北朝鮮に投資して失敗した父を思い出す記事
韓国の『朝鮮日報』に掲載されたこのコラムを読み、1980年代後半、北朝鮮の鉱山事業に投資しようとして大失敗した亡き父を思い出した。
コラムは日本語訳が見つからないので、原文を添付する。
【萬物相】 『大同江の奇跡』(2022.08.31)
記事を大まかに訳すと…
北朝鮮へのワクチン支援事業を進めていた在米コリアン科学者が、自分の失敗談を聞かせてくれた。
「ワクチンを提供すると提案したところ北朝鮮が受け入れると言った。しかしワクチンを運ぶトラックがないと言うのでトラックを購入してあげたら、次はワクチンを保管する冷蔵庫がないので買ってくれと言う。トラックに冷蔵庫を載せて北朝鮮のワクチン接種現場に着くと、冷蔵庫を使うための電力がなかった。どうしようもなかったので、あきらめて帰ってきた」
戦後、朝鮮半島の電気の92%を北朝鮮地域の発電所が生産していた。鴨緑江の水力発電所は当時、アジア最大、世界3位の規模だった。1948年の大韓民国建国前に北朝鮮が電気供給を断ち切り、韓国全体が真っ暗になった。その北朝鮮が韓国に電気をくれと要求するまで50年もかからなかった。
肥料も同様だ。解放後、興南(フンナム)窒素肥料工場はアジア最大、世界5位規模だった。朝鮮半島に必要な肥料すべてを供給しても有り余り、毎年約18万トンを輸出していた。そんな北朝鮮が50年後、韓国から費用の支援を受けなければならなくなった。工場を稼働させるために必要な人材もいた。韓国とは異なり、北朝鮮は日本人技術者を長期間滞留させ、必要な技術を引き出した。韓国社会の混乱と左派思想の流行で、韓国の高級人材も北朝鮮へ流れた。日帝末期には京城帝大理工学部卒の人材のうち4割が北朝鮮へ渡った。
1960年代までは、朝鮮半島での経済奇跡はソウルの漢江ではなく、平壌の大同江(テドンガン)中心だろうと言われた。鉱物資源が圧倒的だったうえ、中国侵略に向けて建てられた日本の中化学設備が北朝鮮に集中していた。しかし、多くの資源と設備あどこへ行ったのか、わからない。北朝鮮へ渡った人材も、北朝鮮政権下で跡形もなく消え失せた。経済政策をはじめ、すべてを一人が決定する体制では、最大設備も、最高の人材も、有り余る支援も、何の役にも立たない。
漢江の奇跡は韓国が自由民主国家だったから可能だった。
この記事を読んで、1980年代後半に北朝鮮の鉱山事業に大規模投資した父の挫折を思い出した。
「あの国に投資することはザルに水を注ぐようなものだ」
「あの国の幹部は誰も、国のために働いていない」
「祖国のためと信じて投資した在日を利用しただけ」
偶然手に乗ったこの本に、父が深くかかわった雲山鉱山の話が載っていた。
父と推定される(ほぼ確実)な人物のことも書いてあった。
父から聞いた話とすべてが一致していた。
北朝鮮の鉱山開発を夢見た父の経験と挫折、父から直接聞いた話を、別の機会にゆっくり書き残したい。
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