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最初のあみもの

最近はかぎ針や棒針を使って作品を作っていますが、小さい頃は編み物とは無縁でした。祖母が編み物教室に通っていて、興味はありましたが、作っていたのはもっぱら布帛の人形の服でした。
18歳で文化服装学院に入り本格的に服作りを勉強し始めました。
3年生も後期に入り、あと半年で卒業というところで「工業ニット演習」なる教科が1週間に2コマ入ることになりました。
教科名から手編みはないだろうと思っていたら、最初は基礎。
7号の2本針と毛糸のクイーンアニーを渡され、いきなり棒針の練習です。。。。
1クラス生徒60名に対して先生は2人ですから、遅れている人に合わせてくれません。(文化服装学院の授業スタイル)
全く、なぜ編めていくのかが理解できず、服の勉強を始めて壁にぶち当たりました。
ほとんどの女の子は、自己流ながら編めるので、スイスイと進んでいきます。
私は、布帛ではできなかったことがまずなかったので、できない人に教えたり、やってあげたりしていたので、こういう時くらい教えて欲しかったのですが、声をかけても基本無視。。。。
むしろ普段できてる私ができないのを面白がられてるような(被害妄想??)感覚にまで落ち入り、すっかり棒針が嫌いに。。。
次の授業で5/0号のかぎ針が配られ、同じクイーンアニーで長編みの円の練習。
こちらは、難しいなりにもなんとか理解できました。
提出物はガーター編み、メリヤス編み、長編みのスワッチ。。。棒針は酷かったですが、なんとか出せました。
そして卒業までに、棒針、かぎ針、機械編みのどれかを使い小物以上のものを仕上げて提出すること。
布帛でほぼ完璧な成績だったので、ここで落とすわけにはいきませんでした。
棒針は構造自体わかっていないので却下。機械編みは授業中しかできないので却下。なんとかできるかぎ針でベレー帽を編むことにしました。
そうして冬休み。かぎ針を特訓しました。自分1人で練習するのは苦にならずできました。
2週間の休みのうちにスラスラと編めるようになり、スタイルブックなども買って、編み図を見てマフラーくらいは編めるようにもなっていました。
休み後、スラスラ編んでいることに、教えてくれなかった子達は驚いていました。
最後に直径30cmくらいの黒いベレー帽ができました。
ほんの少し簡単な模様編みも入れました。

最初に編んだベレー帽

その後数年は編み物からは離れていましたが、また結局再開することになります。
あのときできなかったことが、20年ほどの月日を経て、わずかばかりですが人様からお金も頂いてることに驚いています。

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