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【実話怪談】2階に行ってはいけない家

私が小学校中学年くらいの時に、数カ月だけ住んだ家の話をします。

正確にいつ、どのくらい住んだかは思い出せませんが、二階建ての一軒家で酷く古い家でした。
転勤の多い父に付き合っての引っ越しは、毎度のことながら大変です。
経済的な事情からなのか、住む家はどれもひと癖ありました。その中でも一際奇妙だったのが、今回お話する家です。

その家は条件付きの借家で、隣には大家さんが住んでいました。一見した限りでは、ただの古い家でしたが、今思うと独特な雰囲気があったと思います。まるで誰かが既に住んでいるような……実際、いくつかの大型家具や壁に飾られた絵画などはそのままになっていました。
この家に引っ越す時に父が「ここに住むのは短い期間になると思うから、荷解きは最小限でいい。」と言ったので、段ボールから必要最小限の服や学用品を取り出して新生活はスタートしました。

「この家は、2階を使ってはいけないと言われているから階段を上らないようにね。」と、母に言われ、兄が「どうして駄目なの?」と聞くと、「ここはね、元々大家さんのご両親が住んでいた家で、10年くらい前に亡くなったそうなんだけれど、2階には形見が置いてあるからそのままにして欲しいということなの。」と説明されました。
ぽかんとした私たち兄弟の顔を見て、母は説明を付け足します。
「つまり、昔死んだ人の大事なものを2階に残してあって、それには触って欲しくないらしいの。だから、2階には上がっちゃ駄目だからね。」
わかりやすく言い直されて、ようやく合点がいき、私たちは頷いたのでした。

この家に住んだ時期、父と母は珍しく険悪な雰囲気でした。
原因がわからず当時はただ戸惑ったものですが、後に母から聞いた話によると、その時期に遠い親戚から、弟を寺の跡取りにしたいから養子に出してくれないかという話が再び出ていたのだそうです。一度目は弟がもっと幼い時で、母と相手が揉めていたのを覚えています。
二度目の打診。母はすぐにお断りしたのですが、父が「それはいい。あれ(弟)は養子に出そう。」と言い、そこからしばらく大喧嘩していたとのことでした。
弟は確かに浮世離れしていて、儚げで、滅多に言葉を発することがなく、大体常にぼーっとしていて、とても不思議な子どもでした。
でも、だからといって一緒に住む家族です。今の私なら、父の気持ちにいくらか寄り添うこともできますが、それを当時の私が耳にしたら、同じく大激怒したことと思います。

ともあれ、どこか家庭内がピリピリする中、最初は何事もなくその家で普通に生活していました。

1ヶ月くらい経った時。

姉が兄と私を呼び、深刻そうな顔をして言いました。
「この家、夜中に変な音しない?」
そう言われて、私は寝付きの良い方なのでピンと来ずに首を傾げましたが、兄は同意して興奮気味に口を開きました。
「する!なんか、動物が走る足音みたいなタタタッて音とか、他にも何かが這うような、ズズズッて音がする!」
兄と姉は、共感者がいてホッとしたような表情です。
「多分2階に何か動物がいるよね?あの走る音は、イタチとか猫かな。」
姉が言うので、私が「猫!猫なら良いなぁ。」と話に混じると、兄は「いや、猫じゃないよ。あれはもっと、大きいものだと思う。」と呆れたように言いました。
「あの、ズズズッて音はなんだろうね。私はそっちの方が気になって、最近寝不足なんだよね。いつ引っ越しかなぁ、なるべく早くが良いよね。」
姉が早く引っ越したいと言ったのは、その時が初めてでした。いつもは引っ越しが決まると「なんでまた引っ越しなの!」と言っていた姉なので、よほど参っているのだと思いました。
兄はそんな姉の様子を見て、「2階、こっそり見てみようか……どんな動物がいるのか、俺も気になるし。」と言い出します。
2階への階段は、母の言いつけを守ってまだ誰も上ったことがありません。
なんとなく面白そうだなと思い、同意しようとした時。
ぐいっと、突然弟に腕を引っ張られました。
一体いつから居たのか。
姉も兄も私も驚いて弟を見ます。
弟は、どうやら私の腕を引いてどこかに連れて行こうとしているようです。
「どうしたの?」と言いながら、私はなんだか嫌な予感がしました。弟がこうやって突然腕を引く時は、大抵ロクなことにならないと過去の経験上学んでいたからです。
「どうした?どこに行きたいんだ?」
兄が私の腕から弟の手を取り握ります。
弟は薄く笑い、今度は兄の手を引いて歩き出しました。兄は大人しく弟に付いて行き、仕方無く私も後に続きます。姉も同様に、不安気な顔で付いてきました。

