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「僕らの記憶を掠わないで」考察

(作詞作曲 : rinri様)

注意
※過大な自己解釈
※論理の矛盾
※乱文


ミコトによるヒメの「死の拒否」

(ヒメ)僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった
(ミコト)不確かな記憶で繋がりあった気がしていたんだ
いつまでも いつまでも いつまでも

端的に言えば、
私はこの歌を「入水自殺したヒメを追いかけて自殺を試みるミコトの歌」
であると解釈しています。

僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から美しい水面は変わらない

この歌の最初にあるこの歌詞は、
この世の神羅万象、ありとあらゆるものは
「(ほとんど)変化しない」ということを意味、表現しています。

この歌詞が意味するところは、

(既に死んでいる)ヒメの視点では、
「私が死んでもミコトの生きる世界は、ほとんど変わらず続いていくこと」
を意味しますが、

(まだ生きている)ミコトの視点では、
「ヒメの死」という「変化の拒否」
を意味することになります(後述)。

ミコトが語る

不確かな記憶で繋がりあった気がした
いつまでも いつまでも いつまでも

というのは、
ミコトの「ヒメの死」という現実の変化に対する拒否を表します。

いつまでも、いつまでも、いつまでも、水面は美しい。
たとえ、ヒメと過ごした日々が曖昧な、不確かな記憶になったとしても。
すなわち、ミコトの視点では
「ヒメと見た水面が今でも美しいこと」=「ヒメの生」
を意味しているのです。

なぜなら、
ミコトにとって、
「ヒメと一緒に見た美しい水面」が「変化していない」のならば、
「ヒメ」も「変化していない」はずだ。
=「ヒメはまだ生きている」と考えることができるからです。

この歌詞では、
連続するフレーズは「嘘」「現実にならなかったこと」を意味します。
ここで「いつまでも」が繰り替えされているのは、
ヒメとの日常が「いつまでも」「永遠」ではなかったということです。
このフレーズをミコトが歌っているのは、
ミコト自身がこの論理が無理筋であることを理解していることを示唆しているのでしょう。

ヒメのSOSと入水自殺

(ヒメ)砂浜に絵を描いたよ
すぐに消えちゃうように
だって感情は誰かに
見せるものではないから
それでも君ならきっと
見つけてくれる気がして
見つけてくれる気がして

ここの歌詞は、ヒメ自殺前の心情を表している文章だと解釈します。
苦しい、辛い、といった「感情」をヒメは隠していたのではないでしょうか。
それでも、同じ飛梅の精霊のミコトならわかってもらえる、
助けてくれると「期待」していたのではないでしょうか。
この「期待」と「すれ違い」がこの曲のテーマとなってきます。

この歌詞のあと、「誰か」が息を吸う、呼吸の音が入ります。

ヒメが入水自殺をするときに息を吸った音。
あるいは、ミコトが後追い自殺を試みて息を吸う音。
この場合は前者であると解釈するほうが解釈が容易でしょう。

ヒメのSOSに気づけなかったミコトの後悔と記憶の風化への恐怖

(ミコト)僕らの記憶を掠わないで

僕らは欲張りで手元にないもの程欲しくって
言葉や気持ちすら求めてしまった

海岸沿いには覚えてた匂い、形
離さないで 離さないで 離さないで
俯いてばかりだ

もう平気だなんて虚勢を張る
不自然な光彩や
空白が後悔になる
僕は、幽かな希望にいつまでも縋ってるだけ

ミコトの「僕らの記憶を掠わないで」という言葉は
「ヒメがいた日常の記憶を時間で風化させないで」という意味です。

僕らは欲張りで手元にないもの程欲しくって
言葉や気持ちすら求めてしまった

というのは、
同じ飛梅の精霊同士であっても、本質的に他人は他人です。
きちんと言葉を発して、感情を表現しなければ、
人とは分かり合うことはできません。

同じ精霊同士であるが故に、
お互いに過剰な「期待」をしてしまったということなのではないでしょうか。

ヒメにとっては、
ミコトが気づいて助けてくれるという「勝手な期待」

ミコトにとっては、
変わらない美しい日々をヒメも一緒に、いつまでも過ごしてくれるだろうという「勝手な期待」

(ミコト)器用なんかじゃなかった。
見様見真似で手を差し出した。
君が明日を生きる理由の
一つになれたらそれで良かった。

救われていたんだ / 鳴花ヒメ・鳴花ミコト

この雨の音のせいにして今だけは
何も聞こえないふりするから、
抱えているもの、全部吐き出してよ。
根拠も理由もない、
無責任な言葉だって分かってるけど、
大丈夫、大丈夫だよ。
ごめん。

