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【実話怪談】曲げる

大学生の時、アルバイトで家庭教師をしていた時のお話です。

家庭教師は短い時間で高収入のアルバイトなので、大学生には特に人気があります。
個人的には人の家の中が見られるというのが面白くて、短い期間の家庭教師でも積極的に受けるようにしていました。
人に教えることも性に合っていたようで、受け持った生徒さんは順調に成績を上げていき、評判も上々。家庭教師仲介本部に気に入られ、徐々に紹介される生徒も難しい子が多くなっていきます。

そんな難しい子の中に、リョウくんはいました。

「このお子さん、何度も教師の変更をしていまして……どうにも、気難しいとのことで。短期間になるかもしれませんが、1度引き受けてくださると有り難です……。」
本部の方が申し訳無さそうに書類を差し出しました。

高校2年生の男の子。不登校気味。女性の家庭教師を希望する。

他のお子さんと違って、あまりに少ない情報量です。
「家庭教師の曜日や時間帯はいつでも良いそうなので。そういった意味では良いお客さんなんですけどね……。」
ぼやく本部の方に、即答で「引き受けますよ!」と返事をします。
時間帯がいつでも良い、というのが、複数アルバイトを掛け持つ私には魅力的でした。
(まあ、早々にチェンジされるかもしれないけど……合わないなら、ハッキリ言ってもらえたほうが有り難いし。)
本部の方の喜ぶ顔を見ながら思います。
(それに、気難しいお子さんの住む家って面白そう。)
家は、家庭によって全く違う顔を見せる。
他人の家の中への興味が強かった私は、ワクワクしていました。

初めてリョウくんのお家に伺う日。

方向音痴の私は、本部の方が用意してくれた地図を片手に余裕を持って出発しました。
(随分都会に住んでいるんだな……。)
我が街の主要駅から徒歩5分で着いたマンションは、できたばかりのようでとても綺麗です。見ただけで、経済的に豊かなご家庭だと察することができました。

部屋番号を入力してチャイムを鳴らして待つと、「は~い……ああ、家庭教師の方ですね。」と、女性の声がして自動ドアが開きます。
しっかりした中年の女性をイメージしながら、エントランスを抜けてエレベーターで上階へ上がり、いよいよリョウくんの家の扉の前です。
ドキドキしながらチャイムを押すより前に、ガチャッとドアは開きました。
「どうぞ。お待ちしてました。」
淡々と言う女性は、キリッとした印象でスーツを着ています。
(おー、絵に描いたようなキャリアウーマン。)
18時半からの家庭教師だったので、ちょうど仕事帰りだったかなと想像しながら、目の前に差し出されたスリッパを履きました。
玄関には生花が飾られており、パッと目に入る装飾品も生活水準の高さをうかがわせました。
「リョウは、元々頭のいい子なんです。どうしてか最近一気に成績が落ち込みまして。それで家庭教師をと思ったのですが、なかなか合う方に巡り会えなくてね。」
困ったように言いながら歩く母親のあとについていきます。
「お話は伺っています。私も……リョウくんに合わなかったら、遠慮なく仰有ってくださいね。家庭教師は、相性が大事ですから。」
まあ、遠慮なくチェンジしているから本部の方に気難しいと言われるんだろうけど。
「ありがとうございます。難しい年頃ですから、接し方には充分注意してくださいね。よろしくお願いします。」
案内された部屋のドアがノックされます。
ドアが開いて出てきた男の子は、小柄ながら筋肉質で私とは正反対の活発な雰囲気です。
(あ、これはチェンジされるな。)
ひと目見てそう思いました。
今風に言うなら、リョウくんは陽キャで、私は陰キャだ。絶対に合わない。
「宜しくお願いします。」
少し身構えながら挨拶すると、予想に反して「宜しくお願いします。どうぞ。」と丁寧な言葉遣いで迎えられました。
見た目に反して落ち着いた印象です。

部屋に入ってまず目に入ったのは、大量のスプーンでした。
あちこちに、スプーンが散らばっています。
明らかに異様な光景です。
「お茶を淹れてきますね。」
怯む私に、スプーンについては特に何も触れることなく母親は立ち去っていきました。
(なるほど。気難しいというか、かなりの変わり者なんだな……。)
覚悟してリョウくんに促された椅子に座ります。「今日の教科は英語でしたよね。学校で使っているテキストはこれですね。どこまで進んでいるか見ても良いですか?」
机には、英語の教科書やテキストが積まれてます。
視界の端には、スプーン。

