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孤独について 6.中島義道

私も”後期老齢者”が近づき、これからおとずれるかもしれない「おひとりさま=孤独」の時間をどうすごせばよいか考える必要を感じています。
そこで、「こんな本を読んだ 番外篇」で、さまざまな人の著書をもとに「孤独」について考えています。第六回は中島義道の本から。

「孤独について」の目次ページはこちらです

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【独断的結論】「孤独」は人間の根源的な存在の仕方である

6.中島義道

中島さんの『孤独について 生きるのが困難な人々へ』という本をご紹介します。

中島さんは、哲学者、作家。元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。「うるさい日本の私」など多数の著作があります。

中島さんの「孤独」についての考え方は、『序章 孤独に生きたい』に集約されていると思います。

”私が本書で語りたいことは、他人はけっしてあなたの孤独を解消してくれないこと、一時あなたの孤独を巧妙に隠蔽するのを手伝ってくれるかもしれないが、あなたの孤独自体を根絶してはくれないことである。このことを心底から自覚するとき、人は孤独から逃れるのではなく、孤独を選ぶようになる。”

”孤独になるとは、他人に自分の時間を分け与えることを抑えることである。自分の生活を整理し、なるべく他人のためではなく自分のために時間を使うことである。”

序章の後、中島さんの半生が語られます。

孤独な少年時代や青年時代、助手時代の教授による壮絶なイジメ地獄などを経て、『世間嫌い』にいたる道は、文章の勢いがいいせいか、大変おもしろい。

しかし、額面どおり受け取っていいのか、ただのへんくつおじさんと思っていいのかというと、そうではない。

中島さんの「孤独」は、死と密接に結びついている。

”孤独を磨きあげてゆくこと、それは「死」だけが見えるようにすることである。つまり、自分の不幸を徹底的に骨の髄まで実感することなのである。”

(第5章)

”私は死ぬまで死とは何か真剣に考え続けるであろう。そして、いつか死ぬときは「たった独りでこの広大な宇宙の中に生まれてきて、たった独りで私はこの広大な宇宙の中で死ぬのだ」ということを骨の髄まで自覚しながら死にたい。”

(終章)

中島さんにとって、「孤独」とは、たんに「自分のために時間を使うこと」ではない。

「孤独」は人間の根源的な存在の仕方であり、「孤独」によって人間は自己の存在の本来的な在り方を知ることができる、そのようなものであると思います。



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