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怒りっぱなしで生きていけるほど人生は短くないし
許せない相手は死ぬまで許せないと思って生きてきた。
そりゃあ「罪を憎んで人を憎まず」みたいなマインドで生きていければそれに越したことはないけれど、実際のところどう考えても坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。なんならその袈裟を紡いでいる糸を生み出した蚕まで燃やしてやりたい。
いやいつまでもこんなこと言ってんのもどうかとは思うよ。どこまで怒りを原動力に生きていくんだお前は。思春期か。
それでもそんな感じのままとうとう20代も半ばを越えてしまった。井戸の底から小さな空を眺めていた頃、もし外に出られたら、今よりもっと広く明るい世界に出て自分の心が豊かになったらその時には許せる日が来るのかもしれないと思ってきたものたちを、なにひとつ許せることなくここまできてしまった。
いや思ってねえな。思ってねえ。許せる日が来るのかもしれないとか全然思ったことなかった。ちょっと良いように言い過ぎた。格好つけちゃった。
外に出られる日が来ようと日の光の下で笑える日が来ようと、それはそれとして憎いものはずっと憎いと思うタイプの人間なのは自分が一番よくわかっていた。そんで実際にそうなった。悲しいことです。「幸せになるのが一番の復讐」みたいなやつほんとに向いてない。幸せになっても、大切にしたいものがどんどん増えても、そういうものだけに心のエネルギーを使っていたいと思っていても、それらとは別のところで一生このままいろんなことを許さずに生きていくしかない。仕方ない。そういう人間なんだと思ってここまできた。
関係ないんだけどそういえばこのあいだ幼馴染に「お前のnote読んでるよ」と言われた。喜びもつかの間で、その次に言われたのが「暗いよ」だったので笑ってしまった。
ごめん中野。また暗い話書いてるわ。読んでるって言ってくれて嬉しかったよ。
自己肯定感がどうとか悲観的だとか性格が悪いとかそういう話じゃなくて、わたしはただただ暗いやつなんだと思う。自己肯定感はそこまで低くないし、悲観的すぎることも特にない。ただ暗いだけ。性格は、まあ良い部分も悪い部分もあるさね。
さっき「どこまで怒りを原動力に生きていくんだ」って書いたけど、いやマジでね、もうここまでくると怒りとか恨みつらみとかが生きていく上での原動力。いつの間にかそうなってしまっていた。書くとキリもないし書けないこともあるんだけど、憎むべき相手を一切許さずにいることが、もはやライフワークになっていた。
よくない。よくないですよ。よくないけどさあ、許さなきゃいけないですか?って話じゃん。許す必要ある?だって一生許さないって思うくらい傷ついたんじゃん?ならよくない?って思うわけ。心の中のギャルがそう言って、怒りと共に生きてきたわたしを肯定してくれてるわけ。イマジナリーギャル。人は自分を肯定してくれる明るくノリの良い存在という都合のいい役割をイマジナリーギャルに担わせがち。知らんけど。
そんなことを思っていた。もうずっと。
去年の5月、高校卒業後一度も会っていなかった同級生から、「今電話出来ない?」と連絡が来た。
なんだ突然、と思って、ドキドキしながら「どうしたの?」と返信したらすぐに電話がかかってきたので、ちょっと迷ってから電話に出た。
高校時代が地獄だったとかそういうようなことを結構いろんな記事で書いてきたけど、それでもいわゆる仲良しグループみたいなものに所属していた時期があった。みんなで昼休みにゲームをしたり放課後ご飯を食べに行ったり、わたしの家で遊んだりもした。楽しかった。友達だと思っていた。
高校を卒業してすぐ、わたし以外のフルメンバーで温泉旅行に行っている写真を誰かがSNSにあげているのを見つけたときのことは今でも忘れられない。みんなで横に並んで浴衣姿で写っている写真。一瞬しか見ていないのにはっきりと思い出せる。
わたしもいるLINEのトークルームの他に、わたしを抜いたトークルームも存在していたこと、かなり後になって知った。馬鹿みたいな話なんだけど今も書きながらちょっと泣いてる。7年も経ったのにね。マジでね、あのね、された方は一生過去にならないよ。
連絡してきたのはそのグループの中にいた女の子だった。
許せないんだろうなずっと、と思っていた相手の一人だった。
うまく描写できる気がしないからここからはさらっと書くけど、電話の向こうで彼女は泣きながらその時のことを謝って、わたしもびっくりして泣いた。ずっと謝りたかったと言っていた。マジかよと思った。思ったし、「てめえら見てろよ」と思ってこれ見よがしに卒業旅行をハブられたエピソードを各方面で吹聴してきたことを若干反省した。本当に見られていたらそれはそれで気まずいもんだなと思った。
