人って
なんだろう。
なんで私は、生まれたんだろう。
なんで私は、私なんだろう。
なんで私は、あなたに出逢ったんだろう。
これはきっと、生きている間も死んでも分からない。
生まれ変わっても分からないかも。
そもそも、生まれ変わるという概念はあるのだろうか。
そもそも、生まれ「変わる」って誰が決めたんだろう。
今、生きていると錯覚しているだけで
自分の意志で動いていると思っているだけで
そうだとしたら。
私は、本当に生きているのだろうか。
なんて、答えの出ないことをぐるぐる考えるのが昔から得意。
どうせ出逢ったことも忘れてしまうのに
確証はないけど・・・。
なぜ人は何度も出逢うのだろうと。
ただ1つ言えることは、今までの出逢いに無駄なことは
1度もなかった。
自分をいじめたあいつを思い出せば
「こういう人間にはならないようにしよう」
反面教師になれた。
卑屈な自分に対して常に肯定してくれた友人や家族には
「私には私しかない魅力がある」
初めて自分を認めることができた。
自分にない価値観を与えてくれる友人がいたら
「自分にない芯の強さ、思考する力を養いたい」
自分の弱みを知ることができた。
家族・友人でもない自分を想ってくれ恋人がいたら
「全てを受け止め、私も全力で生涯愛したい」
自分が好きだと想う人と想い合えることが
どれほど幸せで奇跡的なのかを噛み締めることができた。
同時に、一度はお互いを愛したのに別れてしまったら
「ただの他人以下になる」
いっそ出逢わなければこんな苦しまずに済んだ。
でも、出逢わなければあなたとしか感じられなかった
居心地の良さも、愛情表現も、案外感情を素直に出せない自分にも
気づくことはできなかった。
いつもそばにいて私を思って助言・正直な意見を伝えてくれる
友人の尊さにも気づけなかっただろう。
いろんな感情が渦巻く。
もっともっといろんな人がいる、書き切れないくらいに。
だからこそ、私はもっといろんな人の考えや生き方を知りたい。
生きている間に、多くの人と出逢って
次は、私の人生にどんな影響をもたらしてくれるのだろう??
そんな気分だ。
逆も然りで、私は私と出逢った人にどんな意味をもたらしているのだろう。
ポジティブな存在でありたい。
これなら、死ぬまでにいくつかは知ることができそう、なんて。
一期一会という言葉の重みを再認識した、それを書きたくなった
久しぶりの投稿でした。
前もこのタイトルで投稿したから、一生考えているんだろうな、なんてね。
人間大変だけど、心があることを最大限に強みにして
いろんなこと心動かされたいよね、大人でもさ。