自己紹介
初めまして。株式会社HYAKUSHO代表取締役の湯川致光と申します。見てくださって本当にありがとうございます。
せっかく立ち寄ってくださったので、少し簡単に経歴をお話しさせてください。私は東京生まれ(多摩センター)東京育ちで、大学まで東京で過ごしました。大学は、高校の先生になろうと東京学芸大学教育学部に進学しましたが、体育会硬式テニス部に入ったり、ドイツハンブルク大学に短期留学したり、哲学ゼミでカント、マルクスなどを読んで過ごす中で「社会は広い!」と思い、公共政策の道にシフトしました。卒業後は東北大学公共政策大学院に進学し、過疎地域を研究対象としてフィールドワークなどに取り組みました。修士論文は市民活動について、当時とても先進的だった「1%条例(住民税の1%を市民活動団体へ配分するという制度)」を取り上げ、その有効性等を研究しました。ちょうど東北大学で学んでいるときに東日本大震災が発生し、震災後の現場を歩き回る中で「社会を支えているのはコミュニティ、もっと言えば有機的なインフォーマルなネットワーク」と実感し、それ以来市民活動がライフワークのような生活を営んでおります。そして、神奈川県庁に入庁し、いろいろあって香川県庁に転職し、またいろいろあって、高松空港株式会社でマーケティングとか広報とか担当して2019年8月にまちづくり会社HYAKUSHOを起業しました。
と、だいぶ大真面目な自己紹介をしてきたのですが、上記のことをライブ感多めにお送りさせてください。
東京生まれ、ではなく、実は新百合ヶ丘にある病院で神奈川県川崎市生まれです。しかし、もう面倒なので東京生まれって言っています(本籍は和歌山県日高川町というのも関西の方面の人と仲良くなるためにしか使いません)。大学は「この世には先生という職業しかない」という謎の世間知らずで先生になろうと1浪の末、東京学芸大学に入ります。早稲田大学教育学部と迷った末、「大学では体育会で硬式テニスがしたい。でも早稲田は強すぎてもしかしたらボールすら打てないんじゃ?そうだ、東京学芸大学に行こう。」で決まりました。大学ではテニス漬けの毎日の中、ある時同級生が哲学ゼミに入信。岩波文庫を片手に「ミシェルフーコーはね」と言っているのがカッコよく見え、哲学ゼミにもれなく入信。そして父親も姉も大学院に行っているらしいとの情報を得て、俺も行っておくか、という放蕩息子ぶりを発揮して、東北大学公共政策大学院に晴れて入院。哲学から公共政策に専門を変更しているので(アメリカの大学では教養→専門が当たり前らしいが)必死に勉強。家ー松屋(牛丼屋)ー大学院の3カ所しか通らない SENDAIトライアングルで過ごす。勉強が楽しかったのと、就活に興味がなかったため、日本政策投資銀行だけ受け、最終面接で人事担当のひとが東京学芸大学出身で「これはもろたな」と面接に行ったら普通に落とされ、紆余曲折を経て神奈川県庁に入庁。県庁採用のグループディスカッションで場を和ませるのと自らの発言権を高める目的で「普段はよく中国人に間違われます」と、今考えれば意味不明な発言をして、採用後同期に「チャイ」とあだ名を付けられます。お金はなかったけど横浜暮らしは楽しい一方で、「この満員電車や人の多さって異常ですよね?」と思い、嫁の実家である香川県庁採用試験を受ける。集団面接で「最近気になるニュースは?」というよくある質問をされた際、隣の可愛い女の子が「高松空港に歩道が整備されたことです」とかなんとか「面接前は最近の地元のニュースをチェックしておくように」という就活予備校の教科書的な教えの通り回答する中、「デトロイト市の破綻ですかね」と面接官にかましたら運よく関心を持ってくれたようで、合格しました。都落ちと言われつつ、香川県ライフを楽しんでいる中で、地域づくり、まちづくりに関心を持ち、主戦場の丸亀市では地元のおじさまに8次会まで飲み会があることを教えられ「これがまちづくりか」と実感する毎日を過ごす。香川県庁も5年が過ぎようとしている時に、「これからの時代、行政で順繰りのキャリアを積んでも意味ないな」と確信し「イギリスに留学するか」と思い立ち、毎朝5時に起きては英語の勉強をしてIELTSを受けるという日々を過ごす最中、某高松空港株式会社から「YOU,空港来ちゃいなYO」というお誘いを受け、「いいだろう。しかし条件がある。副業を認めてくれ。」という謎の上から目線で入社します。しかし、入社した際に、私がやりたいと言って認めてくれたことと割り当てられるタスクにマリアナ海溝並みの隔たりがあり、プロジェクトに区切りがついたぐらいに退社の意向を伝えます。なお、今でも某高松空港株式会社の方々とはお付き合いがあることは申し添えておきます。とは言え、人間は寝ていてもカロリーを消費し食べていかなければならない、そして何より私にはお腹を空かせた妻がいます。「そうだ、起業しよう」ということで周到な準備はせず、成り行き的に起業に至りました。現在は、パートナー企業様と官民連携事業のコンサルティングを軸に事業をさせていただいております。また、現場を持たない公共部門のコンサルティング会社が多く、それが地に足のつかない提案になり、綺麗な絵空事を並べて書類だけ綺麗に整えることが蔓延している業界に疑問を感じています。そのため、弊社では丸亀市を現場としてエリアマネジメント事業を仕掛けています。現場で培われるノウハウとコンサルティング能力を歯車のように回して、社会の課題をラディカルに解決していきたいと考えていますが、吹けば飛びそもそもこの世にそんな会社ってあったの?と言われるような極小最弱会社ですので、地を這いずり回って生きています。さらに、ですが、地方創生・公共政策のアカデミック界隈では「現場を知らない」的外れな議論をし、ほぼ自己満足をしている論文をお見かけします。そういったアカデミックな世界もテコ入れしたいぜ!と考え、2020年4月から某立命館大学大学院政策科学研究科博士課程に在籍し、シコシコ論文を読んだり書いたり破いたり発狂したりしています。
以上のような人生ですが、「ローカルの課題を解決する」が生きがいです。主な生息地は、PPP /PFI事業、まちづくり、エリアマネジメントです。ローカルの課題に一生向き合っていく覚悟です。何卒よろしくお願いします。
(2020年4月1日編集)