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ニュジおじ

久しぶりにこんなバチバチのラジオ聴いた。
和田さんは、真実を閃光のまま伝えることが誠実であり、正しいと思っている人。他2人はその対極にいる。2人は真実はそのままだとあまりに鋭いから、少しねじ曲げて真実を伝えることが優しさだと思っている人。婉曲させるのが得意で、かつ好きな人たちだから、和田さんからは不誠実だとジャッチされ説教を受けている。公開の場で怒られている。私も飛躍させるのが好きだし、真実から逃げがちだから一緒に怒られている気持ちになる。ほんのり「すみません〜」と謝る。


本当にいろんな人間がいる。世の中はこんなにもバラバラなんだから、世界平和まじむずじゃん!と思った。途方もないじゃん。
でも、普段は交わることのない人たちが交わる場面は興味深い。わだかまりが残る会話を、最後は知恵を使ってときほぐすんだけど、そんな貴重な会話が聴けてうれしい。ずーっと危うさが見え隠れする。ドキドキするのは面白い。


この回のキラーワードは「ニュジおじ」
〇〇おじという表現が使われるときって大体良い意味は持たないから、今回もひとつ壁が生まれている。

射程範囲が広いことを無自覚に、適当におじおば言っちゃいけない。非常に難易度が高い言葉。関係性がない相手に、おじさん、おばさんと言うのはもちろん危ないし、ネタとして自称するのも同じくらい良くないと思う。年齢が追いついても、おじおばという自虐は使う必要ない。他人も自分も傷つけなくていい。素晴らしいんだから、全人類。もっと自信をもって、みんな。




性差や年齢のボーダーについて言及するのは、現代において全く得策ではないけど、自分は女カーネル・サンダースなんだと思う。

小学生の頃から、「あ〜今じゃない、今じゃない」と思い続け、高校生の時には「私のピークは18じゃなくて28!」と思っていたが、28が目前になった現在ではその28も霞んでいる。どういうこと?
だから、「おばあちゃんがピークなんだ」と実は10年くらい持ち続けていた疑惑が確信に変わった。私の人生は30.40と上り調子で、墓前に最高潮がやってくる。どういうこと?


いくらしょげることがあっても、カーネルの歴史を見ていると励まされる。点と点が繋がって線になる瞬間。曖昧なものが輪郭を持ち始める出来事が、この世には確実に存在すること。その全てを受けとめるのが時間であり、時は平等だということ。感銘をうける。
共感するところや、尊敬の念を抱くところもある。貧の出であることや、ホスピタリティに溢れるところ。週に10回チキンを食べるという大食漢さ。自分もいっぱい食べる才能はあるから、結局「飯」に回帰するというストーリーもなんだか現実味があると思ってしまう。(65歳にもなれば肖像権などどうでも良くなって)彼は店前に自分の立像を置きだすが、これも他人事だと思えない。チキンが1本でも多く売れるなら、自ら進んでアイコンになると思う。長生きすれば恥多し。1人の恥を犠牲にしてでも、最終的には多くの人が幸せになればそれでいいという祈り。おいしいは美味しいから。「仕事で大切なのは、ベストを尽くすこと」なんだって。私も一生懸命働こうって思いました。ありがとう、カーネル。


あと、ステラおばさんもいる。
Warm Heart Communicationという企業理念も就活生のときに出会っていたら心酔していたんじゃないかっていうくらい良い。そのレベルで良い。
でもやっぱり50年は苦節する。若者はどこに?
もういいよ。頑張るもーん!

わかる、わかるの。気持ちなんだよね。

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