超寒がりな人間が冬は出社時間を遅らせるべきと考える理由
生まれる時にうっかり服を着るのを忘れて裸で出てきてしまったのがいけなかったのか、日本でも有数の寒がりになってしまった。
ただでさえ寒がりなのに、最近は季節の変化が急激すぎて身体が付いていかない。
今年もつい先日までは、もう12月なのに大して寒くないんじゃね?などと思っていたのが、そこから崖を転がり落ちるように気温が急降下してしまった。
寒い時期の朝はなぜか慌ただしい。
家を出る時間が遅くなってしまい、電車に乗り遅れることもしばしばである。
寒いことと電車を逃すことの間には何の因果関係もないように思えるが、そこには切実な事情があるのだ。
まず、冬の朝の支度は、夏とは比較にならないほど面倒である。
夏はシャツを一枚着れば済むところ、冬の場合はシャツを着た後にネクタイを締め、ジャケットを羽織り、コートを着て、さらにマフラーまで巻いたりする。夏に比べて余計な工程が4つも5つも加わってしまう。
特に焦っている時にはネクタイとマフラーを逆に巻いてしまったりして、もうしっちゃかめっちゃかである。
「工程とか大げさに言ってますけどそんなのものの5分くらいですよね」というご指摘もあるかもしれないが、僕は動作がのったりしているので、下手をすると上記のプロセスに15分くらいかかっていたりする。
「そんならその分早く起きればいいだろ」ということなのだが、それもまた至難の業である。
冬の朝に布団から出ることほど勇気が求められるものはない。
せっかく一晩かけて冷たい布団を温め続けてようやく快適な空間を作り出したのに、それをぶち壊しにしろと言うのはあまりに無体な話である。
よく成長するためにはコンフォートゾーンを脱せよなどと言われるが、赤ちゃんじゃあるまいし毎朝成長するのも疲れてしまう。
勇気だって資源であり、有限なのだ。
毎朝布団から出るために少しずつ消費している勇気を大切に貯めておけば、片想いしている女の子に告白することも、車に轢かれそうな子犬を救うこともできたのではないか。
たかが毎朝布団から出るためだけに恋が成就しないことも、子犬の命が犠牲になることもあってはならない。
こうした葛藤の末に、やっとの思いで出社しているのに、僕の同僚たちときたら、みんな夏と同じように始業時間に余裕を持って出社していて、「夏も冬も支度にかかる時間は大して変わりません」みたいな涼しい顔をしている。
僕が人間の社会を信用できない理由はこれである。
本当はみんな寒いはずなのに寒くないフリをしている。寒い時期の朝支度には途方もない時間がかかるのに、かからないフリをしている。この集団的な虚偽は自分には到底受入れられない。
自分のような善良な人間が損をしないように、せめて寒い時期は始業時間を1時間遅らせるなどの対応が必要ではないかと切に願う次第である。
ひょっとすると問題は自分の寒がりではなく、絶望的な段取りの悪さなのではないだろうかと書きながら気付いてしまったが、それはこの際微小なノイズとして考慮しないこととする。