幸せとはなんだ?

あなたの周りには、
友人と呼べる人はどれだけいるでしょうか?

その人とは
心が通じ合っていると思えるでしょうか?

恋人は?婚約者は?家族は?

もしもあなたが1人なら、
今の自分に、どんな自分に、
満足をしているのでしょうか?

満足とは、
『満ち』『足りる』状態を指す言葉。

ネガティヴでマイナスな情報ばかりの世の中で
それでもなお溢れんばかり、
そんなポジティブでプラスな要素とは、
一体どこにあるのだろう。


この世界は楽しい?


あなたの現実はあらゆる空想に勝っている?


あなたはいま、幸せ?


この間、ふと気づいたことがあります。


僕は子供の頃から
『優れた人はなんでも優れていて、
どこでも賞賛を受けている』
と思っていた。


いままでの人生を振り返ると、
幸せと感じたことなんてほとんど無くて、
いつも苦しさばかり感じていた。

自分らどうしても、
人から賞賛を受けても
決して満足できない。

その理由が分かったんです。

どうやって気づいたか、
ここに書き記しておきます。



昨年秋から今年の3月頭までの約半年間、
会社の研修でビジネススクールの講義を
受けていました。

参加していたのは、
グループ会社それぞれから集められた
30〜40代の選抜メンバー40名弱。
いわゆる企業の若手幹部候補生たちです。

業種の分野は多岐に渡り、
人事や広報、設計や研究開発員、
現場責任者まで様々いました。

みんな、すでに今の日本を支えている、
そう言って差し支えないメンバーです。
なにしろ、原子力を始めとする発電設備やら
大型プラントやら半導体やら、
果ては医療分野の研究者もいましたから。

そんな分野の将来を担う、
中堅の人たちなのです。

手前味噌になりますが、僕自身は、
研修の中では講師へ積極的に質問して、
意見を出して、活発に議論をして、
おそらく参加者の中では
指折りに熱心だったと思います。

客観的判断として、
毎回意見を出す人は
自分を含めて3人くらいしかいなかった。

たとえどんなに優秀な人が集まっても、
集まってしまうと
そのくらいの割合になってしまうのでしょう。

全員優れたチームというものは、
これまで見たことがありません。

課題図書を繰り返し読んで、
ノートを作って、講義に挑む、
とにかく半年間、頑張ったと胸を張れるくらい
研修に取り組みました。

優秀な人たちに囲まれた本研修で、
自分が精一杯やったら、
果たしてどれだけ成果が出せるのか。

それを知りたかったのです。

自分は頑張ればできる。
その自信が欲しかったのです。

取り組んだ成果は、きちんと実を結びました。
最後の演習では全て上位にランクイン、
3演習のうち2つは、
参考回答にまで選ばれたのです。


最後の講義では、
『10年後の未来に向けて、目標を掲げる』
というお題を受けました。

グループ内の発表だけのはずだったのですが、
僕の発表に感銘を受けてくれたメンバーの1人が
みんなにも聞いてもらいたい、
と声をあげたことで、
お披露目することとなりました。

全員の前で数分間、私の発表が行われました。
読み終えると、
大勢の拍手がマイク越しに聞こえてきました。


みんなから賞賛された私のスピーチは、
こんな内容でした。



2034年3月、ついに私はここまで来た!

美しい妻とテーブルを囲み、
アフタヌーンティーを楽しみながら
庭で走り回る子供たちを眺める土曜の午後。
高層マンションで暮らしてみたこともあったが、
私たちには都会中心の生活は
性に合っていなかったようだ。

ブラジルから取り寄せた
好みのコービー豆を挽こうとすると、
妻が後ろから
「そのコーヒーに
よく合いそうなお菓子を作ったの」
と声をかけた。

オーブンを開くと、
プンと甘い匂いがリビングに立ち込める。
今日はアマンデーヌを焼いてくれたようだ。

毎晩遅くまでオフィスにこもって
仕事をする姿勢から
離れてどれくらい経っただろう。
私は今や、社外取締役となって、
新規事業のマネジメントを
サポートする立場となった。

