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番外 本当の自分とは 9 本当の自分はひとつではない
【結論】自分のこころを信じよう
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「本当の自分」について、「こんな本を読んだ 番外篇」にて考えています。この考察が、若い人への参考となればさいわいです。
第八回は、「本当の自分はひとつではない」。
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本当の自分はひとつではない
「本当の自分」は、人によってその意味がことなります。5回めまでは、それらをいくつかのパターンにわけて考察してきました。6回めからは総合的な考察。今回は「本当の自分はひとつではない」です。
芥川賞作家 平野啓一郎さんの本に『私とは何か』という本があります。
そこで、平野さんは、「個人」にかわる新しい人間のモデルとして「分人」という概念を提唱しています。
「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。
職場や職場、家庭でそれぞれの人間関係があり、ソーシャル・メディアのアカウントを持ち、背景の異なる様々な人に触れ、国内外を移動する私たちは、今日、幾つもの「分人」を生きています。
自分自身を、更には自分と他者との関係を、「分人主義」という観点から見つめ直すことで、自分を全肯定する難しさ、全否定してしまう苦しさから解放され、複雑化する先行き不透明な社会を生きるための具体的な足場を築くことが出来ます。
主張自体はむずかしいものではありません。
「個人」は唯一無二の人格を持ち、主体的に行動し、その結果には責任を持つというのが従来の人間観。
このような人間観からすれば、「分人」の概念は受け入れがたいものかもしれません。
しかし、4回めの『役割としての自分』に書いたように、私たちは、家庭や社会、コミュニティにおいてさまざまな役割をになっています。
それぞれの役割において、私は「本当の自分」ではない仮面をかぶっているとすると、それはそうとうしんどい状況です。
平野さんの、それぞれの「自分」が「本当の自分」であるという考えは、うけいれやすいものではないでしょうか。
7回めの『脳科学からみた自分』で書いたように、脳は無意識部分もふくめ、環境からの影響を受けて自分を変えていく柔軟性・可能性を持っています。
環境ごとの「自分」を持つということについて、私たちはもっと自分の脳(すなわち「こころ」)を信じてもよいのではないでしょうか。
そして、それを助けるもっとも効果的な方法が、人とまじわることだと、私は思います。
※このシリーズ、もう一回やります。
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【補足】
内田樹さんの本にまったく同じようなことが書いてありました。内田さんの本では、さらにその先まで行ってます。興味のある方は読んでください。
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