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22才になれまして。感謝と愛。〜2019年の振り返りも兼ねて〜

22才になれまして!

Taylor Swiftの22を聴いた中学生の時、「自分はいつ22才になるんだろ〜遠い未来だな〜」とか思ってたのを覚えてます。

高3の終わりに始めたインターン、みんな学生ばかりだったけどさすがに私は末っ子で、そんな中一番年上の台はその年に22才になる人たちで。「うわー大人だー」って思ってたのを覚えてます。

そう思ってたのに、いつのまにか22才です。
大学4年生のはずの3年生だけど。笑

22才になってみて思うことは、案外22才なんでもないなって。
へじんは未だに泣き虫で、繊細で、もろくって、弱くって、人に頼りがちで。
思ってたより22才だからとカッコよくなってはないなーって。

って思ったけど、やっぱ変わったところもあるのかな?

よく類友という言葉を使いますよね。その人に似たような人がまた周りにいる的な。4年前、3年前、2年前、そして1年前、全然異なる人たちが今の自分の周りにいます。それはへじんが成長したから、とも考えれるなと少し思ったりします。

というのも今年は、いや今年も、新たな出会いがあり、心から愛せる人がまたできた年であります。
2月ぐらいにそろそろゼミに入らなきゃと思って、とりあえずゼミのシラバスを流し見してたら、たまたま今のゼミを見つけて、「合いそう」となんとなく直感で受けてみたら正解で。本当に過去の自分に大感謝です。
「お前、ええ選択するやん。最高かて。」


21才の一年も、ここ最近毎年更新しているように、人生で一番の山と谷を経験していて、だから22才になった時、好きな人たちに囲まれて誕生日を迎えられた時、こうやって22才無事生きて迎えられてよかったなって本当に心の底から思いました。
お酒の場で迎えるとか地味に初めてかもだけど、あの賑やかさとは反面心はやさしく、温かく、居心地の良い穏やかさでした。

で、そうさせてくれたのは、別に自分の努力よりは、本当に周りにいた人たちで。
話を聞いてくれた人たちもそうだけど、そうじゃなくともいつも通りただ側にいてくれた人たち。あまり会ってなくとも、心の中にいる人たち。

世間ではおしゃれで有名な自由が丘と二子玉川がトラウマになってしまった今年だけど、そんな心が崩れた自由が丘から電話したら迎えに来てくれる友達がいて。

夏休みなんもできなかったから遊んで〜の言葉ですぐ誘ってくれる友達。

社会のこういう部分にモヤモヤするってのを聞いて意見してくれる友達。

最高やん、幸せすぎだろ。もう十分やん。
って。

そうなのです、へじんは今幸せを噛み締めています。

感謝の気持ちと愛の気持ちで心がいっぱいになれていることがもう幸せすぎて、いや人が感謝と愛の気持ちでいっぱいになればよくないですか?へじんは十分です。いや、十分とか言ってる場合じゃないくらい恵まれ過ぎていますね。

本当は振り返りなのだから谷にも触れるべきなのはわかるけど、なんか今がハッピーだから、最終ハッピーならオッケー的な感覚で、あまり谷の部分は触れなくってもいいかなと思っています。というかその谷に関しては話す人にはある種もう話したかなとも思います。

文脈もなく、ただつらつらと書いている文章で、読み手を全く考慮していないのですが、それもへじんと思って理解してください。

ただ読み直しても読み直しても、マジでへじんが感じている感謝と愛を言葉じゃ全然伝えられてないなって。

けど言葉って弱く脆いじゃないですか。だからそれは22歳のへじんが行動を通して、シェアできたらなと思います。


最後に。

拝啓、へじんが愛している人たちへ

2020年の山も谷も一緒に付き合ってください。
代わりと言ってはなんだけど、みんなの山と谷も、もし貴方が許してくれるならば、必要としてくれるのならば、共にしたいです。けど代わりじゃなくとも、必要としてくれるなら、貴方の元にいつでも飛んでいきたいです。

身長ばかりは高いもでして、170cmの身長を活かして目一杯、長い手足を目一杯伸ばして、いつでもハグする準備はできています。

いつでも右肩が空いてますよ。
左肩も。
あ、肩広いんです。

では、2019年を納めましょう。

ありがとう。大好き。

南国のマッサージ店で気持ちよくマッサージされた後にホテルのジムで一汗かき終わって日本との時差に気をつけながらカタカタタイピングしている2019年最後のへじんより。

追伸。
2020年はまたへじんの活動においても新しい波がありそうです。お楽しみに。
あ、ちなみにトプ画はさっき撮ったコタキナバルの夕日の少し後です。ちなみに夕日と夜明け、どちらの方が好きですか。へじんは夜明けです。

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