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コピーライターになってそろそろ10年が過ぎさろうとしている。

だからなんだ。

そんなひとことで片づけられるような10年だった気もする。だからこそ、ひとつの区切りにすこし書いてみようと思う。「だからなんだ」で片づけられるような日々が人生なのかもしれないから。

とはいえ、なにから書きはじめればいいのかも、はたして最後まで書きあげられるのかもわからない。そんなときは「とりあえず」ではじめてみる。

とりあえず「宣伝会議賞」でグランプリを受賞したのがコピーライターとしてのスタートだった。新進気鋭の若手と呼ばれるような輝かしい日々の可能性はすでに遠く過ぎさった32歳のときである。

大学を卒業してからの20代は10職以上をちりぢりに流転する10年だった。喫茶店、図書館、現場職人、料理人、ホテルマン……。すべてはもう思いだせないほどの職を経てオトナ向けの広告制作会社へなぜか流れつくことに。どうせならまだない破廉恥な概念をこの世へ放ってやろうとここには書けないような文章を世の中の片隅で往生際悪く刻みつづけた。そのときに生みだされた言葉のほとんどは燻んだピンク色の海の藻屑となって消えたが、いくらかは今でもとあるフェティッシュな界隈のジャンルとして残っているらしい。

結局、その会社も潰れさり、まったく毛色のちがう工業系の専門雑誌の記者へと転がったものの再び倒産。20代の後半まで悪あがきしたあたりで「もう生きていけそうにない」と北千住かどこかのもつ焼き屋でようやく観念した。そして「どうせなら最後に行きそうもないところへ行こう」と高飛びするかのように中国へ逃げた。べつになにも悪いことはしていない。ただ生きてきただけのくせに。

中国では輝かしい未来を担うはずの大量の日本の若者たちとともに結集し、とある大手IT企業が手がけるインターネットシステムに湧きあがるエロやらグロやらのスパム情報を朝から晩までひたすら駆除しつづけた。もちろん現地水準の安い賃金で。そんな現代版の蟹工船のような仕事をしながらも中国語をせっせと学んだのが功を奏したのか、とある日系翻訳会社で中国現地法人の雇われ支社長として拾われることに。そのおかげもあって再び日本の地を踏んだあとは東京のウェブ制作会社で編集者として働きはじめたもののキラキラした雰囲気になじめるわけもなく自宅へ離脱。今ではあたりまえになったリモートワークをひとり先駆けて始めることになった。

ああ、生きていけそうにない。やっぱり、生きていけそうにない。そんなことをエラ呼吸しているかのごとく息も絶え絶えに喘ぎながら秋葉原の地下道を歩いていたときだったかと思う。例のコピーライターの登竜門とも称される「宣伝会議賞」のポスターが目に入ったのは。それから藁にしがみつくようにして浮かびあがってきたコピーなのかどうかもよくわからない言葉の断片を幾編か送りつけたわけである。

「人生の半分は無職です」。それまでの自分の人生をあらわすかのような言葉が52万点ほどもの応募作品からグランプリに選ばれるとはいったいどんな皮肉なのだろう。支離滅裂な生きざまが肯定されたとは思えそうになかった。そんな素直な心の持ち主ならばそもそもこんなふうに生きてきてはいない。ひねくれた自分の口から漏れたのは「もうすこし生きてみるか」という前向きなのか後ろ向きなのかもよくわからない言葉だった。

それから輝かしい日々がはじまる。わけもなく。

かつて例のオトナ向けの広告制作会社で働いていたときに「クリエイターなんて呼ばれるような人間になるな。あんなのクソエイターだ」と先輩から言われた呪縛かなにかだろうか。いわゆるクリエイターたちが集まる場で、とある中堅のコピーライターから「宣伝会議賞でグランプリなんて獲っても意味ないですからね。実際に広告化されるわけでもないし」と言われて「そういうのは獲ってから言いましょうよ」などとついつい返してしまったりで肩身はますます狭くなるばかり。これでは受賞どころか受難である。

まあ、たしかに彼の言うとおり意味はなかった。そもそも意味があることなんてこの世にあるのかはしらないけれど。とりあえず腹が立ったので自主提案して宣伝会議賞の受賞作品を初めて広告化するところまではやってみることに。結果として実現までに7か月ほどかかったがポスターやポストカードになって都内のゆうちょ銀行さんで実際に掲載された。