救われていたんだ / 鳴花ヒメ・鳴花ミコト

個人的には
「僕らの記憶を掠わないで」のアンサーソング(ifエンドソング?)が
「救われていたんだ」だと解釈しているので、
こちらの歌詞を引用します。

器用なんかじゃなかった。
抱えているもの、全部吐き出してよ。

ここの部分の歌詞に、
「僕らの記憶を掠わないで」の
「期待」と「すれ違い」が描写されていると考えます。

ヒメの感情を表に出すことのできない「不器用さ」
ヒメの感情の変化に気づけないミコトの「不器用さ」
ミコト視点からすれば、ヒメが自殺するぐらいだったら、
そういった感情を表に出してほしかった
=「抱えているもの全部吐き出してよ」
ということなのではないでしょうか。

本質的に他人は他人であるにも関わらず、
同じ飛梅の精霊であるために期待してしまったのでしょうか。
お互いが言葉や気持ちを発することなく、
すれ違った結果が、
「ヒメの入水自殺」という結果なのかもしれません。

(ミコト)海岸沿いには覚えてた匂い、形 
離さないで 離さないで 離さないで
俯いてばかりだ

これはミコトがヒメを回想するパートです。

この歌詞にある「匂い」「形」というのは
救われていたんだのほうにも登場します。

(ヒメ)匂い、形。光の中。
信号機の瞬きすら
置いていくように向こう側へ。
二人で行こう。

救われていたんだ / 鳴花ヒメ・鳴花ミコト

2人で見た「美しい海の匂いや形」を指しているのと同時に、
ミコト視点では「ヒメの記憶」だとも2つの意味で解釈ができます。

それらを「離さないで 離さないで 離さないで」=「嘘」
現在進行形で離れてしまっていっているということです。

海岸沿いには覚えてた匂い、形 

このフレーズ
「海岸沿いには覚えてた匂い、形」というのは、
①「ヒメとの記憶」でもあり、
②「ヒメの生」でもあると考えます。

なぜなら、
ミコトにとっては、
「ヒメと見た水面が今でも美しいこと」=「ヒメの生」だからですね。 

①「ヒメとの記憶」の場合は、

不自然な光彩や
空白が後悔になる
僕は、幽かな希望にいつまでも縋ってるだけ

「記憶の浸食」「記憶の風化」を意味します。
2人で見た美しい水面の風景の光彩が
不自然に変化することや、記憶の空白が生まれること、
これらの変化に対してミコトは怯えています。

「僕は、幽かな希望にいつまでも縋ってるだけ」
いつまでも、という言葉はこの歌の中では「嘘」でしたね。
記憶の風化は現実に進んでいるのに、
それでも記憶が変化していないかもしれない希望に縋っている訳です。
これもヒメの死に対する拒否と言えるでしょう。

②「ヒメの生」の場合は、

もう平気だなんて虚勢を張る
不自然な光彩や
空白が後悔になる
僕は、幽かな希望にいつまでも縋ってるだけ

ヒメの言う「もう平気だよ」という言葉の記憶、
そのヒメとの会話の中にあったSOS、
不自然な光彩(目)や空白(会話の間)に気が付けなかったこと、
これらの変化に気づけなかったことにミコトは後悔を覚えています。

海岸沿いには覚えてた匂い、形
離さないで 離さないで 離さないで
俯いてばかりだ

ミコトは、ヒメに手を”放さないで”ほしいとも掛けているのでしょうか。
つまり、ヒメに死の世界に行かないでほしい。
こっち側、生の世界にいてほしい。

「俯いてばかりだ」は「前」を見ていないということです。
「前」というのは通常「未来」を指します。
つまり、いつまでも過去の記憶(ヒメの生)に執着し、ヒメの死を受容できず、未来を向けていないミコト自身を指しているのではないでしょうか。

ミコトの後追い失敗と「死の受容」

(ミコト)水中は冷たかった 僕に温度があるから
水面に映る影が 君のように見えたんだ
頭ではわかっていた
ここに君はいないこと
頭ではわかっていた
頭ではわかっていた