あ、と思います。

よく見るとスプーンは、首の部分で綺麗に曲がっていました。
それを横目に、英語の教科書を手に取り中身を確認していると、ふとリョウくんの視線を感じます。
「敬語で話す先生は初めてだよ。」
指摘されたので、「私は基本的に敬語しか使いません。特に初対面では、距離感を慎重に測るようにしています。」と、しっかり目を見て伝えました。
そう、私は相貌失認症なこともあり、人間関係の結び方がとても不器用だったのです。
「それはいいね。兄貴の影響で俺、ブレイクダンスするんだけど、そこで会う人はみんな馴れ馴れしくて苦手なんだ。」

ブレイクダンス。

突如出た言葉に、駅前の広場でたむろっている若者たちが浮かびます。
歌う人、飲酒する人、ダンスする人、ローラースケートをする人……正直にいうと、そこに集う若者には独特の圧があり、苦手です。
あそこは、治安がかなり悪い。
「ブレイクダンスって、あの、地面に頭を付けて回ったりするやつですか?」
私が聞くと、「ああ、ヘッドスピンね。」と、嬉しそうにリョウくんが言いました。
「兄貴が得意で、俺も真似してできるようになったけど……それのせいかな、回転しすぎて頭が悪くなったのかも。」
ハハッと、笑うと少し幼く見えました。
「ふふ。ワークの復習から始めましょうか。」
そろそろ母親がお茶を持って入ってくるかもしれないと思い、とりあえずワークを広げます。

その日は、そこから和やかムードで順調に勉強を終えることができ、ホッとしました。
お互いに緊張が緩んだところで(スプーンについて聞いてみようか……。)と、一瞬頭によぎりましたが、(もしかしたら歴代の家庭教師は、スプーンの話題で何らかの地雷を踏んだのでは?)という邪推から、聞くことができません。
帰り際、「これらも宜しくお願いします。」と母親に言われて、どうやら気に入られたようだと悟りました。

次の日。

私はゼミが同じの友人Rに、リョウくんのことを話します。
特にスプーンの件については、誰かに話さずにはいられない程の衝撃を受けていました。
「それ、ゲラリーニじゃない?」
なんてことないように、Rは言います。
「ゲラリーニ?」
戸惑う私に、「小野不由美のゴーストハント、読んでないの?名作なのに。」と、Rは呆れたように言い放ち、ため息までつきました。
「それか、マジックショーの練習でもしてるんじゃないの。」
全く興味の無さそうな声色に、それ以上話題を膨らませられず終わりました。

あの日は、リョウくんがついに受験生になって間もなくだったと思います。
なんだかんだ、リョウくんの家庭教師は順調でした。

そして、その頃になると、スプーンを私の目の前でも曲げてくれるようになっていました。
「これ、熱で曲がりやすい特殊なスプーンなんだ。」
そう言いながら、リョウくんがスプーンの首を撫でると、グニャリと勢いよく曲がります。
パキンッと音がして、折れたこともありました。あまりに当然のように何度もスプーンを曲げるので、段々と驚きは無くなります。
どういう仕組みなのか、触れなくても曲げられる時もありました。
(Rの言うように、マジックショーの練習だろうな、きっと。どんなタネなんだろう。)
疑問に思いつつも、なんでそんなことをしているのかなどは、聞かずにいました。
深く立ち入らないのが、人間関係が長続きする秘訣だと当時の私は信じていたのです。