そのなかで東京という場所にすこし疲れてしまったのだろうか。あまり深く考えずに関西で初めて暮らしてみることにした。「大阪でいちばんおもしろい会社を教えてほしい」と知人に聞いて教えてもらった制作会社がデザイナーをちょうど募集していたので、まったく聞く耳を持たずにコピーライターで応募。なぜか採用されて働きはじめることになった。

コピーライターとしての実務経験はほとんどなく、コピーの書きかたをどこかで教わったこともない。ぶっちゃけ教わりたくもない。そんな人間にとってコピーライターがこれまでいたことがなく、コピーライティングを教えてもらえるような会社でなかったのはよかったのかもしれない。かなり自由にやらせてもらえた気がする。大阪という場所柄なのかはわからないけれど「おもしろいかどうか」という判断軸もとてもシンプルでやりやすかった。

「陰毛の波形で音楽をつくる」
「寝たきり銀幕デビュー
「飲食業界にあるまじき企業理念」
「ソースを浴びる」
「ソースで書道」

この「おもしろい」はとても奥が深くて難しい。もちろん言葉の定義なんてものは人それぞれでいいのだけれど「おもしろければいい」ではおもしろくないのが個人的にはおもしろいところだと思う。

陰毛の波形を音楽にしたりソースを浴びて書道をしたりで疑われてしまうかもしれないけれど「どんなに言葉としておもしろくてもクライアントの課題を解決できていないコピーなんておもしろくもなんともない」という意外と真面目な視線がすこしずつ生まれていった。いわゆる「なんのために」を言語化するコンセプトづくりの視点である。「なんのために」だなんて考えもしないような人間のくせに。

ここまですこしずつ書きたしてきたけれど、はやくもだんだんしんどくなってきた。10年って思ったよりも長いらしい。でも、なにごともしんどくなってきてからがおもしろいところだと思うのでまた書きはじめる。で。なんの話だったっけ。そうそう。コンセプトだ。なんてわざとらしく。

それから「コンセプトづくり講座」だなんて場所に通うわけでもなく「コンセプトのつくりかた」だなんて書籍を読むわけでもなく。だれかの教えを信用できない性格は相変わらず、ひたすらプロジェクトで実践しながら自分なりに方法論を組みあげていった。

といっても大層なものではない。どうせなら、だれでもできるくらいシンプルなフレームワークをめざしたい。小難しいことを小難しく振りまわしてもしょうがない。「最近はコンセプトをつくる仕事が増えてきたよ」と妻に告げたら「え、豚足丼?」と真顔で聞きかえされてしまったほど馴染みのない概念なのだから。

まあ、豚足丼のつくりかたはさておき。コンセプトを言語化する基本的な考えかたはイソップ寓話の『北風と太陽』にたとえて伝えることが多い。北風と太陽が「どちらが通りすがりの旅人の上着を脱がせることができるか」とよくわからない力比べを唐突にはじめるお話である。

このときにあたりまえのようで意外と見落としがちなのが「課題」と「お題」はちがうこと。「課題」は解決すべきもので「お題」は課題を解決して達成されるゴールになる。「課題」と「お題」を最初に取りちがえるとプロジェクトが最後まで見当ちがいの方向へ進んでしまうので注意したほうがいい。(実際、そういうプロジェクトはほんとうによく見かける)

例の『北風と太陽』で言えば「旅人の上着を脱がせる」が「お題」だ。これを解決すべき「課題」と勘違いしてしまえば、北風のように上着を無理やり吹きとばそうとして失敗してしまう。

そこで「お題」が届いたら「そもそも、どうして」と慌てず問いかけてみるのがいい。たとえば「そもそも、どうして脱がないの?」と旅人へ聴けば「寒いから脱ぎたくない」との当然の答えが返ってくるはずだ。これこそが解決すべき本当の「課題」である。

そして課題を解決するために「サンサンと照らして脱ぎたくさせよう」との方向性が見えてくる。結果として「旅人の上着を脱がせる」との「お題」も無事に達成されることになる。

よし。あとは旅人を照らす一本一本の太陽光線たちにも「どうしてこの方向性なのか」をわかりやすく伝えるために言葉でまとめておこう。これがコンセプトである。

思考の流れをまとめると以下の6つのブロックでプロジェクトの要件を整理しながら進むべき方向性をコンセプトとして言語化している。(タップすると拡大できるかも)

