信用なんてないさ♪(…なんてこともないさ)
(もう信用について考えたくない…)
100信じる『全幅の信頼』の危険性について。
これについての考えをまとめたくて
始めたことだったんだ…
全然上手くまとまらないです。
人を信じることの危険性を色々書いてきましたが
信じる(信じきる)ことの弊害としては
相手が危険な可能性があるだけでなく
とても厄介で大きな問題のように思うのは
すごく依存的で他責思考になってしまうことです。
一度相手を信じきってしまうと、物事の判断基準が
自分でなくなってしまうというのが
私が最も嫌いなこと(の一つ)なんだと…
思われるので…
「あの人がこう言っていたから」
「著名な人がそうしていたから」
というような他言を論拠にする意見は苦手です。
思索の一つの基準や意見にするなら全然いい。
「あの人はこう言っていた。たからそれを元に
私はこう考えた。」みたいな。
相手が思惑を持っていたり、支配、利用する
つもりがないなら全然かまわない。
本当に信頼できる相手なら意見や考えを
よく聞き熟考するのはとてもいいこと。
誠実な人の意見を聞くことで思考が
それでいっぱいいっぱいになるなんてことは
そんなに無いと思います。
(他言に流され易い人だとどうか分かりませんが)
※思惑がある人の危険性はまた別途いつか
記述します。
とにかく自分の考える基準や判断の根拠が
他人の意見になってはいけないのです。
信じるという判断の先にこれが待っているのが
とても、何というか恐ろしく思います。
一旦信じると決めてしまうと信じるかどうかの
判断だけが自分の意思となり、
どう考えるか、どう思うか、どちらを選ぶのか
何をすべきなのか……何を信じるのか
それらの全てを相手に委ねることになって
しまうかもしれません。
しかし、自分の意思というのがそこまで弱い
という人はそうそういないと思われます。
となると、やはり自分の意見と意思が出てきて
信じるものを信じたいのにできない状態と
なります。
相手に目的がある場合、そうなると恐怖を与えて
無理やり信じさせるか、ターゲットが言って欲しい
言葉をひたすら言ってあげるのが
支配やコントロールするためには一番確実な
方法になるかと思います。
発信者がもし誠実で人を騙す事を嫌う人で
あれば、相手が自分に心酔することをよく
思うことはないでしょう。
弱っていたり、困っていたら助けてくれるし
相談にものってくれるでしょうが、
本来自分の意思で物事を決断すべきと
考えてくれるはずです。
しかし、前述している通り
『信じることは気持ちいい』のです。
そして誰かに心酔しているととても気持ちが
楽になるのだと思います。
何かを考えると、時にはそれが深い悩みとなり
精神的に負担となることもあるだろうし、
苦しんで悩んで考え出した答えに対しても責任が
生じる場合があります。
心酔・信奉することでこの精神的負担が
軽減または無くなることもあるのでしょう。
なので、真面目な人や責任感の強い人ほど
心を取るのが簡単なのかもしれません。
(とても失礼な物言いすみません)
しかし、真面目な人、真面目でない人、
欲深い人、欲深さを嫌う人、友達がほしい人
友達がほしくない人、
誰もが犠牲になる可能性があります。
嵌めようとする人はターゲットをよく観察し
その人に合った手段を取ります。
嵌めやすい、嵌めにくい、利幅が大きい、小さいの
差があるだけで
やろうと思う人がやれば、多分誰でも騙される
被害者になる可能性があります。
ただ、責任感のある人は自分が信じたことにも
責任を取ろうとしてしまうので
悪い方に雁字搦めになってしまう可能性が
高いように思われます。