いじめについて…の続き
精神攻撃は先制に限る。
のである
これは必修にすべき大事な事柄である。
(自分がするのではなく、されない為に)
社会を道徳や倫理によって平和で秩序のあるものにしたい。というのは生きる者全ての願いであり理想である。
けれども理想に縋ると足下を掬われる。
理想は理想。現実は現実。
どちらかだけではなく、分けて考え両方に備えなければいけない。
虐める側の人間の立場に立って考えてみれば、
・自分の中に起こる不安や劣等感を他人を攻撃する事で紛らわす者
・相手を悪と見なすことで自分の行いを正当化、又は正義の行いとすり替え気持ちよくなる者
・人が嫌がる様や苦しむ様を見て喜びを得る者
・他人を陥れ立場を上げたり確保する者
・気に入らない者を排除したい者
等々……
この他も含めて様々な理由が考えられる
共通するのは己の欲求に素直で自分だけが良ければよい、自己中心主義、他責思考でサディスティックな内面を持ち合わせるなどである。
厄介なのはその内面が露呈すると不味いという自覚はあるので(露呈は不味いが自分を改める事はない)そのカモフラージュとして全ての悪辣な面を相手に被せる、相手の否にしてしまおうとする事が傾向などではなく、行動原理の中心にあり、
その手段と実行力はいつだってこちらの想像力を圧倒的に超えて巧みで計算高く、それは知恵の結晶とも言える(勿論良くない意味で)
例えば便利な道具が新しく誕生したとする
(電話、メール、ネット、スマホ等…)
虐めをしない者は
「わあ、便利になるなあ、これを使っていい世界になるといいなあ」
と思ったり考える(勿論それだけではないが)
虐めをする者は
「これで嫌な奴を上手に傷付けよう。虐めに使える便利な道具だな。」
極端ではあるが思考にこれくらいの開きがある。
※これは犯罪をするしないでも共通する。
人の持っている素質や内面の感情や考え方というのは他人には及ぼせないし訴えかける事はできても干渉する事はできないものである。
芯から悪性の者はどうしようもないのである。
それをどうにかしようとするのではなく、
それが存在する事、そしてその性質をよく知るのが大切である。
個人としては都度対処、社会としては抑制を目指す。これしかやりようがない問題なのである。
ここで冒頭の言葉に戻る。
彼・彼女らは勝負をかけるからには必ず勝ちたくあり、その為にはどんな手段でも取るし、相手の人生なんか1ミリも気にしない。
自分の気持ちを満たす為なら何をしてもいいという基本理念を持っています。
だから必ず勝つために必ず先制攻撃をするし、その先制中に必ず相手が反撃しにくい・できなくなるような屁理屈を山ほど被せてくるのです。
ターゲットとなる者は、勝確の先制攻撃を何も準備や予測していない内に受けるのです。傷付き、心が壊され、何も手につかなくなるのは当然としか言えないでしょう。
偏に「イジメ」と言っても、計画殺人と同じだけの悪質さを秘めているのです。