あの日。

突然、家庭教師が終わった日。

陽気が心地よい春の日の、夜のことです。
その日の家庭教師は、他のアルバイトとの兼ね合いで、少し遅い時間からのスタートでした。
いつものように、玄関のチャイムを鳴らすと、母親が酷く青ざめた表情で出てきました。
「ごめんなさい、先生。リョウ、さっき帰宅したのだけど様子がおかしくて。部屋のドアを開けてくれないから、今日はもうこのまま帰ってください。」
驚いて、思わず「何かあったんですか?」と問うと、「さあ……どうも駅前で、なにかあったみたいで。詳しくはわからないのですけど、喧嘩沙汰に巻き込まれたようです。」困惑したように、母親が言います。
「喧嘩沙汰、ですか。」
駅前。
あの、治安が悪い場所で、ブレイクダンスをしているリョウくんの姿が頭に浮かびました。
あんな場所では、喧嘩沙汰に巻き込まれることもあるだろう。
そういえば、私が駅を出た時に、パトカーが何台か停まっていました。
「怪我は、していますか?心配です。」
なんとなく、嫌な予感がします。
「怪我は……無かったと思います。ただ、酷く怯えていて。リョウを家まで連れてきてくれたお友達は、顔を殴られたようなの。なのにリョウだけ置いてすぐにいなくなってしまって。」
脳裏に、昔の記憶が蘇りました。

『兄貴の影響で俺、ブレイクダンスするんだけど』

リョウくんの言葉。
きっと怪我をした人が、リョウくんの慕う、兄貴分だ。
ブレイクダンスの練習中に何かが起きた。
リョウくんも、目に見えないところをもしかしたら、怪我しているかもしれない。
「私が、お話してみても良いですか?」
いつもだったら引き下がっただろう場面です。
その時は何故か、自分から深く踏み込んでしまいました。
許可を得て部屋の前まで行きます。
「リョウくん、大丈夫?」
声をかけても返事はありません。


ギッ………。


でも何故か、きしんだ音がして、ドアがゆっくり開きました。
自動的に開いたような、不自然な開き方です。
「リョウ!?あなた何してるの!?」
目の前の光景に、母親が悲鳴のような声を出します。
リョウくんは、なにかに取り憑かれたように部屋中のスプーンを集めてビニール袋に詰め込み、何やらブツブツ言っていました。明らかに、異様です。
「俺のせいじゃない、俺のせいじゃない、俺のせいじゃない……。」
よく聞くと、そんな言葉を発しています。
「リョウくん、落ち着いて。何があったの?怪我はない?」
サッと目視で見える範囲を確認して、とりあえず目立つ怪我はなくひと安心する私に、リョウくんは言いました。


「先生、俺、人を殺したかもしれない。」

空気が、凍ります。

人を殺したかもしれない。

言葉の意味が入ってくるまで時間がかかりました。
母親も絶句しています。
「……どういう、こと?」
やっとのことで、ひとこと絞り出しました。

「兄貴が、殴られて、それで俺、頭にきて……。」

カラン、と、スプーン同士が擦れて音が鳴ります。
リョウくんが震える手で曲がったスプーンを一本、私に差し出しました。
意図がわからず、でも受け取ると、リョウくんが言葉を続けます。

「スプーン、曲げるのと、同じように、したんだ。」

震える声です。

「俺、あいつの、首を………。そしたら、あいつ、苦しんで倒れて、息して無くて。兄貴とにげ」

そこまで聞いた時。

「先生!!もういいです!帰ってください!」

リョウくんの言葉を遮るように、母親が金切り声を上げました。
ものすごい力で腕を引っ張られ、玄関まで引きずられるように連れて行かれます。
「今日の分のお金は払いますから!このままお帰りください!」
そのまま押し出されるように放り出され、後に残ったのは、リョウくんに渡されたスプーンが、手元に一本だけ。

『これ、熱で曲がりやすい特殊なスプーンなんだ。』

嘘、嘘、嘘。

嘘だった、全部。

スプーンは、擦って温めても、全く曲がらない。
冷たく硬いその感触が何処か悲しくて。
しばらくその場に立ち尽くしたことを覚えています。

翌日、家庭教師本部からの連絡で、リョウくんが家庭の都合で家庭教師を雇い続けられなくなったという話を聞きました。
なんとく、覚悟していたのでそこまでショックはありませんでした。

それから。

大学の図書館で新聞を隅から隅まで読んで、あの駅前で何か事件が無かったか、探します。
数日間しっかり目を通しましたが、特に事件の記事は見つかりませんでした。

未だにふと思い出す、後味の悪い話です。

リョウくんはあれから、どうしたんだろうか。
受験がうまくいって、幸せに生きていることを願うばかりです。

これは私の実話です。

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