続中。この人物は「この当時のホモは(今の少年愛者のように)強烈に差別されていた(2022年夏号、6p)」などと関係ない場面でも少年愛者を引きあいに出して、同性愛者以上の苦難を受けるマイノリティであるかのように語っており、「『薔薇族』の魂」を受け継いでいるとしか言いようのない御仁。
 ここ数年のものを見ても、読者投稿という形ですが畑一麦という少年愛者の書いた文章を幾度も掲載しています。
 子細に見ていくほどのものではありませんが、この畑の記事について、軽くポイントだけご説明しましょう。

「少年愛者が語る希望の未来」(2021年春号)

この感覚は、ひと昔前の同性愛者と通じるものかもしれない。
(11p)

 世界的な評判からすると、現代日本の特徴的な文化として、アニメとマンガの興隆は見逃せないだろう。作品の質量の豊かさは、必然的に「ショタコン」向けの作品の豊饒さとなっている。
(11p)

 編集長同様(そして白饅頭など左派寄りの御仁同様)「同性愛者も以前まで差別されていたのだ」といったロジックで少年愛者を正当化してみせ、オタク的「ショタ」表現を「少年愛」と同じものだと勘違いする(ことで仲間がいるのだと妄想する)のが彼の流儀のようです。

「「少年愛者」自身が読む、『「小児性愛」という病――それは、愛ではない』」(2020年秋号)

 ぼくも以前レビューした斉藤章佳師匠の著作の書評です。

 本書についてはぼくも酷評しましたが、それは斉藤師匠が重篤なフェミ信者だからであり、「ペドファイルは子供とのセックスを悪いことではないのだと盲信する傾向にある」という指摘自体は正しいものとして評価していたかと思います。
 さて、では畑の評がどんなものか。
「ヘテロセクシャル男性が女性をレイプしてもそれは個人の犯罪であり、ヘテロセクシャル男性全体の問題とはされまい。ところが著者は小児性愛者を性犯罪者と混同している(大意)」。
 これまた青識亜論など左派寄りの論者のお決まりの文句であり、もちろん、これそのものは正しい。
 しかしフェミ信者である斉藤師匠は本書において「ヘテロセクシャル男性全体を性犯罪者と混同している」のだから、批判としてピントがずれているのです。あまりちゃんと読まず、決まり文句を口にしているだけなんじゃないでしょうか。
 細かいことだと思われるかも知れませんが、斉藤は「ペドと普通のヘテロセクシャル」をいっしょくたにして断罪していますが、畑や青識もまた「ペドと普通のヘテロセクシャル」をいっしょくたにして正当化しようとしている。「合意のセックス、否、ポルノの収集という行為すらもがペドの場合、加害となる」という明白な事実を、ここで彼らは不誠実にもスルーしている。
 そしてそんな両者共が政治的スタンスは左派であるのは重要で(畑のスタンスは知りませんが、青識はそうでしょう)、要するにこんなの、子供の立場など歯牙にもかけず左翼同士が「俺の好きにさせろ」と山小屋でどつきあっているだけの話なのです。
 一応、公平を期するために書いておけば、彼も「少年愛者が語る希望の未来」において「少年への性的虐待は論外」と言ってはいます。

本来言う必要もないことだが、あらためて言葉にすると、少年への性的虐待などは私にとって論外の行為であり、少年を傷つけたいなどとは露ほども思わない。魅力を感じるものを、貶めようと思わないのは当然のことだ。
(11p)

 ここだけ読めば、彼もまた常識人のように思われます。
 しかし上の「性的虐待」とは、厳密にはどのような意味で言っているのか。斉藤の本にも書かれてている通り、ペドファイルは非常に往々にして「子供とセックスは性的虐待に当たらない」と考えているのです。そうした肝心な点で論点をぼかし、明言を避けるという戦略は伊藤もよく使っていたところ。
 もし畑が本当に「合意だろうと子供とのセックスはするべきでない」と考えているのであれば、かつての伊藤の言を批判すべきなのですが、それはなされません(当たり前と言えば当たり前ですが)。
 実のところ畑は別な記事では少年と性交渉を持ったことはないと明言しており(2020年春号、11p)、ぼくも彼をことさらに非難しようとは思いませんが、ぶっちゃけ「信用できないなあ」というのが率直なところです。

