インターネットと丈夫な服が僕のファッションをダサくした
インターネットで服まで買えてしまうのはありがたいことには違いないが、僕のようにずぼらで己のことをきちんと把握していない人間にはネットで服を買うのは向いていないのかもしれない。
特に深刻なのはサイズの問題である。
自分の胴囲や脚の長さなどを正確に把握せずに、「まあ俺はLだろう」などと適当に雰囲気で注文すると、とんでもなくサイズ違いのものが届いてしまったりする。
実際、自宅のクローゼットには着ると身体が2回りくらい大きく見えるようなダボダボのジャージや、太もも部分だけパツンパツンのズボンが死蔵されており、思い出すだけで嫌になる。
それから、自分にはどんな配色やスタイルの服が似合うのかということを客観的に把握しておくことも重要だ。
販売サイトの画面に表示された服をぱっと見で「これええやん」などと安易にポチると、その服を着た時に絶望的に自分に似合わず、「なんだこれは・・・購入時のイメージと違いすぎないか?」と頭を抱えてしまうこともザラである。
よく考えればこれは当然のことで、販売側はその服を売ることに全精力を傾けるので、その服がよく似合うモデルを起用してイメージ画像を載せるわけである。
購買側がそれを自分の着姿に置き換えるという重要な作業をすっ飛ばしまうと、3日後には絶望が待っている。
買った服のサイズが合わなかったり、似合わなかったりという問題は、いずれも「買う前に店に行って試着する」だけで解決するわけである。
僕もインターネットで服を買って後悔し、ひとしきり泣いた後に「次こそはちゃんと試着してから買おう」と決意を固めるのだが、40歳を過ぎたおっさんにとって、服を買うなどというのは年に一度あるかないかの大イベントである。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という古人の名言どおり、悔しくて歯噛みをしながら得た教訓も、一年も経てば風化してしまい、またネットで服を買って失敗し、「次は絶対試着しよう」と決意するという輪廻を繰り返している。
ところで、こうしたプロセスを経て僕のところに集まっている似合わない服をどうしているのか。
着るしかない。
これは己を知らずに闇雲に服を買うという愚行への戒めであると思っているが、単に返品する手続きが面倒だという説もある。
新しい服を捨ててしまうのも忍びないので、ある程度着古してから捨てることにして、今度こそ本当に自分に似合う格好いい服を手に入れようという算段である。
ところが不思議なもので、お気に入りの白いシャツを着ている時には泥はねや食べこぼしですぐに汚れるくせに、「早く着古されてほしい」と願う服ほど頑丈でどこまでも長持ちしてしまうのだ。
野球選手のように年がら年中スライディングするような職業であれば、服もすぐに傷むのだろうが、そこらの凡会社員のおじさんがそこらの駅でスライディングをかまして回るわけにもいかない。
その結果として、僕はいつまでも同じ服を着続けるハメになっている。
要するに僕のファッションがダサい背景には、こうした複雑な事情があり、決して僕のセンスが悪いわけではないという自己弁護である。