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願いは一方通行

こんにちは、山下珈琲店です。

願えば叶う?
叶わないよという方、半分当たっているかもしれません。
私は願うという行動は一方通行だと思っています。
たとえば神様に願う、平和を願うなど様々です。

願いにはこちらからの投げかけはありますが向こうからの返答はありません。
どんなに気持ちのこもった強い矢印であっても届いていないことも多々。
もちろん願いが叶うこともあります。
それは自分自身で動いたから。
私は願いという言葉は自分への決心だと考えています。
あの人とお付き合い出来ますように→あの人と付き合うぞ!
あの会社に入社出来ますように→あの会社に入るぞ!
そこからどうしたら達成出来るかを考え、動くから叶うと思っています。
だからこそ願うことは大切なのですが、願ったのにだめだったというのは少し異なる気がします。ダメにしたのは自分ということですね。

実は一方通行ではない願いも存在しています。
これは過去の記事にも書いた「縋る(すがる)」というお願いの仕方。
神様に直接お願いをした上で、「救います」と返答を頂いた場合です。

なんとかして家族を守りたい、自分自身に訪れている困難から救ってほしい。
強い気持ちを持った方がそれ以上、自分の力でどうにもならない場合に神様との縁が見えてくる場合があります。
ここで注意するのはその時にものやお金など強く求めてくるケースはほぼありません。もちろんお賽銭と同じようにご挨拶の封は用意しますが、お金がなければその旨を伝えてお菓子を持参した方もいます。これからの時代しっかり見抜く目と遠慮せずにありのままの自分を見せる素直さが必要です。

一度、縋った場合はその方が真摯に生きている場合はとことん守られます。
但し、道路交通法を超えたスピード違反などモラルに反する場合は例外です。
そして時には厳しいご指摘もあります。
願いと縋る、使い分けていけるといいですね。

これから目に見えない世界とのつながりが増えてくる中で注意することがあります。それは一般的に見えないものが見えるということはとても危険だということ。メディアの中でも見えることで注目されている方がいますが、多くの困難を伴っているはずです。私も見てみたい、もしくは私も見えるようになりたいと思う方はその気持ちを一旦リセットしたほうがいいかもしれません。

本日もお読み頂きありがとうございました。
素敵な1日となりますように。


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