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【人怖】カチカチ
〈第十二話〉
これは私が大学生の時のお話です。
広大な敷地を持つ大学には、森がありました。
今思うと農学部もありましたので、あの森も、何かの研究用だったのかもしれません。
森自体にはなんの思い入れもありませんでしたが、問題は森に集まるカラスです。
大量のカラスが森に巣食い、大学の内外問わず荒すようになり、大量の糞が落ちました。
落ちてきた糞で汚れることも多々あり、学生の間では「カラステロ」と呼ばれ、恐れられていました。
ある日、私はサークル棟へ向かう坂道を下り、オーケストラ部の練習場へと歩いていました。
活動場所として割り振られたその場所は、森の脇に建てられたプレハブで、夏は暑く冬は寒いと悪評高い部室でした。
あの日は残暑が残るものの、秋風の吹く過ごしやすい日だったと思います。
森の横の坂道ということで、どこを見ても視界にはカラスが入りました。
(またカラスが増えてる……そろそろ大学も対策すべきじゃないかな、食料にして売り出すとか。)
と、我ながら無茶なことを考えながら部室に着きました。
個人練習を終えて部室を出ると、だいぶ日が陰り、カラスの鳴き声があちこちから聞こえます。茜色に染まる、夕暮れでした。
これからアルバイトに向かう足取りは重く、更に上り坂でしたので、ゆっくりと歩みを進めます。そのうち、妙な音が聞こえてきました。
カチカチ
なんだか聞き覚えのあるような音です。
(なんの音だろう。)
カチカチ
視界にはカラスが入ります。
カチカチ
そこで、唐突にひらめきました。
(ああ、なるほど、あれだ。バードウォッチングの、鳥を数えるやつじゃない?)
ついに大学も、カラスに対して何かしらの対策を打ち出すことにしたのか……。
これはそう、そのための調査なんだと、なんの根拠もなく思いました。
カチカチ
(それにしても、音がだんだん近くから聞こえてくるような……。)
次の瞬間。
音が背後から、聞こえました。
カチッカチッ
思わず視線をやるとそこには。
私の髪の毛に、ライターで火をつけようとしている男がいました。
目が、合った時。
声も出さずに一目散に坂を駆け上がったのを覚えています。
大学の学務に通報してから、不意に笑いが込み上げてきました。カァカァと、カラスにも笑われているようです。
(何がバードウォッチングだ……我ながら間抜け過ぎる。ああ、怖かった。)
その後、大学で何件かボヤ騒ぎがありましたが、犯人は捕まりませんでした。
髪の毛を燃やされたという話は聞きませんでしたが、鞄に付けたマスコットを燃やされたという人も居て、ゾッとしたものです。
「犯人はイヤホンで音楽を聴いている人を狙うから、気をつけてください。」と、大学からの注意喚起がありましたが……。
何が怖いって私、別にイヤホンしてなかったんですよね。
多分犯人も「こいつ……気付かな過ぎじゃない?」って調子に乗っちゃったのかな。
あの時目が合った犯人ですが、相貌失認症の私は、顔のパーツだけきちんと覚えてるんです。
特に口元で相手を判別するクセがあるんですけどね。
前歯がほとんど無かったなぁ……。
これは私の実話です。