恋人に求める一番の条件は音楽の趣味が合うことです
所詮凡人なので、好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物はなに?そういう物差しに振り回されている毎日です。
いや、別にいい。服とか本とか食べ物とかは最悪どうでもいい。まあこの年になって愛読書はリアル鬼ごっこですって言われたらちょっと考えちゃうけど(中学生の頃はリアル鬼ごっこも親指さがしも×ゲームもそりゃあ熱中して読んだけどよ)、でも別にそこらへんは合っていなくてもなんとかなると思う。
でも。
音楽の趣味だけは、どうしたって譲れない。
視野の狭い人間です。音楽の趣味には、その人の価値観もそれまでの人生も、濃くか薄くかは別として多少なりとも反映されると思ってしまっている。音楽の趣味に色んなものを背負わせすぎでお馴染み。ハイ。
でもだって、思うのです、わたしが例えば高校時代をもっと明るく過ごしていたとして、日々をあまり悲観せず、厭世的にならず、特に何も憎まず怒らず過ごせる穏やかな人間だったとして、その世界線のわたしには山田亮一の書く歌詞は刺さらなかった。
BUMP OF CHICKENの歌詞に心を砕くような、ハヌマーンの歌詞と一緒になって世も己も蔑むような、the pillowsの歌詞に鼓舞されるような、そういう日々を送ってきたと、思う。良い意味でも悪い意味でも。
そういう風になった過程はともかくとして結果は愛している。そりゃあもっと柔和で嫋やかな女の子になりたかったけれども!でも今好きなものを好きだと思えている自分は愛しいよ。これらを素通りすることになっていた世界線のことを考えるとゾッとする。
だから、わたしは、似たような音楽に似たように心を動かされる人が良い。
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大学に入学してすぐに出来た彼氏がカラオケで湘南乃風とかを歌う感じの人だった。大好きだったけど、わかってもらえないこととわかってあげられないことがたくさんあった。ある日、過去にぶん殴られて苦しくなって「死にたい」と吐き出したら、「彼女が死ぬのは辛いから死ぬ前に別れて」と言われた。言葉も出ないくらい傷ついた。そんなのって、と思った。
今ならわかる。明るくて友達の多い人だった、きっと慰め方も引き留め方もわからなかったんだと思う。まあ「夏と君とお前らがいればどんな困難も問題ない」って歌ってたからな………そんなわけあるかよ。どんな歌詞?
一年半一緒にいたけれど、最後の半年はお互い泣いてばかりだった。
湘南乃風に、罪はないんだけれども。
それでもたまに思う。君が好きなmiwaとかそういうのを可愛く歌うような女の子でいてあげたかった、そしたらわけわからん希死念慮で君に八つ当たりして傷つけることもなかったかもしれん。
そんで少しで良いからわたしが好きな曲も一緒に聴いて欲しかった。「死なないで」って泣いてくれるだけで良かったよ。
付き合い始めた頃、「おじいちゃんになってボケちゃっても、大学に入って最初に付き合った女の子、なんていう名前だったっけ、可愛い子だったなあって思い出すと思う」と言ってくれた。優しい人だった。それでも分かり合えなかった。
最後は一生恨まれても仕方ないくらい傷つけて別れた。
今思えばこれがトラウマなのかもしれん。音楽の趣味の合わなさ、という一点にすべてをなすりつけている。全然それが原因で別れたわけではないです。当たり前だろ。
でも、ああわかり合えなかったな、と思う異性とはやっぱり音楽の趣味がズレていたし、長く一緒にいた人とはなんとなく合っていたように思う。
いや、別にどれが良くてどれが良くないという話ではないんだよ。マジで。そんなことは思ってない。
そりゃあもう湘南乃風を聴く人とは付き合えないけどさ。やっぱ別世界の人間だもん。「本当お前ら熱く生きてんの?」とかカラオケで言われた日には全速力で逃げ出してしまう。すいませんそんなに熱く生きてないです………仕事中にオモコロ読んでます………
まあそこまで極端な話じゃなくても、例えば気になっている男の子に「わたしバンドが好きなんだよね」と言ったら「俺も!」と言われて、え!話が合うかも!と思って期待したら「マカロニえんぴつとか超聴くよ!」とか言われたとして、あ、違った、この人ではなかった、とはなる。なるよ。なるけどそんなん向こうだって「わたしバンドが好きなんだよね」って言われてまさか部屋の片隅でハヌマーン聴きながら「ひとり残らず呪い殺してやるぜ……」って思ってる女だとは思わなかっただろうし。そんな女絶対に願い下げだし。だからどっちがいいとかではなくて、わかり合えない境界線みたいなものが多分あって。
