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#そういえば311 東日本大震災から現在

今日の夕方、テレビをつけたらNHKが写って、
#そういえば311 のコーナーをやっていた。

あの時の記憶。思い出してみよう。



2011年3月11日金曜日。
わたしは当時小学6年生で、体育館で卒業式の練習をしていた。

突然ガタガタと音がして、体育館が大きく揺れた。
友達に聞いたら、
「2組の先生が転んだフリした瞬間すごい揺れたよね」と言っていた。
全然覚えてない。不謹慎だけどこんな面白いことなぜ覚えていないんだわたし。

天井のライトが消え、ゆらゆら揺れる音が怖かった。
友達と手を繋ぎながら時間が経つのを待った。

体育館からグラウンドへ避難。雪が降っていて寒かった。

授業は終わり一斉下校になった。
一緒の登校班の子のお母さんが学校に迎えにきていて、
わたし、下校班が一緒の男の子2人とそのお母さんの4人で帰宅した。

停電になり、テレビも電気もつかなかった。
その日はがんばった大賞の日だったので、
テレビっ子のわたしはそれが見れないことにすごくショックを受けた。

父が実家からロウソクを持ってきて、趣味のキャンプ道具を出してきた。
母は約10年ぶりに電気がいらないストーブを出してきた。
ストーブの上でやかんをあっためるのはすごく新鮮だった。

夜はラジオをつけながら、3人川の字になって寝た。
朝起きたら電気が通ってたらいいなーと思った。

朝起きても電気はついてなかった。
何もやることがなくてリビングでダラダラしていたら、突然電気がついた。

テレビをつけたら陸前高田の津波の映像が流れていて衝撃的だった。

ACのぽぽぽぽーんのCMは今でもはっきり覚えてる。
1分バージョンがレアで、
友達に「わたしはお昼の12時ごろ見たよ」と言われれば
その時間は必死にテレビを見てた。結局見れなかった気がするけど。

その後も余震があって、中学校の入学式の次の日が休校になったのを覚えている。


2019年、わたしは大学3年生になり災害復興の分野に関わる研究室に所属した。
決めた理由はいくつかあるが、
3.11の復興活動が何もできなかったからというのはその中の1つだ、

配属直後、研究活動として陸前高田・遠野・釜石へ行った。
高校時代に南三陸には行ったことがあったが、
3.11当時テレビで何度も名前を聞いていた陸前高田へ行くのは初めてだった。

祈念公園へ行ったり展示を見たり、被災者の方からお話も伺った。
さらに避難しているときに撮影していた映像も見せていただいた。

津波で街が流されてから8年でこんなに再建されているのかと思うのと同時に、
まだこれだけなのかという印象も受けた。

アイキャッチの陸前高田の奇跡の一本松。力強く立っていた。

生の声や物を見て、
メディアを通して見ていた映像が本当に現実に起きていたんだと改めて感じ、
被害が甚大だったことを再度認識した。

わたしは今、別の自然災害で復興に関する研究を行っている。
現実的な問題を考えなければいけないので進めるのは難しいが、
少しでもその地域の役にたてるようにあと数ヶ月一生懸命考えていこうと思う。




研究を始めて、
改めて私たちの生活は自然災害から切り離せないのだと感じている。

こうして当時の様子を振り返り、311の記憶は伝承していかなければいけない。
そして、自然災害にどう立ち向かうか考えていかなければいけない。




次に自然災害に巻き込まれるのは自分かもしれない。