ここからコピーライティング、ネーミング、プランニング、コンテンツなどなどを考えるフェーズへ進んでいくことになる。そのときにコンセプトがベースにあるとアウトプットはもちろん、チームメンバーの方向性もバラバラになりづらい。いわゆる「ブランディング」の一貫した軸になる。だから最近は「コンセプトワーク」というよりは「言語化ブランディング」として全体をお手伝いさせていただくことも多い。

もちろん、コンセプトはひとり黙々と考えているだけでは生まれない。その方向性がほんとうにその人らしいものなのか。たとえば「企業理念」の言語化プロジェクトであれば代表や経営陣、メンバーの声をしっかり聴くことが大切だ。さきほどの「コンセプトの基本的な考えかた」も「ヒアリング」が大前提に存在している。もしかしたら「書く」ことは「聴く」ことなのかもしれないとさえ思う。このあたりはまた次に。たぶん。

「書く」ことは「見る」こと「聴く」こと「話す」こと。つまり「書く」ことは「書く」こと以外なのかもしれない。たとえば、お客様へお見せしている資料から抜粋すると「言語化プロジェクトの基本的な進めかた」はこんな感じになっている。

現状のフレームワークでは、すべての根幹に「ヒアリング」を据えている。というよりは「ディスカッション」に近いかもしれない。リアルかオンラインかは正直どちらでもいい。もちろんリアルだからこそ見えることもあるけれど、オンラインだからこそ話せることもあるから。ご予算にあわせて好みのほうを選んでもらっている。ただ、最近はリアルでお会いしたい気持ちが個人的に強まっているので遠隔地でもなるべく出向かせていただくようにはしている。

ヒアリングの所要時間は「1〜1.5時間」ほどで「10〜15項目」をお聴きしながらディスカッションするケースが多い。そこから「プロジェクト要件整理」を経てコンセプトを考えていく。「コンセプトの基本的な考えかた」については前回に書いた。

ヒアリングのレシピはお客様のオーダーにあわせてチューニングしているので「これだ」と言いきれるものはない。もしかしたら、ここが言語化のキモなのかもしれない。言語化できない部分だからこそ。

たとえば、前述した『北風と太陽』の例で言えば、こんなディスカッションが展開されるかもしれない。もちろん本来は相手と即興でセッションしていくものなので、あくまで参考例として。

太陽:
旅人の上着を脱がせたいんです。

101:
なるほど。わかりました。ちなみに「なんのため」に旅人さんの上着を脱がせたいのでしょうか。

太陽:
北風に勝ちたいからです。

101:
わかりやすいですね。ただ、それはあくまで個人的な目的なので、もしかしたら多くの人からの共感は生まれづらいかもしれません。なんだか大層な話で恐縮ですが「社会的」な意義をよかったら教えていただけませんか。

太陽:
うーん。そうですね……やっぱり「あたたかい世界」にしたいんです。だれもが上着を自ら脱ぎたくなるような。だからこそ、太陽として世界をサンサンと照らしつづけたいと思っています。

101:
すごく太陽さんらしくて素敵ですね。これもすこしかたい話になってしまいますが、その「あたたかい世界」を実現するためにどのような課題が「社会」に存在していると感じますか。

太陽:
たとえば、北風みたく上着を無理に脱がせようとすれば旅人の心までが寒く冷えきってしまうでしょう。そういうやりかたが蔓延すれば社会までも凍りついてしまう気がしています。

101:
たしかに。よく考えたら旅人さんも寒いから上着を脱ぎたくないわけなので。北風を吹きつけてしまうのはそもそもちがうのかもしれませんね。

こんな感じだろうか。ここで伝えたかったのは「言語化はまったく新しい言葉を生みだすものではない」ということだ。

言語化に悩むほとんどの人たちはすでにその言葉(のタネ)を自分のなかに持っている。実際にヒアリングやディスカッションの過程で「いやいや、もう答えを自分で言っちゃってるじゃないですか」とお伝えして「あ、ほんとだ」と笑いあうなんてこともよくある。たとえば、太陽だって最終的にコンセプトとして言語化される「あたたかい世界」というキーワードそのものをまっさきに自ら口にしている。それが答えだ。

頭にかけたままのメガネをずっと探している相手がいて。そのメガネをそっと頭から外してきれいに拭きあげて手渡す。「なんだこんなそばにあったんですね」と思わず笑いが生まれる。言語化はそういうものだと思っている。

さあ、次はなにを書きたすのだろう。コピーライターとして独立していくあたりの話になるのだろうか。きっと。書けますように。

つづく(↓ この下にまた少しずつ書いていこうと思います)

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