コロナ禍の面白い出会いをひとつ

『不適切にもほどがある!』
面白いドラマですよね!

たくさんの人に受け入れられた要素の1つは、
あのとき、あの時代の空気感を分かること、
分からないことの両面性だと思います。

分かる人は共感できて、
分からない人はギャップを感じて、
そこに面白さを見出せるわけです。

コロナ禍を経た僕らも、
いつかあの時期を振り返ったとき
楽しかったことを思い出せるのかな。
あの時代を知らない人が見たら、
笑ってしまうのかも。


今回は、コロナ禍だからこそ起きたこと、
それに伴った出会いについて、お話しします。



2020年4月15日、
僕は栃木県日光市を訪れていました。

お客様が山奥にある工場で、
打ち合わせに来ていたのです。

会議を終えた帰り道、電車が来るまでの間、
駅前のお土産物屋を物色していたところ、
レジの横に大きな段ボール箱が置かれているのを目にしました。
中にはお菓子の箱詰めや袋がぎっしり。

どうしたんだろうと眺めていると、

『好きなだけ持っていっていいよ』

レジに座っていたお婆さんが話します。

『明日からしばらくこの店を閉めるの
お客様も来ないし、
お菓子は日持ちしないからね。
残ってても捨てるしかないの』


そういえば、
1年前とはうってかわって
駅前のバス停には観光者らしき人が
1人もいない。

いるのは地元の人か、
自分のようにトランクを抱えた人が
1人2人いる程度。

いきなりそんなことを言われて

『あざーす!』

と言えるほどお調子者でもない僕は、

『ありがとうございます。
それじゃ折角だし、この中から
幾つか買わせてもらいますよ』

そう言ってポテトチップスやお饅頭に
手を伸ばしました。

『いいのいいの、お気持ちだけで。
ありがとうね』

お婆さんはそう言って断ります。

とはいえ僕も、
そもそも何がお土産を買おうとして
このお店を覗いたわけで、

『ちょうど、実家にカステラや、
祖母にお漬物を買いたいんです』

そう言いながら
お店の商品の幾つかを手にとって、
レジへ向かいました。

『ありがとうね。
それじゃこれは、おまけだから』

お婆さんは大きな紙袋に
お菓子を溢れるほど詰めて、
僕に渡してくれました。

『お店が開く頃に、また来てね』

僕が買ったお土産は5,000円程度。
紙袋の中には、
明らかにそれよりも高額になるほど、
沢山のお菓子が入っていました。

帰りの電車で、
僕は同僚に貰ったお菓子を配りつつ、
この話をしました。

そうして、また来たときに
あのお店が開いていたなら、
お土産をたくさん買おうと誓ったのです。





それから約1年後。

僕はまたあのお土産物屋を訪れました。
1年経つ間も、
何度か日光には訪れてはいました。
けれどずっとお店のシャッターは
閉められたまま。

閉店してしまったのかも。
そう思いながら来るたびに眺めていたのです。

僕は嬉しくなって、
おばあさんに挨拶しました。
そして、1年前の約束を果たしに来たと、
カゴいっぱいにお菓子を詰めて
レジ台に載せました。

お婆さんは、
すごく嬉しそうにはにかみ、

『ありがとうね、嬉しいよ』

そう言いながら、
商品の醤油や漬け物に手を伸ばし、
紙袋の中に入れてくれました。

『これは気持ちだから』

『いやいや、受け取れないよ』

『いいの、受け取ってちょうだい』

押し問答の末、やむなく受け取りました。

『それじゃ、また来る時は、
僕からお婆ちゃんにお土産を持ってくるから』

そう、約束したのでした。



そこから少し間を置き、約半年後。

地元のお菓子や神奈川名物の焼売などを
袋いっぱいに買い漁り、
客先との打ち合わせへ向かう前に、
お婆ちゃんのいるお土産物屋に
立ち寄りました。

お婆ちゃんは以前と変わらず、
レジの向こうで座っていました。


僕のことを覚えているだろうか。

そう思いながらも勇気を出して、

『覚えてますか?
以前にお菓子をたくさん貰って、
その時に、今度来たときは
お土産を持ってくると約束してたんです』


お婆ちゃんは
『そうだったっけねぇ。
ごめんね、お婆さんだからすぐ忘れちゃって』

そう言って頭をかきながら謝ります。

お土産を渡すのに躊躇している僕を
見かねたお婆ちゃんの娘さんが、

『あったわねえ、
ほらコロナでお店を閉めるとき』

そう言ってフォローしてくれました。

するとお婆ちゃんは、
徐々に思い出したのか、

『そういえば、お菓子を大量に
捨てなきゃいけないときがあったねえ。
そう、あのときの』

お婆ちゃんは嬉しそうに微笑みました。

『これ、約束のお土産です』

『まあまあ、こんなに。
あら横浜の焼売。
お婆ちゃんこれ大好きなの』

その時のお婆ちゃんと娘さんの顔を見て、
心から良かったと思いました。

お婆ちゃんは、
『お名前は何ていうの?私はね、これ』
そう言って名刺を渡してくれました。

受け取ったからには、
こちらもお渡しするのが筋というもの。
僕史上、最高齢との名刺交換です。

『まあ、こんな立派な方が
今どきいらっしゃるのね。
よかったらコレ持ってって』

『だめだよお婆ちゃん。
今回は僕がプレゼントしに来たんだから。
それにこれから、お客さんのとこで
打ち合わせだから』

『受け取ってあげてください。
お婆ちゃんはあなたに
受け取ってもらえることが嬉しいんだから』

『あなたは独身?
よかったらうちの孫も持ってって。
その辺にいるから』


『いやいやいやいや、
独身だけどそれはダメだよ』

隣の娘さんの顔を見ると、
ニコニコしながら僕の顔を眺めています。

娘さん、そこは止めなきゃダメですよ!



あれからもう1年以上が経ち、
僕は仕事が一区切りついたこともあって
日光出張することが無くなりました。

お婆ちゃんとはそれきりで、
ずっとお店には伺えていないままです。

何年後か何十年後か、
コロナ禍を思い出すたび、
僕はきっとこの出来事を思い出すのです。

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