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京阪電車のつり革で大人になった瞬間を思い出した
先週は仕事で大阪の街を歩き回っていた。
大阪について特に詳しいわけでもないので、偏見も大いに含まれているのだろうが、大阪は起伏が少なくて道が平坦であるうえ、全体的にオープンな下町的雰囲気が漂っているので、肉体的にも心理的にも歩きやすい街という印象である。
また、駅の構内や街中の定食屋のような店にも東京にはない独特の雰囲気があって、ちょっとした異文化体験も楽しめる。
異文化体験といえば、京橋から乗った京阪電車でもそれに近い体験をした。
夕方が近づく頃で、帰宅ラッシュにはなっていないが、かと言って席に座ることもできないくらいの混雑具合だった。
ドアの近くに立って、スマホに目を落としながら、手探りで見つけたつり革に掴まったところ、手元がガクンと大きく下がって、思わず息を呑んだ。
瞬間的に「やばい、つり革壊しちゃった・・・」という思いが胸に去来した。
おそらく、つり革のネジかなんかが緩んでいて、僕が掴んだはずみで、つい壊してしまったのだろう。僕の頭の中では既に、取れてしまったつり革を持って、「何もしていないのに取れちゃったんです」などと言い訳をしながら駅員室に出頭する自分の姿が走馬灯のように駆け巡っている。40歳を超えた大の男の絵としては情けないことこの上ない。
ところが、よくよく確認してみると、どうやらそれは僕による破壊行為ではなく、ドア付近のつり革が跳ね上げ式になっているというだけのことだった。乗客の乗り降りをスムーズにするため、誰も使わない時にはつり革が上方に跳ね上がっているという仕組みである。
東京ではあまり見ることのない工夫だが、背が高くて電車の中を移動するたびに、頭を小突いてくるつり革が鬱陶しくて仕方がない僕のような人間からすれば、ありがたい配慮である。東京の電鉄会社にも、ぜひこの仕組みを導入してほしい。
駅員室に自首しに行かずに済んでほっとしたのか、なぜかつり革にまつわる子供の頃の記憶が甦ってきた。
そういえば、子供の頃は電車の中でつり革を持っている大人たちの姿が、妙にかっこよく輝いて見えたものである。普段は自分の両親くらいしか大人を見ない僕にとって、電車に乗ってつり革を握っている人達は、自分には決して届かないものを事も無げに手にしている立派な存在に映ったのだ。
それからというもの「いつか自分も大きくなったらつり革を持てる立派な大人になりたいものだ」という壮大な夢を抱くようになった。それだけに、その後少し大きくなり、背伸びをしてつり革に手が届いた時は、まるで自分が一回り大きくなったような誇らしい気持ちになった記憶がある。
人は様々な場面で「大人になった」という実感を得る。免許を取得した時、選挙に行った時、初めて給料をもらった時など、それぞれに思い出深い瞬間があるだろう。だが、僕にとってつり革を楽々と掴めるようになった瞬間は、間違いなくそんな「大人への階段」の重要なステップの一つだった。
もしかすると、今、電車の中で何気なくスマホを見ながらつり革に掴まっている僕の姿も、どこかの子供の目には「かっこいい大人」として映っているのかもしれない。そう思うと、少しばかり背筋が伸びる思いがする。ただし、跳ね上げ式のつり革を壊しちゃったと慌てふためく様子は、決して子供に見てほしくないものだが。