高校の文化祭でモテたくてバンドを組むようなキラキラした人間と、教室の片隅で逃げるようにイヤホンをしていた人間の思う「バンド」は、どこまでいっても結局全然違うぜっていう話です。なんかいつもこの話してんな。よければこの記事も読んでください、そんな話をしてるので。
「音楽が好き」って言う人の中には多分、健全に音楽を聴いてきた人と、自分の不健全さの救いを音楽に求めてきた人とがいて、どこまでいってもわたしは後者でした。
シラフで卒アルを開いて笑える人間が、この世に五万といる事も
率先して同窓会の幹事をする様な、人間が事実いる事も
越権だ、お前がそれを否定するのは 受け流してりゃ良いと想う
人生なんて、騙し絵みたいなもんさ、お前の焦点が合う世界を信じてりゃ良いと想う
バズマザーズのスクールカーストという曲の歌詞です。前に山田亮一の歌詞についての記事を書いた時も引用した。好きすぎる。
わかってる、音楽に特になにも背負わせず「なんとなく好き!」だけでポップにフラットに聴いている人がたくさんいることはわかっている、今までそういう層に物知り顔でマウントを取って生きてきてしまったのは、なんてことない、そうなれなかった暗い人間のちっぽけな嫉妬です。ダサい。
シラフで卒アルを開いて笑える人間はこの世に五万といる。当たり前だ。わかってるから、でも、だから同じように、卒アルを燃やしたい人間だっているからさ。
そういう人間じゃないと聴けない音楽があるよ。たくさんある。
そういう音楽が好きな人にじゃないと吐露できない言葉ばっかり持って生きてきちゃったよ。
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ハタチか21歳の時、おれの人生のギターヒーローことthe pillowsの山中さわおのインストアイベントを見に行った。会場にはさわおへの質問が書ける紙が置かれていて、イベント中ランダムでその質問に答えてもらえる、みたいな企画が行われる予定だった。
読まれる可能性は低いけれどとりあえずなにか書いておこう、と思って、ボールペンを握る。
当時、前述の、湘南乃風の彼氏と別れてしまってから、まだ日が浅かった。そのことと関係があるようでないんだけど「付き合うなら絶対に音楽の趣味が合う人が良い」と家でこぼしたら母に「くだらない価値観だ」と言われた。
そんなことを思い出しながら紙に質問を書いた。
質問の最後に記したわたしのあだ名を、会場でさわおが読み上げた時のこと、今でも覚えている。喜びでパニックになった。
「付き合うなら音楽の趣味が合う人が良いと言ったら母にくだらないと言われました。これはくだらない価値観なのでしょうか」
わたしの言葉を、ウォークマンから毎日流れている声が読み上げる。
ギターヒーローが言った。
「音楽が君の人生の中で重要なものであるなら、それはくだらなくないよ」。
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大きな節目にも、なんてことない日常にも、音楽が流れていた。そういう人生だったと思う。
あらゆる音楽に日々を彩ってもらって生きてきた。
別になんでもいい。誰かにとっての「私は食べることが好きだから食の趣味が合う人が良い」だとか、「僕は映画が好きだから好きな映画を一緒に楽しめる人が良い」だとか、そういうのがわたしにとっては音楽だった。譲れるもんか。
ピロウズを好きになって10年。人生で初めて恋人とピロウズのライブに行った。
カラオケでピロウズのThank you,my twilightを歌う人。
そういう音楽が好きな人にじゃないと吐露できない言葉ばっかり持って生きてきちゃったわたしの、泣き言だとか恨み言だとかを聞いて、電話越しにギターを弾きながら「出来るだけ離れないでいたいと願うのは 出会う前の傷をそっと僕に見せてくれたから」と歌ってくれた人。
世界を似たような解像度で見て、似たような音楽と手を繋いで生きてきた人だと思う。
わたしのギターヒーローの言葉のおかげで捨てずに済んだ価値観が引き合わせてくれた人だ。そうしてその人と一緒にThank you,my twilightを聴けた。
あとから聞いたんだけど曲の間中ずっと隣で泣いていたらしい。あの曲で涙を流せる人。その隣に立っていた。
ステージの上で、わたしの思想を拾い上げてくれたあの声が、「誰かと待ち合わせてるみたいに見えたなら間違いじゃない 君を待ってたんだ」と歌う。
そうだな。今まさにそう思っているよ。
常に音楽が流れている人生を送ってきたしきっとこれからもそうだ。同じチャンネルから流れる音楽を聴いてきた人とじゃないと窮屈で苦しい。同じ食べ物を好きじゃなくても同じ本を好きじゃなくても同じ曲を口ずさんで生きていきたい。
奇跡は起こらなくても充分だぜ。求めるものはそれだけで、それが叶えば充分奇跡だ。人生は続く。