そうだ、確か2年生も半ばになった頃、1人でお弁当を食べることに耐えられなくなって、クラスメイトに「一緒に食べてもいい?」と聞いたのだ。一生分の勇気を使った気分だった。「やっと言ってくれた、声をかけていいのか悩んでいた」と返されて、嬉しくて放課後泣いたような気がする。その子たちとみんなでご飯を食べたり、うちに来て人狼をしたりもした。そして、卒業後わたしを抜いたフルメンバーで卒業旅行に行っていたことを、LINEのタイムラインで知った。みんな、これ見てる?一生忘れないよ。今も許せなくてごめんね。
昔の記事にこんなこと書いてるし。「これ見てる?」じゃねえよ。嫌味なやつだな。
電話は15分もしないくらいで終わった。わたしは泣きながら「いいよ、怒ってないよ」みたいなことを言った。コロナが収束したらご飯に行きたいという彼女に「行こうね」とも返した。
電話が切れたあと、なんだかものすごく色んな感情が、頭の中をぐるぐるした。
自分の罪悪感を軽くしたくて謝っただけじゃないのか、わたしに「怒ってないよ」と言われて楽になりたかったんじゃないのか。ひねくれものなので真っ先に頭に浮かんだのはそれだった、最悪だな、いやでも、でも。
された方は一生過去にならんけど、悲しいことに、した方は一瞬で忘れるもんなんだよな、と思っていた。大概そうだとわかっていた。相手はもう忘れているのにわたしばかりずっととらわれたまま一人で怒って恨んで、もう戦う相手もいないのに、ずっとそんなことに体力使って馬鹿だな、って、わかっていた。
ああでも過去にしないでいてくれたのか。そう思った。7年、そうだ7年も経っている。された側すら怒り続けることに疲れてくる年数だ、それなのに、「あの時申し訳なかったな」と心の中で思うだけじゃなくて、きちんと言葉にしてくれた。7年間一度も会っていなかった相手に謝罪の為に連絡を取るなんてどれだけの勇気が必要なことだろう。彼女はわたしが意地になってカサブタをひっかき続けている傷を過去にしないでくれた。
なんかもう、それだけでよかった。たとえ彼女が自分の中の罪悪感に耐え切れなくなっただけだったとしても。いいかな、と思った。
覚えている。あのことがあるまではずっと、大好きな人だった。クラスが一緒で、部活も一緒で、2人で部活をサボってバレて怒られたこともあった。先輩にいびられて部活を辞めることになったときはずっと話を聞いてくれた。一緒に嵐のコンサートにも行った、わたしの趣味に付き合ってくれて2人でラーメンズのコントの読み合わせをしたりしもした、ああそうだな、大好きな友達だった。天真爛漫の4文字が似合う、可愛くて明るい子だった。そういうのだってなにひとつ忘れていない。いい子だった。大好きだった。
した方がすぐに忘れてしまうのなら、せめてわたしだけはずっと忘れないでいようと思っていた。そうしないと傷ついたその瞬間の自分が可哀想だと思っていた。わたしだけはあなたの悲しみをなかったことにしないよ、と、自分に対して思っていた。わたしがしてきたのはそういうことだったんだろうなあ、と、電話を切ってしばらくしてから思った。
そっか。そうだったんだな。全部心の中に今もいるあの頃の自分の為だった。それに気が付けたから、もういいや。いいよね。いやよくはねえな。
わからんけど、ああ、そうだなあ、人を恨むのって疲れるな。それはそうだね。
恨んでいる相手全員、謝ってくれたら許せるのかというともちろん全然そんなことはない。電話の彼女は良い思い出もたくさんある相手だったから「もういいよ」と言えたわけで、そもそも今後彼女以外の誰かがごめんねと連絡をしてくるとも思えない。やっぱりたいていは忘れるもんだと思う。一瞬で。
でもこの世に一人だけでも、25歳のわたしの中にいる18歳のわたしに「傷つけてごめん」と声をかけてくれた人がいた。もういっか、と思った。それだけで。
もういっかというのは、もう誰も恨まなくていいか、ということではなく。いやそうなれたんだったら超いいけど。そう簡単にはいかないのでそうではなく。なんか、特にゴールもないマラソンを続けてきて、もういっかこのへんで、って走るのをやめるみたいな、そんな感覚になった。
自分で思ってる以上に走ってきちゃったよ。怒りと痛みのフルマラソン。もういいよそのへんで、そろそろやめても誰もあなたを責めないよ、みたいな感覚に。
疲れたんでしょ。疲れてたんでしょ本当はずっと。誰も責めないよ。あの頃のわたしが走るのをやめた今のわたしを見ても、きっと、怒らないよ。