近年では生成AIに多くの仕事が
取って代わられつつある。
率先して生成AI活用に向けた
業務環境の改善に取り組んでいた私は、
DX戦略導入のプロジェクトリーダーを
2年務め終えた日を境に会社を去った。

仕事1本槍の考えを排除し、
副業を始めたことが、功を奏したようだ。
人生が充実し始めたことで、
目の前の仕事以外にも視野が広がり、
私の能力はいっそう幅広く、
強く育っていった。

趣味の一環でやっていたコピーライティングも、
副業がてら初めてみたところ、
世間では概ね好評のようだ。

糸井重里、林真理子を輩出した
『宣伝会議賞』で金賞を受賞。
そこから一気に知名度が上がり、
数々の企業からオファーが
舞い込むようになってきた。
来月は、人気お笑い芸人とのコラボで
雑誌のエッセイがスタートする。
そろそろ打ち合わせの準備を始めなければ。

趣味で友人たちとやっていたダンス動画は、
あるときニュースに取り上げられて大バズリ!
友人の1人は振り付け師として
華々しくデビューを飾った。
今度の週末には振り付けを行った
アーティストのドームコンサートがあるそうだ。
妻と2人分の席を用意してくれているらしい。

「花と菓子折りをもって観に行こうか」

妻とどんな手土産が喜ばれるか話していると、
手元の携帯が鳴り響いた。

「先日発表された小説が
本屋大賞を受賞しましたよ!」

いやはや、
趣味が仕事になることはありがたいものの、
少々複雑な気持ちでもある。

「ありがとうございます。
編集部の方々にご助力いただいたお陰ですよ。」

「映画化に続き、
連続ドラマ化の話も来ています!
果てはアニメ化なんて話もきていて、
編集部はうれしい悲鳴ですよ!ワッハッハ!」

コーヒーを一口すすると、軽いため息が漏れた。
窓を開けて空を見上げると、
雲を裂くように1羽の大きな鳥が羽ばたいていた。

「いやはや、ずいぶん遠くまで来たものだ」


【宣言:2034年に向けて】
2034年、
私は私生活と仕事を両立させた
生活を実現するために、
いま行っている業務に留まることなく
様々な仕事をしています。
そのために私が今日からはじめることは
興味の湧くことに
迷わずチャレンジすることです!


これが大変に好評だったわけだが、
当の本人は全然舞い上がれなかった。

改めて読んでみてほしい。
よく見ると、
『あらゆるジャンルで成功を収めている人』
を思い描いていることが分かる。

小学生の頃、
スポーツのできる子、勉強のできる子に
憧れていた。
稀にいるどちらもできて容姿端麗な人を
理想像に掲げているのだ。

20年以上過ぎた今もなお、
僕はその偶像に縛られている。


その人たちが目に見えない点
(勉強、スポーツ、見た目以外)で
どんな様子なのかは一切知らない。

友達0かもしれないし、
家庭は崩壊気味かもしれない。

それでも、きっと人間の素養
(頭脳、肉体、容姿)に惹かれて、
そこしか目に映らなかったのだ。

彼ら彼女らは、
僕の夢であり幸せであり満足の象徴だった。


いま、彼ら彼女らと会ったら、
僕はどんなことを思うのだろう。

会社の研修でチヤホヤされても
浮かれることがなかった背景は、
仕事ではそうでもなかったり、
英語も技術も不勉強なことを、
僕自身の弱いところを
嫌になるくらい自覚しているためだ。

それ自体は決して悪いことばかりではない。
ただ、それがすべてでは絶対にない。

偶像を断ち切らなければ、
いつまでたっても僕の幸せを掴めない。

まったく自分というやつは、
相手の立場をイメージする力が乏しすぎる。

俯瞰してみよう。
客観してみよう。
そこからはじめて、
自分の視点で見てみよう。


その力が身につけば、きっとなにかが変わる。
僕の伸び代は、すごく大きいはずだ。
人間としてすごく大切な要素が、
そこに含まれているはずなのだから。

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