性格は悪くないとね
とは冗談ですが、生まれながらに性格が良くて
周りも性格の良い人に恵まれた知り合いや友人は
時々驚くくらい人の性悪さや邪悪さを理解していない、そんな人ほとんどいない、くらいに思っている人もそこそこいた。
やはりどんなに色んなものを見聞きし、見識を
広げ、客観性を伸ばそうとしても
絶対的に主観が強い。
主観がブレブレでもよくはないが、主観が
性善説に寄っていると、それはとても一部の
人々から利用されやすいのである。
しかも善性を重んじるので、利用されていた
ことに気付かなかったり、利用されていなかった
ことにしようとさえすることもある。
純粋な人や潔癖な人には分かってもらえないが
実際のところ、自身がとことん性悪になって
みないと性悪とは戦えないのである。
「何でこんなことするのか(されるのか)
分からない」
などという感想は早々に卒業した方が
自身の被害は少なくて済む
※又は小さく済むように対処できる
「あいつならやりかねない」
「こういう事をする・言うということは
そういうタイプの人間なんだ」
等さっさと分析・対応するに限る。
その場合そこに感情は割と邪魔になってくる。
性格が良かろうが悪かろうがパターンは一つ
ではなくて人の数だけあり、良い部分、悪い部分
が斑に複雑に混ざり絡み合っている。
それらを正確に読み取る事は不可能であるが、
他人に対する言動においては、
・相手を傷付ける意図がある。
・相手を傷付ける意図はない。
・意図はないけれど結果的に傷付いた。
・誰に対しても言葉がキツイ。
・率直な意見なのに必要以上に傷付いてしまった。
等々どのようなものが含まれるか
薄っすら分析してみるのもいいし、
よく分からなかったら強い意志で
「何も気にしなくていい」と自分の心を
決めてみるのもいい。
性格の悪い人は大体において
他人を利用し、利益を搾取しようとし
相手を見下し、精神を追い詰めて楽しむ事も
あります。
そのような傾向の無い人は良い印象を
持たなくても他人に損害はありません。
人を知る。相手を知るという事は
理想的に生きるとは真逆のアプローチかも
しれませんが
他人の心は自分ではどうしようもできないもの
です。
勝手な期待や希望は持たず、色んな事を想定し
ながら軽く交わすのがいいかなと…
とはいえ正解なんてないのですが…