存在してしまった。
ぼくは周りに比べて自分をよく知っている方だと思う。内面的なことではない。そんなもの未だにちっとも理解できない。
よく知っているというのは、自分の外面的な『特性』だ。
なんの話かと思うだろう。
まず簡潔に言おう。
ぼくは[自閉症スペクトラム障害](以下自閉症)という障害を持っている。
簡単に言えば、精神異常者という括りの1人なのだ。
自閉症とかそういった脳の障害のある人の場合、だいたい性質が似てくる。
性質といっても、性格や身体的ななにかが似るわけではない。
能力的な部分だったり、それこそ精神的な面で似るのだ。
今の時代、こういった脳の障害は注目されていて、たくさんの研究がされている。データもある。
これは裏を返せば、ぼくという人間、というより、ぼくのような人間には、取り扱い説明書があるということだ。
こういった気持ちの時、こういった行動に移りやすい、といったマニュアルがあるのだ。
障害と聞くと、普通の人とは違う、とか、それを揶揄して個性的なんて表現を聞くこともある。ただぼくは思う。
マニュアルがあるということ、それはつまりその型にはまっているということだ。抜け出すことのできない型に、生まれる前からハマってしまっているということだ。つまりはぼくのような人間に個性なんてものはない。
あるのは、神様からもらった望まない欠陥だけだ。
ぼくが正式に自閉症と診断されたのは小学6年生の冬のこと。
ただ、ぼくとしては驚きはなかった。自分のことだからなんとなくわかっていたというのもあるが、ひとつ、大きな理由がある。
小さい頃、その記憶が何歳のものなのかもわからないくらい本当に小さい頃、お母さんに言われたことがある。
細かい言葉は覚えていないが、その頃のぼくがその言葉を聞いて、ぼくは普通の人にはなれないんだと思った記憶が確かにあるということは(ここにはあえて文字にしないが)そういった言葉だったんだろう。
今考えれば、その時のお母さんにそういう類の知識はあまりなかっただろうし、根拠のないことだったことはわかる。
ただ、その時からぼくは生きていく上で普通の人にあるものが自分にはたくさん欠けているということを、すごく意識するようになった。
とても悲しい日々だ。
どうでもいいようなことにまで、自分に欠けているものを感じる。ただなにを責めたらいいかわからない。
結局は自分に当たるしかない。
何度自分で自分を傷つけたか。
今でも思う。なぜぼくはぼくで生まれてきてしまったんだろう。
ぼくがぼくでなく生まれていたら、誰かを不快にさせて、傷つけることもこんなになかったかもしれない。
同じように自分が傷つくことも。
もうこの話を書き出してから1時間近く経とうとしてる。
もう今日も終わる。
明日も、運悪く存在してしまった自分をごまかして、息をするんだろう。