ふたたび好奇心について
結論:その好奇心は人を幸せにするか?
***
以前「好奇心」について書きましたが、今回はその続き。
前回は、パスカルの言葉を引きながら、好奇心には「純粋な好奇心」と、「虚栄心にほかならない好奇心」があることを書きました。
それぞれについて説明します、
「純粋な好奇心」
動物園に行って、好奇心をもって動物を眺めること、あるいは象の鼻はなぜ長いのかなどと興味を持つこと。この段階では、ただ好奇心があるだけで、他の感情はありません。デートだったら別だけど。
「虚栄心にほかならない好奇心」
人に知らせることを目的とした好奇心。例えば、動物の写真をとってSNSにあげること。そこでは、虚栄心というほどまではないものの、その行為が楽しい、あるいは承認欲求をみたしてくれるということ。
私は、いずれを否定するものではありません。ただ、どちらにも問題点があり、そこを書いてい行きたいと思います。
1.「純粋な好奇心」
前回の「純粋あるいは検証力について」で書いたように、純粋なものにはそうではないものがまじりやすい。純粋な好奇心で始めた研究が思わぬ悪事に巻き込まれたり、予期せず人を傷つけてしまうといったようなことです。
アインシュタインが、知りたい、わかりたいと研究を続け導き出したE=mc2の方程式が、後に原爆を生み出すこととなったように。
2.「虚栄心にほかならない好奇心」
虚栄心でも自己承認欲求からでも、好奇心から知りえたことを人に伝えることは悪いことではないと思います。
ただし、それが人に害を与えることにならない限りはという留保がつきます。興味あるからといって、確認もしないでフェイクニュースを拡散したり他人のプライバシーを侵害することは重大なマナー違反または法律違反です。
上記1,2でも、好奇心から知りえたことをどう扱うかについては、前回の「純粋あるいは検証力について」で書いたことと同様に、「検証」することが重要だと思います。
知りえたことが正確であることを検証すると同時に、それを公開し、広めることが真に人の幸福に寄与するものであるかを確認することが必要です。
その好奇心は人を幸せにしますか?
もっとも、「知りたい」を止められないこともよくわかるんですけど...
***
「「知りたい気持ちは止められない」はこの本に出てきます
***
すみません。今、体力がなくてお返しのスキができておりません。ご了承くださいませ。
***
『こんな本を読んだ』はブログで随時更新しております。よかったらご覧ください