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ドリアンのことを少しだけ好きになったドリアン祭り

 8月半ばから9月はドリアンが旬の時期らしい。

 フィリピンのミンダナオ島に行った時に、ちょうどドリアン祭りが催されているというので、noteに書くネタにもなるだろうと、ちょっとだけ覗いてみることにした。

 行ってみると祭りという割には大した規模でもなく、ちょっとした野外マーケットのような風情である。さほど広くないスペースではあるが、ドリアンのほかにもザボンやマンゴスチンといった南国でしか見られない果物の数々が山と積まれていた。

 気になるドリアンのお値段だが、ボール紙にマジック書きの汚い字で「1kg 100ペソ」と書いてある。その時はドリアン1個がどのくらいの重さなのかまるで見当がつかないので、高いとも安いとも思わなかった。

 さすがにドリアン丸ごと1個は食いきれないので、半分とか4分の1のやつはないのかと聞いてみると、そんな売り方はしていないとのこと。仕方がないので、他のドリアンよりも比較的小ぶりのものを選んで量ってみると、1.38kgほどであった。つまりこれで138ペソ、2024年9月時点の為替レートで日本円にして350円というところか。日本で輸入モノのドリアンが何千円で売られていることを考えると破格の安さと言える。

 一瞬、ここで食べずに日本に持ち帰って転売しちゃおうかなどという良からぬアイデアが頭をよぎる。しかし、硬くてトゲトゲの装甲に覆われたドリアンをラグビーボールのように抱えて持って帰るのも痛いし、またこの分厚い装甲をもってしてもドリアンの果実の放つ臭いを封じるに能わないようだ。日本の地に降り立った途端に検疫に引っ掛かるのは必定である。


 ほどなくして、ドリアン売りのおじさんがナタを手にしてドリアンの装甲に数撃をお見舞いする。すると分厚いドリアンの皮がぱっくりと割れて、中から白い内果皮と淡いクリーム色の果実が顔を出した。

 手渡されたビニール製の手袋を装着し、トゲトゲが刺さると痛い外皮と格闘しながらクリーム色の果実を掴み取ると、よく熟れた実がぐちゃりと潰れて指にまとわりつくので、それを舐めるようにして食べてみる。

 実は僕にとってドリアンを食べるのはこれが初めてではない。ドリアンを食べたことがない人に対して、その味を説明する際、僕は一貫して「腐ったタマネギ」と伝えることにしている。実際腐ったタマネギなんて食べたこともないが、これ以上にドリアンの味を表現する方法が思い浮かばない。

 ドリアンは人によって好き嫌いの大きく分かれる果物だが、僕としては「絶対に食べられないというほどでもないが、この先一生食べられなくても別に困らない」くらいの位置付けである。

 今回のドリアンはこれまでの印象を覆すものであってほしいと願いながら味わってみたが、初めに舌にねっとりとした食感があり、次いで濃厚な甘さ、最後に発酵により発生した炭酸ガスのような臭いが口や鼻の中に広がる。結果、今回の感想もこれまでと変わらず「腐ったタマネギ」であった。

 とは言え、ドリアンを丸々一玉買ってしまった手前、一口だけ食べてあとは捨ててしまうのも勿体ない。せっかくのドリアン祭りを冒涜する行為である。せめて半分くらいは食べて帰ろうと腹を決めてドリアンの実を手に取ってはせっせと口に運んでいく。

 するとどういうわけか、おかしなことに気が付いた。嫌々食べていたドリアンが食べるほどに次第に美味しくなっているではないか。まるでよくできたカスタードクリームを食べているようである。初めはあれほど鼻についていた臭いもまったく気にならない。おそらくずっと嗅ぎ続けていたので、次第に鼻が馬鹿になり、臭いを除いた食感と甘さだけ感じられるようになったのだろう。

 もしかすると、ドリアンの美味しさを堪能するためには、まず己の嗅覚を麻痺させることが肝要なのかもしれない。そんなことに気が付いたドリアン祭りであった。


 余談になるが、ドリアンを食べた後に気分が高揚し、元気がみなぎってくるような気がするのは僕だけであろうか。ドリアンには人を元気にする成分が含まれているのか、はたまた日本ではなかなか食べられない珍しい果物を臭いを乗り越えて食ってやったという達成感が気分を高揚させるのか、あるいはその両方なのか、科学的な研究の成果が待たれるところである。

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