
百姓一揆の話し足りない「何になりたいんだろう」
エントリーシートの前で私はこの7月、硬直していた。
「どんな進路を目指しているか」
この一行に難儀している。
この18年間、一行では語り尽くせぬ日々を送ってきたつもりである。
それがどうだ、一行にこんなにも苦しめられる。
5、6月の進路活動が順調だっただけに、なんだか無駄な時間を使ってしまったかしらんとしょげる。
「百姓」になると書いた。
書いたはいいが、どういうイメージの職業なのか、そこを詰められる。
「農業を軸に、他業種、地域と百姓だった頃の村のようなコミュニティをつくる」
「これは具体的ではない」と言われる。
そりゃそうだ。理想を語っている。
具体的な目標があったらどれだけいいか。具体的な職業名が出てこない。ただの農業にはしたくないのだ。
前回も書いたが、「空洞こそ最強」なのだ。
「ジョウロのように水(自分以外のなにか)を受け入れ、それをどんな形で撒くのか、コップのようにどんな液体でも混ざり合うよう受け入れられる」そんな人になりたい。
これは職業ではない。生き方だ。
もとは立谷沢川流域から降りてきた開拓民の血が私に流れている。
土は私達を受け入れてくれた。
次は私達が何かを受け入れる番なのではないだろうか。
風から土へ。
そういう気持ち、生き方を、これ以上どう具体的に、職業として説明できると言うのだろう。
「瀧」とか「みうらじゅん」みたいな話になってくるじゃないか。
何になりたいとかは、もうないんだな、と気づいただけでも、このなんだか拍子抜けの7月も意味があったと思いたい。