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映画『BAD LANDS』そこに居たのは「山田涼介」ではなく「矢代穣」だった


9月29日に公開された『BAD LANDS』
山田涼介を見に行ったはずが、スクリーンの中にいたのは紛れもなく「矢代穣」だった。

私が好きだったポイントをただ書き連ねてみました。(ネタバレを含みます)

●姉弟ならではの軽快なやり取り

映画の中では姉ネリと弟ジョー2人の気の置けない関係性だからこそのやり取りが出てくる。テーマが重いこの映画の中で、少しクスっと笑ってしまうような、内容はディープながらも「日常」を感じられるようなそんなやり取りが好きだった。

カフェでのジョーの「サイコパスやってんねん」に対して「ふ〜ん、そうかそうか」と聞くネリ。
「聞いてる?聞いて?聞いてや!」と泳がせて、次の下見に行くことを伝え、「切り替えはっや」と突っ込むジョー。

トロの金額をふざけて「250ま〜ん!」と伝えるジョーの頭を引っ叩くネリ。

大金を手に入れたら南の島に行きたいと言うネリに「南の島って沖縄か?」と聞くジョー、「南の海でパシャパシャすんねん」と言うネリに「パシャパシャしてなにがおもろいねん」と突っ込むジョー。

他にもたくさん出てくるが、関西弁ならではのテンポ感とボケとツッコミが繰り広げられるちょっとした会話に2人の関係性が見え隠れして微笑ましくなった。


●曼荼羅の男前さ

曼荼羅ははじめ「壊れてしまった老人」として描かれる。しかし、物語が進んでいくにつれて曼荼羅の印象が変わっていく。

「東京の悪魔殺ってほしいなら殺んで、高城殺ってほしいなら殺んで、それぐらいの男が残っとる」と言う曼荼羅には少し怖さを覚えるほど。

お金を山分けする話をした時も、もうすぐ電池切れになるそれまで奉仕したい、とか、「人に頼られて死にたいんや」と言う曼荼羅。最後の最後には「ジョーはほんまにお前のことが大好きやった」と言い残して全てのお金をネリに託す。

死ぬ間際の最後の力を使い切ってネリとジョーのために生き抜いた曼荼羅は、この物語の中で1番情に厚い男前な人物かもしれない。


●沖田総司とジョーのリンク

原田監督はジョーのことを「沖田総司が現代に甦ったらこうなるのではないか」「沖田以上に切なく危険な若者」と表現している。
映画『燃えよ剣』の沖田総司ファンとしてグッとくるシーンが2つあった。

・池田屋のオープンセットでのシーン
「ネリ姉と賭場にいけるの嬉しいわぁ」と言ったジョー達がたどり着いたのは池田屋のオープンセット。「新撰組の映画が撮影されたらしい」と紹介されるが、明らかにそれは『燃えよ剣』だよね!!と叫びたくなった。そこに入った途端ジョーが呟く「なんか懐かしい感じがする…」にグッと…。やっぱり貴方沖田の生まれ変わりなのね、、ネリには「何言うてんの!」かなんか突っ込まれるけれど、ジョーにそれを言わせられるのは監督しかいないのでただただ羨ましいありがとうの気持ち。
そして実はあのシーン、林田と話すときに2階に行くんだけど、沖田は病のせいで2階には行ってないんですよ、、庭で血を吐きながらなんとか耐えていた沖田が生まれ変わってやっと2階に行けた瞬間だった…というのもまた熱いポイント。

・アロハシャツの男(岡田くん)との対面
林田の依頼で行った現場の半グレの中にいたまさかの岡田准一、通称「アロハシャツの男」
的を殺せないままジョーはアロハシャツの男に銃口を向け対峙することになるんだけど、「撃ちたない…」と呟く。そうだよね、、沖田が土方を撃てる訳がないよね、、の気持ちでした。
そして最後にアロハシャツの男が言うんですよね。「お互い長生きしようや」って、、あぁ…でもまた土方は残される側なんだ、、共に生きられないまままた沖田は先にこの世を去ってしまうんですよ…泣ける。

ぜひ『燃えよ剣』を見て『BAD LANDS』を見てほしい。


●ジョーのネリ姉への重すぎる程の愛


ジョーはネリ姉とのことを「運命共同体やん」と表現する。

ネリと話す時のジョーはなんだかうきうきしていて「ネリ姉大好き」が表情から、言葉の弾み方から溢れている。
高城を殺して埋めた後に発覚する「あの頃」の話。「俺がネリ姉を助けたんやで?一生忘れんといてな?」と話すジョーの言葉を聞いて、「そう簡単に切れる縁と縁の筋がちゃうで?」の意味がやっと分かった。2人は本当に「腐れ縁」なのだと思う。実際ネリは「実の父親」ではなく「血の繋がらない弟」を選んだ。

しかし、ネリにとって「腐れ縁の弟」であるジョーは、ネリのことをそれ以上に思っていたと思う。自分の体の一部というぐらいにも思っていたんじゃないかとも思える。

なぜか、

ジョーは
ネリのためならサイコパスにもなれるから、だ。

林田の依頼で銃を握った時は震えてまともに撃てなかったジョーだが、胡屋を殺す時は真っ直ぐ見据えて片手でしかも一発で仕留めている。
その対比に震えた。

「ゴヤはとったる ゆかいなしゅうまつをありがとう」と祝儀袋に手紙を残して東京に向かったジョーは、もう戻らないと伝えていた。きっと生きて帰ってくるつもりはなかったのだと思う。
警察に足を撃たれ「勘弁してや」と言ってよろけるジョー。最後に警察を撃ってしまうことで胸を撃たれるのだが、そこは後ろ姿でしか見ることができない。ジョーの息の根が止まって生涯を終える瞬間は映像では残されておらずラジオの無機質な音声でしか知ることができない。あれだけ真っ直ぐに純粋に生きた愛おしいジョーだが、最期のシーンが思っている以上にあっさりしているせいで、私たちはジョーの死を受け止めきれないまま映画が終わってしまう。

そして思う。
ジョーにだって、普通に美味しいご飯を食べて、家庭をもって、旅行に行ったり、時々ちょっと贅沢をするようなそんな幸せがあったんじゃないか。ジョーだってネリと一緒に南の国でパシャパシャする幸せがあったんじゃないか。

でもそれはきっと違うんだと思う。
ジョーにとっての本当の幸せは
「ネリ姉が幸せであること」なんだ。

ネリ姉のために命を犠牲にしたのではない。
ネリ姉が幸せに生きる、という自分の幸せのために行動したに過ぎないのだ。

ジョーもきっと地獄からネリが生き抜いている様を見守っているだろう。


●スクリーンに居たのは紛れもなく「矢代穣」だった


この映画を見た人はみんな頷いてくれると思うんだけど、本当に山田涼介がいない。あのキラキラアイドルの山田涼介がいない。

アホでだらしなくて、でも愛嬌があってお茶目で憎めないほど愛おしい「矢代穣」がそこに居た。
関西弁での言い回し、テンポ感、口調、全てがジョーだった。この映画を見た後にJUMPの映像を見たら違和感があったくらい違っていた。
山田涼介のこの演技ががもっともっと世の中に広まっていろんな人に見てもらえることを祈っています。

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