水中は冷たかった
触れたかった
噎せ返った
反芻(はんすう)する感情だって、
海水ごと全部飲み込んで叫んだ
僕のせいだ
本当のことも知らないで
いつもの日々も記憶も
奇麗なだけだと思い込んだんだ

ミコトの激唄パート。
ミコトの入水自殺の試みです。

「水中は冷たかった」

海に入水をした。

「僕に温度があるから」

というのは、
死んでいるヒメと、生きているミコトを対比させているのでしょう。

水面に映る影が 君のように見えたんだ

「君」=「ヒメ」の影が見えたような気がした。
だから「触れたかった」とミコトは思うわけです。

頭ではわかっていた
ここに君はいないこと
頭ではわかっていた
頭ではわかっていた

重複しますが、この歌詞では反復は「嘘」を表します。
すなわち「頭ではわかっていた」も嘘になります。
ならここで言う嘘とは何なのか?

それは2つ考えることができます。
1つ目は、まぎれもなくその「影」が「ヒメ」であったということ。
2つ目は、「頭でもわかっていなかった」ということ。
それぐらい必死にヒメの影を追うミコトと、
その影がヒメそのものであるということを意味するという2つの意味を持ったものであると、この歌詞を解釈します。

むせかえった、
反芻(はんすう)する感情だって、
海水ごと全部飲み込んで叫んだ

「反芻(はんすう)する感情」というのは
「ヒメの死を受け入れたくない」という気持ちのことでしょう。
入水自殺を試みることで、
ミコトはヒメの死に対する悲しみと正面から向き合うことができたのです。

つまり、ヒメの「影」を追い、ミコトもヒメと同じように入水自殺をしようと試みます。

僕のせいだ
本当のことも知らないで
いつもの日々も記憶も
奇麗なだけだと思い込んだんだ

ミコトによるヒメへの懺悔。
何の懺悔なのか?
それは、ミコトの変わらない美しい日々をヒメも一緒に、いつまでも過ごしてくれるだろうという「勝手な期待」をしたことに対する懺悔です。

いつもの日々も記憶も 奇麗なだけだと思い込んだんだ

ここの歌詞は、本曲の最初にある

僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった

に対する強烈な「アンチテーゼ」です。

この世界は諸行無常です。
全ての物事は常に変化し続けています。
それに関わらず「いつまでも」という愚かな嘘(幻想)を抱いたミコト。
その慢心を「ヒメの死」によって気づかされたミコトの心情が描写されているのではないかと考えています。

世界は「いつまでも」変わらないと思っていたたのに、
現実の世界は常に変化していました。
=すなわち、ヒメも変化していたということです。
そのようなヒメの変化を「奇麗」(≒不変:気づかない)で片づけてしまったミコト。

結果的にヒメのSOSにミコトは気づけず、
ヒメは自殺をしてしまった。
ヒメは変化してしまった。
これは「変化」をミコトに強烈に気づかせる出来事になりますが、

それに対し、ミコトは「ヒメの死」それ自体を拒否し、
「この世界は変化する」という論理を拒否しました。

水面が表面的に美しいこと」と「ヒメの生」を無理に関連付けて、です。

ミコトは
「ヒメの死を受容しない」ために、
「ヒメを生きていることにする」ために、
次のような論理を組み立てました。

「水面の美しさは今でも変わっていない。これは不変なものだ。」

「ならば、この世界も何も変わっていないはずだ。」
「この世界も不変なものであるはずだ。」

「ならば「ヒメの死」をなんかあり得ない。」
「なぜならヒメも、この世界も、不変なるものであるはずだから。」

これまでミコトは必死に「ヒメの生」を思い込むように振る舞いますが、
「ヒメの死」という変化は不変なる事実です。
当然、ミコトもその無理のある論理に対して自覚的でした。
「ヒメの死」に対する「悲しみ」という感情に蓋して、
本当は気づいているのに、気づかないフリをしていただけなのです。

いつもの日々も記憶も 奇麗なだけだと思い込んだんだ

それがミコトの傲慢さでした。
入水自殺を試みることで、
はじめてミコトは自身の感情の蓋を開けて、
本当の気持ちを暴露することができたのです。
本当は「ヒメの死」を理解しているのだと。
現実に対して無意味に抗っているだけなのは解っていると。

