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#72-5 パンダが来た

1972年9月の日中国交正常化を記念して中国から無償提供(注:プレゼント)されました。北京動物園のオスのカンカン(康康)と、メスのランラン(蘭蘭)です。

羽田空港に専用機で到着。成田空港はまだ無かったからね。

当時の内閣官房長官二階堂進が直々に出迎えた。

10月28日来園。11月5日に一般公開。大ブームに。

前史

「パンダ外交」唐時代の685年、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」らしいです。

1869年3月、フランス人宣教師がパンダの毛皮を欧米人として初めて発見しました。それまで中国外ではジャイアントパンダの存在は知られていなかったのです。クマ科ジャイアントパンダ属。中国語で大熊猫

レッサーパンダは、イタチ上科のレッサーパンダ科なので別もの。名前は1825年に西洋人がヒマラヤで発見したレッサーパンダの名前を現地人に尋ねたところ、「パンダ」になったらしい。学術的には1835年。中国語では小熊貓

ところがジャイアントパンダが発見されるとジャイアントパンダの方を指すようになってしまい、英語においては、「小さい方の」「レッサー」がついたとのこと。

1938年にパンダ捕獲が禁止に。

その後

1975年、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)が発効し、1981年に中国がワシントン条約に加盟。

84年附属書IIIから附属書Iに移行し国際的な商業取引や贈与が禁止へ。短期的にパンダの貸与を続けていましたが、94年からは保護や学術目的の貸与となりました。

以降の日本にいるジャイアントパンダ(現在は上野、神戸、白浜の11頭)はすべてレンタルですので返却しないと。

以前に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍ですが、片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となります。

レンタル料はオスとメスのパンダ2頭につき約1億円。子どもを生むと、年間で約6700万円を中国側に支払う必要があります。また、日本でパンダが亡くなってしまった場合は、中国に対し約5600万円の支払います。

レンタル料は「保護活動費」との名目で「中国野生生物保護協会」に送られます。

1978年5月成田国際空港が開港

1979年9月ランラン死去。

1980年6月衆参同日選挙の前に田中角栄の「人寄せパンダ」演説

1980年6月カンカン死去。

1981年3月の神戸ポート博「客寄せパンダ」=集客力のある人気者 

94年白浜アドベンチャーワールドは「ブリーディングローン制度」(繁殖用の貸し借り)を導入。これだと飼育園を移動できます。

2005年、中国政府は台湾にパンダ一対をプレゼント(レンタルではない)すると発表しました。国際取引ではなく「国内移動」だということです。総統の陳水扁総統は拒否しました。2008年中国派の馬英九は2頭受けいれました。

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