逃避、とうひ、逃避法
たった今、この場から抜け出したくなるときってありませんか?
辛い、恥ずかしい、悲しいの気持ちでいっぱいになるとき。
退屈で、飽き飽きして、寒気までするとき。
マイナスでもない、プラスでもない出来事が蔓延して、全てのセンサーが鈍くなるとき。
そういうときって、あぁ帰りたい、、と思います。
、、本当に、帰りたい⛈️
暮らしていて、逃げたくなる瞬間って、想像よりもっと身近にある気がします🌙🫧
毎月、毎日、もはや毎秒と言っても過言ではないほど、普遍的に存在しているものです。
逃げるのが好きな人と、嫌いな人、そもそも逃げることに関心がない人など、その種類はさまざまですが、中でもわたしは逃げるのが大好きです。当たり前にこの瞬間も帰りたくなっていますし、最近は声高々に「帰りたーい」と、口角を上げて言っています。
ここで、【人生とは逃避の歴史である!】と断言します。
私たちは「生きる」ために適応したり、試行錯誤したりしているのではありません。全く逆です。「逃げる」ために適応したり、試行錯誤したりした結果、たまたま「生きている」だけなのです。逃げ続けた結果、残るのが「生きた」軌跡なのです。主観的には「逃げる」、客観的には「生きる」、と表現すると簡単かもしれません。したがって、人間の重大な生存戦略のひとつとして、逃避を扱う必要があります。
また、今後私たちは「どうして自分は生きているのだろう?」という問いで脳内を埋め尽くすことは、絶対にしてはいけません。そんな迷宮入り確定の疑問を自らに課してはいけません。どうやって生きるかなど、考える必要ないのです。この世には生きる方法など存在せず、あるのは逃げる方法だけなのですから。
そして、今回は一緒に「逃げる」方法を考えていきたいと思います。あらゆる環境から抜け出す逃避法を見つけましょう。どんな手を使っても、逃げるのです。そして、偶発的に生きるのです。逃げるために逃げ続け、まばゆく生きるのです。
魔法みたいに、ふわっと☁️、楽になることを第一優先として。
はい〜リラックス〜
Q Q Q
そもそも、「帰りたい」という言葉の意味は、
の3つに分類できるようです。
1 自分の家や、もといた場所に戻る。
これは、とてもわかりやすいですね。
1番身近な「帰る」の意味です。実家に帰る、国へ帰る、生まれた場所へ帰る。私たちは今日も寝床へ帰り、明日を迎えます☀️
2 今いる場所を離れて去る。
家へ行かなくても、たった今いる場所から離れるだけでも帰ることになるんですね。少し意外。
たまに、家まで帰れないときもありませんか?電車にも乗れない、人とすれ違いたくもないし、もうどこへも移動したくないよーーっていうとき。
そんなときは、アリ🐜の一歩でもいいので足を動かしてみましょう。足が動かないときは、自分は四足歩行の生物だったと偽の記憶を頼りにして、手や腕を振り回してみてほしいです。それだけで、逃げたことになります。
寝返りをするだけでも、今いる場所から離れることを意味するなら、結構簡単に、誰でも逃げることってできますね。
3野球で、走者が本塁を踏んで得点になる。
⇧これ、突然なに言ってるの?と思ってわたしは笑ってしまいました。「帰る」の意味のなかで1番のおもしろポイントです。急にgoo辞書が自我を出してきました。
goo辞書は野球が常識だと信じて疑わないのですね。goo辞書は野球好きでも、野球嫌いな人にとっては意味がわかりません。野球を知らない人に、野球あるある言っても通じないのに、当たり前かのようにこれを「逃避」の一種として扱っています。
でも、goo辞書だって、オリジナリティをもって、絞り出さないと、帰る方法を3つも作れないのですね。逃避方法は自分の好きなやり方でいい!と暗示しています。理由はなんでもいい、どんどん個性を出していけと、goo辞書が教えてくれています。
ここから、「逃げる」の本質に迫ります。
「逃げる」とは、
【主体】が【自分の好きな拠点】へ【移動】して【ごほうびや嬉しいこと】を得る。
ことだと考えます💚💚✨🧚🏻♀️
野球の場合は、
走者(主体)は本塁(自分の好きな拠点)を踏んで(移動して)、得点(ごほうび、嬉しいこと)します。
乳製品が好きなわたしの場合は、
⭐︎わたし(主体)は牧場の近くで(拠点と移動)ソフトクリームを食べる。(ごほうび)
映画が好きなあなたの場合は、
⭐︎わたし(主体)はレイトショーで(拠点と移動)進撃の巨人を観る。(ごほうび)
リアルに足を運んで、ごほうびを得ることが1番効果的ですが、実際問題難しいときもありますよね。デスクから離れられないときや、休暇が自由に取れないとき、規則に縛り付けられているとき。そんなときは、頭の中で逃避するのもおすすめです。仲間の白い鳥と描くように空を飛ぶところをイメージするとか、ブラジルで何色の唐辛子料理を食べるか考えるとか、えんま様の前でする予定の言い訳を考えるとか。頭の中で完結しても、考えているだけで楽しくなるような想像はたくさんあります。生まれ持ったイマジネーションを発揮させるのです。こどものように浸り続ければ、振り返るころには逃避完了し、リフレッシュした自分に出会えるはずです。
でも、脳が疲れ切って、なにも考えられないときもあります。そんなときは、思考を辞め、動きに身を任せてみてください。日頃は避けてしまうような突発的なものに乗ってみたり、ルーティンから1cm外れてみたり。普段見過ごしているところに、きらめき⭐︎が落ちているかもしれません。そのきらめき⭐︎はきっと、逃避の大きな手がかりになります。
このように、逃避法は無限大です。気の向くままに移って渡って、その移ろいを味わうことができれば、逃避一丁上がりです。自分が心地良くなることであれば、なんでもいいのです。私たちはもっと気軽に逃げていいし、もっと頻繁に帰っていいのです。これを読んで、1人でも多くの人が、「自分も逃げちゃおー♪」と思ってくれたら嬉しいです。わたしはこの世から、逃避に対する苦手意識をなくしていきたいです。「逃避は弱者のすることだ」という強迫観念を患う人がいれば、「元々弱い人間が、逃げることで強くなるんだよ。生まれながらにして弱い生き物が、絶望に慣れなくてどうする。逃げたかったら、いますぐ逃げろ!」と言います。逃げて、みんなで好きな場所へ帰りましょう。そして、幸せに暮らしましょう♡
また、逃避には個性が現れるので、自分だけの特別逃避法見つけたら周りにシェアハピしても楽しいと思います。ちなみに、わたしはへらへらと、笑顔で逃げます。それが1番好きだし、身に合っています。そして、自分だけの人生を、たまたま生きてゆきます。
そこの君たちも、逃げている途中で会うことがあったら会いましょう。食事をしながら、逃げ道中のお土産話で盛り上がったりして。
良い出会いと、シェアされるhappyを求め、わたしは今日も逃げ続けます。