冗談を見透かして
この愛を見透かして?
もうなにが言いたいか
僕にだってわからないよ
わからないよ

入水自殺を試みた海の中で、ミコトはヒメの影を見ます。

「冗談」(=ヒメが死んでいるのに死んでいないように自分)
を見透かすように振る舞うヒメの影(亡霊)。

「この愛を見透かして?」
ヒメに対する愛も見透かすヒメの影(亡霊)。

どうして、ヒメは、ミコトのことをそこまで見透かしているのに「ヒメの死」という現実を一緒に拒否してくれないのか。
生死をひっくり返してくれないのか。
その海に見える影がヒメならば、ミコトの「嘘」(ヒメの死の拒否)を受容してくれると、ミコトは勝手な「勝手な期待」しているわけです。

結局、ミコトはヒメを追って死ぬことができませんでした。

どうして、ヒメは、ミコトのことをそこまで見透かしているのに
「ミコトの後追い自殺」を許してくれなかったのか?

こんな馬鹿げた冗談も、愛も、全て見透かしているのに、
どうしてヒメはミコトの死を許してくれないのか。
ミコトには理解することができませんでした。
しかも、ミコトにとっては、ヒメのその行為は非常に残酷なことでもあるのです。(後述)

もうなにが言いたいか
僕にだってわからないよ

「ヒメの死」という現実を、
ミコトは正面から受容したにも関わらず、
ヒメはミコトが死ぬことを許してくれませんでした。

「自分がヒメの死という現実と正面から向き合ったのに、これ以上どうすればいいというのか?」
「「ヒメの死」を受け入れて、自分ひとりででこれから生きていかなければならないのか?」

それは飛梅の精霊であるミコトにとっては非常に残酷なことです。
精霊の寿命ってどのぐらい長いのでしょうか。
きっと人間とは比べ物にならないぐらい長い時間になるのでしょうね。

なぜそんな残酷なことをヒメはするのか。
ヒメが何を自分に伝えたいのか、「分からない」とミコトは言います。

(息を吸う音)
(ヒメ? )ああ ああ ああ ああ

歌詞には明記されていませんが、
ここが結構重要なパートだと思っています。

これはミコトが入水した海から脱し、息を切らしている表現であってほしい。
ヒメが入水自殺に失敗したミコトに語りかけるように寄り添う表現に思います。

前者であると個人的には解釈が容易なのですが、
ヒメの声に聞こえるんですよね…

亡くなったヒメからのメッセージ

(ヒメ)波打際で待っていて
声も、色も、掠われてしまっても

僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった

端的に言うと、
ヒメからのミコトに対する「生きて」というメッセージです。

まだ
「海の底」(死後の世界)ではなく、
「波打際」(生者の世界)にいてほしい。

波打際というのは、此岸(この世)のことでしょう。

声も、色も、掠われてしまっても

たとえ、自分たちが過ごしてきた日常の記憶を忘れたとしても、ミコトには生きてほしい。

しかし、これはミコトにとっては「残酷」すぎる言葉でもあります。
どうしてそんなことがヒメは言えるのでしょうか?

それは

僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった

だからです。

今回、ミコトは「不変」にこだわり続けてきました。
水面の美しさも、この世界も、ヒメも、
全て「不変」であると。
それを信じるように振る舞ってきました。

しかし、この中で唯一「不変」であるものがあります。
それは、2人で見た「水面の美しさ」です。
その水面の美しさとは、2人にとって「不変」なものです。

今回、ミコトが恐れていたのは何でしょうか?
「ヒメの死」と「ヒメを忘れてしまうこと」の2つです。

これがミコトの「記憶の風化への恐れ」に対するヒメの「アンサー」です。
「美しい水面」は、2人にとっての「不変」なのですから、
水面を見るたびにミコトはヒメのことを思い出すことができます。

この歌の一番初め。

(ヒメ)僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった

この部分から、
ヒメの言っている意味は一貫して変わらないのです。

つまり、この歌詞は「私がいなくても2人で見た水面はいつまでも美しい。だから不確かな記憶であっても、この水面の記憶は永遠に再生することができる。だからミコトの記憶の中で私は生き続けることができる」という意味になります。

