いじめについて(何度目か)
いじめについて書き込まれたSNSを見て思う事
未だに、今更、今でも………
「虐められる方にも原因がある」
という言葉を恥ずかしげもなく発する者がいたりいる。
驚きはしないが、それも人の本質の一つなのだろう。
私は性善説・性悪説という言葉が長らく苦手であったが、最近ようやく分かってきた。
人は結局のところ自分の心しか心底では理解できない。
善性を持つ人はそれが人の基本だと思うだろうし
性悪と多く関われば人は元来性悪だと思うのもやむなしで(性悪本人は自分を性悪だと自覚しない)
時代が進み、歴史的事実などから人を省みれば結局人は性格や性質は様々で良い奴も悪い奴も沢山いるのだと分かってくる。(また良し悪しの内容も時代によって変わる)
だが結局人は自分の事しか分からないので、虐めをする奴は(自重して実行はしていないけどその傾向がある奴も含め)虐めをする人間の心しか分からないのである。
その為虐めをする奴にその認識を改めろと言う事は大切だが、その認識が変わる事は無いと理解する事も大切なのである。(認識=理由があれば虐めてもいいじゃんと思っている事)
相手の認識が変らなくて伝える意味があるのかというと、結局のところは分からないが、
私はそういう認識(虐めは駄目よ)であるという宣言であり、何人かがそれを言う事で、社会はそう考えていると伝えるのだ。
正しい正しくないの争いの体をとった
社会風潮の戦いなのである。
虐めは良くない
虐めは卑怯者のやること
虐めは心の殺人
等、虐める者を冷静に断罪し、虐めをさせない、しにくい社会を目指すと共に
卑怯者に言われた言葉や態度で過剰に傷付かない、卑怯に対して怒りで反応できるように
虐めをしない者は心構えをした方がいい。
虐めをしにくい、虐めが断罪される社会と
「自分は虐めをされる謂れはない」「虐めを受け付けない」と、虐めを拒絶する準備をしておく
この二段構えで虐めを減らしていけたらいいのになあ…
しかし後者は非常に難しい
それは虐める者は本当にとても狡猾で卑怯な為
被害者が気付いた時にはもう精神的余裕がなく
冷静に物事を判断できなくなっている可能性が高いからだ。
また被害に遭いやすい者は人を疑ったり、反撃が苦手でどうしても物事をまともに受け止めやすい
素直、真面目、優しい等の人間の善性を利用されやすく、臆病、気が弱い等の気質を攻撃される。
そして何より、虐めは先制攻撃であり
精神攻撃は先手が余りにも有利なのである。
続く…