年明けすぐに観たお芝居に、高校時代に自分をいじめていた人たちに復讐する男の子が出てきた。卒業してから10年以上経っている設定だったと思う。
物語の終盤、主人公に「なんで今更」みたいなニュアンスのことを問われて、悲しいような諦めたような複雑な顔した。そして、ふとした時に思い出すんだよ、みたいなニュアンスのことを言った。なんだかすごい泣いてしまった。あー、そうなんだよ、と思った。思い出すんだよな。ずっとずっと、「25歳にもなったくせに17、18歳そこらの時のことばっかり引きずって」じゃなかった。ずっと現在進行形だったよ。こっちは7年かけて42.195㎞走ってんだからな。
そんで、あー、そういう風にお芝居で描かれるってことは、そんなふうになにも許せないまま大人になってしまった人がわたし以外にもたくさんいるってことだよな、と思った。感情の昂りと共に、舞台に携わっていた人に長文の感想をぶつけたら「そういうのって誰でも持ってるものだよね」と返ってきた。やっぱりそうなんだと思った。いろんなことを許せないまま大人になってしまった自分を、ずっと矮小で心の狭い嫌な人間だと思って生きてきた、そんなこと思わなくてもいいんだと思うと泣けた。イマジナリーギャルの大肯定なんかよりもずっとずっと肯定された気分だった。
と同時に、「そうだったかもしれない未来」を見せられてる気分になって辛かった。
もう何回も何回も心の中で殺してきた人がいる。いつか会ったら絶対にどうにかしてやろうと思っていた、そういう場面を想像しては胸をスっとさせていた、けれど何年か前、その人がわたしが働いていたレストランに来た時、わたしは涙が止まらなくなってバックヤードに逃げてしまった。いつか会ったらどんな風に傷つけてやろうか、そればかり考えていたのに。
バックヤードで震えて泣きながら、今もこんなに怖いのかと思ったら全部全部嫌になってしまった。いろんなことを乗り越えて塗り替えて笑って生きていることが全て無駄に思えた。
わたしがお芝居の中の男の子みたいにならずに済んだのはたまたまだ。あれはわたしだったかもしれない。泣きながらキッチンまで走り、震える手でナイフを掴んでそいつのところに駆けていく夢を、今でもたまに見る。
そうしたかったと思っているのか、そうしなくて良かったと思っているのかは、今でもわかっていない。
でも気づいちゃった。わたしは疲れてしまった。多分今その人が目の前に現れても、もうナイフを取りに走る体力は残っていない。
多分この先もしばらくずっと許せない相手は許さないし、そう思う相手が増えることもあるんだろうと思う。いつまでたっても生きる原動力は怒りです。暗い人間で悪かったね。
でも多分それにもきっと限界が来る。
「いつか許せる日が来るのかもしれない」なんて微塵も思ったことないし、今も思わないけど、多分、怒り続けることに疲れ果てる日が来る。そうなったらそれでいーや。とは、思った。初めてそう思った。ああいつか終わるんだろうなこれは、と。初めて。「一生許さねえからな」が「体力が保つ限りは許さねえからな」に変わった。
唐揚げも好きなように食べられなくなってきたのに死ぬまで袈裟も蚕も燃やし続ける体力があるわけないんだよ。そもそもね。ご自愛しろよな。
過去の自分ばっかりかわいそがって大事にしてないで、今のそれなりに楽しくやってる自分にも目を向けてあげようと思う。いいよもう。ふつーに幸せになっていいよ。乗り越えるのとなかったことにするのは違うよ。
負の感情ってインパクト強いし、エネルギッシュに感じるし、わたしもそういうものに突き動かされて作られたであろう創作物が好きだし、ついつい自分でもそんな話ばっかり書いちゃうけど、最近思います、いいからお前はもう、いい加減過去と戦わなくていいから。
まあそんな簡単に穏やかになれたら苦労しないけどさ。でもいつか多分、あの時の夢を見ても、「そうしなくてよかった」と思う日が来るよ。わからんけどね。来るといい。ていうか来ないとやってらんないよな。ハア。あーあ。
負の感情をかき消せるくらいキラキラしたものばかり愛して、にこにこしながら生きていきたいな。体が震えるほどの怒りとか、憎しみとか、そういうもんを知ってるからこそわたしは今愛しているものを人一倍愛していられんのよ。見てろよ。どうせ死ぬならそこまで楽しんで生きるからな。そんで最期は「楽しかった」って言ってやるからな。そうしなくてよかったと思わせてくれた人と物とを、全部抱きしめて笑って死ぬからな。
見ててね。
例えばあなたの言葉とか、あなたと一緒に見た景色とか、あなたが教えてくれた音楽とか、そういうのぜんぶよ。あなたの電話もだよ。嬉しかった。
またね。