2回目。

(ミコト)いつもの日々も記憶も 奇麗なだけだと思い込んだんだ

ミコトの激唄。
これは「本当はわかっている。水面は美しくても、ヒメはいないんだ」という意味になります。

「水面の美しさは今でも変わっていない。これは”不変”なものだ。」

「ならば、この世界も何も変わっていないはずだ。」
「この世界も不変なものであるはずだ。」

「ならば「ヒメの死」をなんかあり得ない。」
「なぜならヒメも、この世界も、不変なるものであるはずだから。」


「だけどヒメは死んでしまった。”変化”してしまった」

これがミコトの「死の受容」です。
水面が美しくても、この世界にもうヒメはいない。
自身の論理を破壊し、ミコトはヒメの死を受け入れます。

ですが、
ミコトは「記憶の風化」に対するアンサーを持ちえなかったわけです。

その結果、ミコトにとってヒメは非常に残酷であるように思う訳です。
「(同じ飛梅の精霊の)僕にだってもう何が言いたいのかわからない」と、述べる訳ですね。

3回目。最後。

(ヒメ)
僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった

というヒメの言葉。
これはヒメが再度その意味を伝え、
ミコトがその言葉を理解するという場面です。

つまり、
2回目の時点で「ヒメの生」と「水面が美しいこと」の因果関係を断ち切った上で、
3回目に「(ミコトの記憶の中での)ヒメの生」と「水面が美しいこと」の因果関係を再度繋げている訳です。

ヒメがいない世界でも、水面は美しいままである。
ヒメがいるから → 水面は美しい、のではないのです。
ヒメがいなくても、ヒメと一緒に見た美しい水面の光景は変わらない。
だからこそ、2人で美しい水面を見た経験が、ミコトとヒメの「不変」になるのです。

「記憶の風化」を恐れ続けたミコトにとって、
この「水面の美しさ」という「不変」は重要な心の支えになるのでしょう。
「記憶」は風化しても、「水面の美しさ」は風化しないのですから、
いつでもヒメを思い出すことができる。
だからヒメはミコトの記憶の中で生き続ける。
それがミコトにとっての救いなのです。

もしかしたら、ヒメはそんな水面の美しい世界で、ミコトには生きてほしいと、思っているのではないでしょうか。

ミコトの「回答」

二人の違いも、
未来も、視界も、
ふざけた誓いも、
願いも、失敗も、
忘れはしないよ
感情も、愛情も、
包み込んだ青、青

再度ミコトの激唄。
もう既に、ミコトにとっては、
「ヒメの死」を受容することと、
「ヒメを忘れること」はイコールの関係ではない訳です。

ヒメの死を受け入れても、ヒメを忘れないことができる。

二人の違いも、
未来も、
視界も、
ふざけた誓いも、
願いも、
失敗も、
忘れはしないよ

ヒメが死んでも、ミコトの「水面の記憶」の中でヒメは生き続けます。

温度のある「生きている」ミコトと、
温度のない「死んでいる」ヒメという「二人の違い」。

入水自殺に失敗したミコト。
ミコトはなぜ失敗したのでしょうか?
それはヒメがミコトに生きてほしいと思ったからです。
ヒメの死にたいという「願い」
ミコトの死にたいという「願い」
ヒメのミコトに対する生きてほしいという「願い」
ヒメがミコトに感情を伝えることができなかった「失敗」
ミコトがヒメの感情を汲み取ることができなかった「失敗」
ミコトが自殺に失敗するという「失敗」
ヒメの「未来」を奪った海。
ミコトの「未来」を奪わなかった海。
ミコトが入水自殺で見たヒメの影(視界)
ヒメからの言葉(視界)