弟が立ち止まったのは、元々入居時から備え付けてあった絵画の前でした。その絵画は、ドガの踊り子のような作風の絵で、なかなか大きいものだったと記憶しています。
そこで兄の手を離し、弟は絵画を指さしたのです。
兄も姉も困惑したように弟の指がさすところを見ますが、ただの絵がそこにあるだけ……。
私は、なんとなく弟の伝えたいことがわかって、口を開きます。
「多分、絵の裏を見て欲しいんだと思う。」
私の言葉に、弟が頷きました。
兄と姉は顔を見合わせ、少し沈黙しましたが、先に動いたのは兄でした。
迷いなく絵画に手をかけ、絵の裏を覗き込みます。
「うわっ!なんだこれ。」
兄はすぐに手を離し、一歩引きました。
「え、何、何があったの?」
姉が不安そうに聞きます。
「いや、わかんないけど……なんか、読めないけど文字みたいなのが書かれた紙が沢山貼ってある。」紙。
文字の書かれた、紙?
「それって、よく怖い話とかで出てくる、御札じゃないの?」
姉が呟くと、兄もハッとしたような顔になり「御札、かもしれない、確かに。」と、小さな声で言いました。
弟は兄の言葉を聞いて、用は済んだとばかりに立ち去っていき、後に残された私たちはただただ沈黙しました。
しばらくして、「やっぱり、2階に上るのは、やめたほうが良いと思う。」ひと言、絞り出すように姉が言い、私も兄も首を縦に振ります。

2階にいるものは、きっと動物ではないんじゃないか。もっと得体のしれないものが潜んでいるに違いない。

恐らく3人とも、そう考えていたと思います。
それなのに、夜中に響く音のことも、絵画の裏に貼られた紙のことも、なんとなく父にも母にも言えませんでした。
父は霊感の強い人だから、きっと全てをわかって敢えてここに住んでいるのだろうし、母は究極のリアリストだから、そんなことを言ったら呆れられて終わりだろうことが容易に想像できたらです。
多分、兄も姉も、同じように考えていたと思います。
私たちはただただ、引っ越しの日を待つしか無かったのです。

それから2ヶ月くらい経ったある夜。
私は初めて、その音を聞きました。


トットットッ


ズッ……ズズズ……


軽快に走る何かと、這って何かに擦れるような音を出しているもの。
姉の言うとおりでした。


タタタッ


と響く足音は、やはり何か、大きな四足歩行の動物が走る音に聞こえます。


ズズズッ……ズ……


対して、這うような音は、どうしたらこんな音が出るのか検討もつきません。
しばらく耳を澄ませて聞いていましたが、段々と強い眠気に襲われてウトウトしてきました。

そして、夢を見ました。

私は2階に続く階段の前にいます。
階段の前には弟も居て、私の手を引き、一緒に階段を上ります。
上り切ると、短い廊下があり、左側と奥と右側にドアがそれぞれ付いていました。弟が迷わず私の手を引いて、左のドアを開けます。
そこは和室で、畳が敷かれていました。
畳の上には白い着物を着た白髪の老人がうつ伏せで倒れています。
夢だからか、怖くありません。
あ、人が倒れている、と思ってしばらく見ていると、その老人がゆっくりと這い出しました。
必死に、匍匐前進をするように。その表情は見えません。
白い着物が畳に擦れて。


ズズズッ…ズッ………

音が、鳴りました。

そしてまた、弟が私の手を引き、今度は右のドアを開けます。ここは洋室でした。
書斎なのか、本や書類が散乱しています。
酷く散らかった部屋です。

ガサッ

と、書類を踏むような音がしました。
音の方を見ると、何故すぐに視界に入らなかったのかと思うような、馬がいます。
最初に見たのは馬の足元でしたが、しっかり全体を見るとその馬には、老人の頭がついていました。
思い返すと叫びたくなるような奇妙な生き物でしたが、夢だからか、不思議と驚きや恐怖の気持ちは生まれません。
老人が苦しそうな呼吸をすると、馬は本や書類を踏みつけて軽快に走ります。

