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立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える 8.人間の知的総体
「こんな本を読んだ」の番外篇として、立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』からいくつかのテーマを選び、それらについて考えています。
この本を選んだ理由は、「知の巨人」と呼ばれた立花隆が。「知」をどうとらえていたかを明らかにしたかったからです。
今回は、「人間の知的総体」
立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える 目次ページはこちら
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8.人間の知的総体
【結論】知識はつねに更新される。
*今回は、文春文庫 1999年3月10日第1刷 56~60ページです。
前回の古典についての考察に続いて、人間の「知の総体」について論じられています。
「総体」とは、全体とかほとんど全部といった意味のことばです。「知」とは「知識」といいかえていいと思うので、「知の総体」とは、「ほぼすべての知識」といっていいと思います。
前回語られたように、真に古典と呼ぶに値する本は存在する。しかし、それは人類の知が初歩的な段階にあったもので、それだけで人間の過去の知の総体とすることはできない。
現代人にとって必要な知の総体は、古典のなかに存在するのではなく、古典から継承された人間の知的働きかけとして、つねに更新・集積されていくものとして存在する。
たとえば、現代物理学をやるのに、ニュートン力学を知っておくことは必要だが、『プリンキピア』まで読む必要はない(わかりやすい例ですね)。
以上のように立花さんは語っています。
私も、おおむね賛同してよいかと思います。
ただ、現在のように、ネット上に膨大な知識(情報)が蓄積されている状況で、それにどう対処するかについて、立花さんがもし生きていたらどう語るかについて興味があります。
結論。古典といわれるものは必読ではない。知識はつねに更新される。
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すみません。今、体力がなくてお返しのスキができておりません。ご了承くださいませ。
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『こんな本を読んだ』はブログで随時更新しております。よかったらご覧ください
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