そして、
「ふざけた誓い」

ヒメのいない世界で生き続けるという、ヒメがいない世界に価値を見出せないミコトにとっては、意味不明な「ふざけた」誓い。

これはヒメからのお願いでもあります。
それでも、ここであったことの全てを忘れない。
ここで約束した「ふざけた誓い」である「生きるいくという約束」も忘れない。

全てを忘れずに、ミコトは生きていくことを決心します。

包み込んだ青、青

最後の一文は、解釈の余地が結構ありますが、
私はやはり「海」を表していると思っています。

今回、ヒメとミコトのを繋いでくれるものは何だったのでしょうか。
それは「美しい水面(海)」です。

二人の違いも、未来も、視界も、ふざけた誓いも、願いも、失敗も、全て海が飲み込んだものです。
だから「青」が全てを包み込んでくれた、と。

もしかしたら「僕らが何にも覚えてないくらい幼かった」という幼い頃の「青い記憶」という意味も「青」には含まれているのかもしれませんね。

最後に。

現実を生きるミコト。
大切な人であるヒメの「死」と「ヒメの忘却」に恐れを抱きます。
大切な人がこの世界から亡くなっても、無情にも現実の世界は絶えず変化していきます。そして、いずれは、ヒメが生きていたこと自体が世界から忘れさられてしまうかもしれないとミコトは思いました。
だからこそ、ヒメを忘れたくないからこそ、ミコトは死を拒否し、停滞を選択しました。
ですが、過去の記憶や経験というのは、唯一この世で不変なるものです。
大切な人と過ごした時間や記憶というものは、絶対に変化しません。
それがヒメがミコトに対して宛てたメッセージです。
そのような記憶や経験という不変な過去を大事にして、前を向いて生きていくということが、生者であるミコトにできるヒメへの手向けなのではないか、といったメッセージ性を感じました。

閑話休題。
歌詞を見つめていると、
3回繰り返されているものは確実に「嘘」なのですが、
2回繰り返されているものがいくつかあります。

僕らが何にも覚えてないくらい幼かった
あの日から変わらない水面だって美しかった

僕にだって
わからないよ
わからないよ

包み込んだ青、青

一人で3回言っていることが「嘘」だと言ってしまえばそれまでなのですが…
「救われていたんだ」の歌詞を見ると、2回の繰り返しにも意味があるように思えてきます。
「救われていたんだ」がどちらも生きているifエンドの世界(私はあちらの歌を結論としては生者と死者の対話だと考えていますが)だとすれば、
水面の美しさ、青が「嘘」である「可能性」を示唆しているのではないか、
と妄想してしまいます。

「水面の美しさ」も、「青」も、「嘘」
だとすれば、それは何を意味するのでしょうか?

それは「この世界」が「嘘」であるということでしょう。
つまり「ヒメが死ぬという世界、それ自体が嘘だったら?」という可能性の示唆に思えてきます。
実際、アンサーソングの「救われていたんだ」の歌詞の前半は、
もしもヒメが生きていたら?の世界観であるように思えます。

ただ逃げていた。
足は絡んで、脈も早くて、
でも何故だか気は楽だった。
君の背中だけ見えてた。

濡れた靴を引き摺るように、
街をなぞった。
まだ僕らが子供なせいで、
この手から雫が溢れていた。

匂い、形。光の中。
信号機の瞬きすら
置いていくように向こう側へ。
二人で行こう。

器用なんかじゃなかった。
見様見真似で手を差し出した。
君が明日を生きる理由の
一つになれたらそれで良かった。
押し付けたような善の形は
今にも崩れそうだったんだ。
何故だか苦しいんだよ。
こんなに上手に笑えるのに。

満たして。

救われていたんだ / 鳴花ヒメ・鳴花ミコト

対照的に、
後半の歌詞は、ヒメの死んだ世界観であるようにも思えます。

消えてくれない痛みをまだ、
抱えているまま。

知らないふりして楽になって良いよ。
君は鋭いから、気付いちゃうだろうから。
救ってるつもりで、本当は僕は、


濡れた両手を掴んでずっと離さないように
僕を捕まえて?
子供みたいな我が儘ばかりでごめんね。
君は「優しさなんかじゃない」って、
いつも目を伏せて僕に言うけど、
それでも良い、僕は嬉しかったから。

この雨の音のせいにして今だけは
何も聞こえないふりするから、
抱えているもの、全部吐き出してよ。
根拠も理由もない、
無責任な言葉だって分かってるけど、
大丈夫、大丈夫だよ。
ごめん。

前半は「もしも」の嘘の世界で生きるミコト。
後半は「現実」の真実の世界で生きるミコト。
もしもこの解釈が正しいのであれば、
2回の繰り返しは「嘘の可能性」を示唆する伏線であったのだと思います。
あまりにも強引な解釈なので、こんなのは私の妄言に過ぎないのですが。

そう考えていくと「水面の美しさ」を2回しか繰り返していないのは「水面の美しさ」を「絶対的な嘘」にしないためでもあるんですね。
妄想ではあるものの、こういう意匠に凝った歌詞は好きです。

以上、勝手な自己解釈でした。

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