 まとめに入りましょう。
「やらないか」で一世を風靡した山川純一作品。
 近年の伊藤はこれを積極的に商売のタネにしていますが、考えてみればこのヤマジュンのタッチって当時の少女漫画のものですよね。伊藤は男性だとしていますが、そんなことから女性説も囁かれています。
 実際、ホモである編集者たちはこの絵を好まず、掲載に猛反対したのを、伊藤が強引に掲載し続けたのです。
 考えれば『薔薇族』自体、初期に表紙を描いていたのは内藤ルネという、少女画の大家で女性に人気のあった人物です。よく表紙を見れば描かれる男の瞳は少々、少女漫画的です。
 要するにヘテロセクシャルである伊藤は、同時に少女趣味めいた感性の主でもあり、『薔薇族』はそうした伊藤のシュミを推し出す場でもあった。(そんなこともあってかホモに評判の悪い)伊藤がフェミニストたちの絶大な支持を受けるのは、その辺りも理由なのかも知れません。
 そして伊藤の抜けた同人版でも、そこは受け継がれているようです。編集長のSageは誌面で実に饒舌に少女漫画に言及します。近年騒がれた大泉サロンの件(竹宮恵子と萩尾望都の確執)についても長文の記事が掲載されており、ついつい読んでしまいました。
 そして、先にも述べたような少年愛者の「ショタ」への(自分たちのための表現であると勘違いしての)言及――。

 少女漫画家、そしてBL作家でも貴腐人的な世代の人は、「少年愛」という言葉を使う傾向があります。が、もちろんそれと『薔薇族』的な意味での「少年愛」とは、(畑や伊藤の切なる願いとは裏腹に)何ら関係のないもの。
 そしてまた欧米の少年愛者は自らを「BL(ボーイラバーズ)」と称するのですが、これまたもちろん腐女子の言うBL(ボーイズラブ)とは一切の関係がない。
 ジャニーズもそうで、その商品である美少年タレントは専ら女子に向けて出荷されているわけで、(ジャーニーを除く)少年愛者など歯牙にもかけていないことは自明です。
 ジャニーズやBL、ショタ文化を自分たちに近しいものだと信じたがる少年愛者たちは哀れではあるけれども、それはそうした文化が彼らの歪んだ世界観(子供とのセックスは許されるのだ)を正当化するツールに不正使用されているということでもある。
 そしてさらに、BLやショタ文化がそうした彼らに対して毅然とした態度を取ってきたのであれば、ぼくももう少しエラそうなことを言えるのですが、ぼくたちの上にいる腐女子や左派はむしろ少年愛者に、伊藤に無限の手揉みを続けて来た連中です。
(今ちょっと見てたら極左のオタク洗脳サイト「おたぽる」で『薔薇族の人びと』を採り挙げて絶賛してんのね)
 いつも言うように表現の自由クラスタなど、オタクのインフルエンサーとして振る舞っている連中は極左であり、フェミニストが大好きである。
 同時に彼らは極めてペドファイルに擁護的であり、子供とのセックスも悪いと考えていない節がある。
 フェミニストもまた腐フェミなどオタクに距離の近い者が多く、彼女らはペドファイルに擁護的である。
 これらから見えてくるのは、左派が、フェミが、共にオタクを「ペド類似物」として自分たちの政治の駒に使おうとしている姿です。
 そして――自分たちをオタクの友だちであると勘違いをしてしまっている『薔薇族』もまた、実のところ彼ら彼女らと非常に近い存在なのではないでしょうか。

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