山茶花と茶 薇と裏白 「蛇長すぎる」
山茶花と椿の違いについて、Google先生に尋ねてみらた、「山茶花(サザンカ)といえば椿(ツバキ)ととてもよく似た花。 おしべの具合も少しちがうのですが、それよりもわかりやすい見分けるポイントは『花の散り方」です。 椿は花ごと落ちるのに対し、山茶花は花びらが一枚一枚散っていきます」。と即答があった。なるほど。「さざんか さざんか 咲いた道 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き」と唱歌にもあるくらいだから、寒い時期の花であろう。この辺りでは今、ちょうど咲いている。
確かに、山花茶という名前の通りに、茶のような葉をして、茶のような実をつける。はじめてここに来た年に、「拾って蒔いたら、茶が取れるかな」、と口に出したら、違う、と速攻で止められた。
勘違いをしたのには、訳がある。
我が老母が嫁いでから半世紀以上耕していた畑は、「どんぐりの木」が上端を、畑に向かって左側は竹林、右側は隣家が並んだ傾斜地にあった。斜面を降っていくと、下の土地は小さな田んぼになっていて、水たまり、としか呼びようのない池が、あったのだが、上の水捌けの良いところ、ドングリたちに征服されそうになりながらも葉を付けて、実を落としていた。その実にそっくりである。
老母の畑の下のほうにあった小さな池は、かえるの棲家で早春、まだ水が冷たいのに、冬眠から覚めたかえるたちが、たまごを産みつけていた。少しにごったゼラチン質の半透明の中には、丸い透明な卵が連なっていた。芯には黒い部分があり、ここから、オタマジャクシが育つ。かえるは大量に生息していた。大量の蚊が発生していたこの水たまりの水辺には、シダも生えていたのだが、その新芽は薇(ゼンマイ)にそっくりだった。傍に植えられていた杉の枝葉とともに持ち帰り、アク抜きをしたのだが、どうやっても柔らかくはならない。一応食卓に出してみたが、亡くなった父はすでに歯が悪く、噛みきれない和物に癇癪を起こして怒り、老母は、裏白(ウラジロ)だ、と笑っているだけで合ったが、子どもには、区別がつかなかった。
裏白は大晦日、正月の準備をしていた老父が、鏡餅の下に敷いていた。今では長兄が、そして家業を継いだ甥が、近くのスーパーで買って来ている。Wiki先生によると、「ウラジロ(裏白、学名:Gleichenia japonica)は、シダ植物門ウラジロ科に属する、シダ。元来、シダ(歯朶)はウラジロを指すという。南日本に生育する」とのこと。重ねて検索するうちに、裏白の新芽は硬くて、ゼンマイと異なることを、こちらのブログのおかげで、初めて知った。
これは大人でも、しっかりと間違える。
裏白が生えていた畑の下の池は、蛙だけでなく、亀も繁殖していた。老母が畑を耕していると、鍬の下から卵が出てきた。これは実際に立ち会ったことがあるが、彼女はため息をついて、埋め戻していた。この池は魚の姿はなかったが、両生類と爬虫類の小さな聖域、捕食者たちには、絶好の生息環境だったことであろう。
蛇は大半の家族が苦手としていた。蛇が、目の前の、藪道を通っていくのを目にした姉は、幼い私を置き去りにして脱兎の如く走り去り、当時三歳だったのだが、一人残された。老母に叱られた姉が回収に来るまで、どうしていたのだろうか。もはや記憶がないのだが、細い藪道を、長い蛇が横切っている姿が、何故か記憶に残っている。あまりにも幼すぎたので、目で見た情景を本当に覚えているのかは定かではない。周囲の兄姉と大人たちが、繰り返し語って聞かせてくれたおかげで、記憶に刷り込まれてしまったのだろうか。
老母によると、昔の人が、「蛇、長すぎる」と言ったという。この言葉を残した人は、フランスの哲学者だとばかり思っていたのだが、ある時偶然にも、『博物誌』を手に取った時に、驚いた。著者はジュール・ルナール、『にんじん』も彼の作である。『博物誌』には、スイス人画家のフェリックス・ヴァロットンが表紙を描いたヴァージョンの他に、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックが挿絵を描いたヴァージョンもあるのだが、その中に、「蛇、長すぎる」とあった。現在岩波文庫に収められている翻訳は、辻昶先生である。
https://www.iwanami.co.jp/book/b248037.html
今を去ること30年近く前、とある席で、ヴィクトル・ユゴーの翻訳などで有名な先生のお姿を、お近くで眩しく拝したものである。
それにしても、尋常小学校を終える前から祖父に連れられて畑仕事をしていた老母は、一体どこで、「蛇、長すぎる」というフレーズを知ったのだろうか。ルナールを、読んでいたのだろうか。父が亡くなった後、老母が半世紀以上も耕していた竹林の隣の畑も、茶の木も、畑の下の田んぼも、水たまりのような池も、蛇が横切っていた藪道も、宅地になってしまった。もっともその前から、老母は体調を崩して畑仕事には出ることができなかったが、嘆くことしきりであった。
来年にはまた、ここの山茶花が、茶の実に似た実を付けることだろう。永遠に続くかと思われた今年の猛暑も、ようやく終わったのだろうか。今日は少し暖かく、厚着不要、と昨日の19時のニュースが繰り返していた。思ったほど気温は上がらず、ここは底冷えしている。すでに黄昏時。
撮影データ(いずれもjpeg撮って出しです)
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Canon EOS R7, ISO 3200, -1.3 EV, 1/80 sec, Carl ZEISS S-Planar 120mm f5.6, f.5.6.
①
Nikon D610, ISO100, -1.3 EV, 1/80 sec, Carl ZEISS Macro Planar 100mm f2, f5.6.
②
NikonD610, ISO100, -1.3 EV, 1/125sec, Carl Zeiss Macro Planar 100mm f2, f4