タタタッ

狭い部屋を優雅に馬が駆けて、老人は苦しそうに呼吸して。

トットット

音が、鳴ります。

弟が私の手を引きその場を離れ、次のドアはいよいよ最後のドアです。
弟は、ドアの前で立ち止まり、私の顔を見ました。
何故か、今度はドアを開けません。
ただ私の顔を見る弟の、言いたいことがわかった気がしました。
(私が、開けないと駄目なのか……。)
夢特有のリアリティの無さを感じながら、ドアノブに手をかけます。
ゆっくり回して引いて、最初に目に入ったのは父の姿でした。
意外な人物に面食らい、弟を見ます。
すると弟は、父を指さしてゲラゲラ笑うのです。あまりのわけのわからなさに、もう一度しっかりと父を見ます。
父はこちらに気付くと目を見開き、一瞬驚いたようでした。
いつも淡々としている父なので、焦ったようにこちらに向かって手を伸ばし、怒鳴る姿に強い衝撃を受けました。

「馬鹿!来るな!!」


次の瞬間。

高いところから落ちるような浮遊感が体を襲い、(落ちる……!)と思った時、バッと飛び起きるように体を起こしました。
すると、今度はゴンッと顔に硬い何かが当たり、「痛っ!」と思わず声を出します。
「こっちの方が痛いわ!急に起き上がってくるなよ馬鹿!」
目の前に居たのは、隣の部屋で寝ているはずの姉です。姉いわく、私の寝言がうるさくて起こしてやろうと思って私の体を揺すっていたら、突然ガバッと起き上がったせいで自分の頭にぶつかったとのこと。
「あー……ごめん。」
とりあえず謝ります。どうやら、やはりあれは夢だったようです。
「そういえば、私も初めて聞いたよ。姉ちゃんが言ってた変な音。」
私が言うと、姉は「今更!?」と驚き、「今日はお前の寝言の方がうるさかったわ!」と、悪態をつきます。
どんな寝言だったのかは怖くて聞けず、その後は姉の存在のおかげで安心して、再び夢も見ずに眠れました。

次の日。

父が、「大家さんに挨拶するから、お前も来なさい。」と言い、私と一緒に隣家へお邪魔しました。大家さんが出てきて仏間に通され、まずは父に倣って仏壇に手を合わせます。
手を合わせて顔を上げた時、遺影であろう写真が目に入りました。

「あ。」

思わず声が出ます。
夢で見た、馬老人の顔が、そこにありました。
その瞬間、父が私に鋭い視線を遣り、口の前に人差し指を立てて(静かにしなさい。)と合図するのを見て、私は黙ります。
その後は大家さんと父の話す姿をぼんやりと眺めていました。
和やかに話しているなと思って見ていたら、最後の方は不穏な雰囲気になり、「これ以上は何も……来週には出ていきますので。」と、父が言ったのは覚えています。
慌てて「ちょっと待ってください!」と言い、追いすがる大家さんに、父は確かにこう言いました。

「知っているんですよ、全部。あなたが何をしたのか。」

蔑むような父の声色と視線に、大家さんは項垂れ、もう追いかけてはきませんでした。
帰り道、私は少し考えて父に聞きます。
「……なんだったの?」
父はこちらを見ること無く歩きながら、「大家は2階にある遺産が欲しいそうだが、あれは手に負えるものではない。大家自身の業が深すぎる。」と呟くように言いました。
(ごうって何だろう……。)
そう思いながら父の背中を眺めるのでした。

引っ越しが決まり、姉と兄は大喜び。
弟は変わらず薄く微笑み。
母は小さい妹のお世話と引っ越し準備に追われ。父は黙々と本を読み耽り。
いつもの日常に戻ったところで、このお話は、ここでおしまい。
後に母から聞いたところによると、あの家は大家さんのご厚意で家賃がタダ同然だったそうです。母だけが最後まで「もう少しここに住んでいても良いじゃない。」と、残念そうにしていた理由がよくわかりました。

これは私の実話です。

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