ベックリー炭鉱とウェスト・バージニアの憂鬱
バージニア州から国道77号線を北上してウェスト・バージニア州へ車を走らせると、やがてベックリーという小さな町に着く。そこはかつて炭鉱で栄えた場所で、現在そこにはベックリー展示炭鉱(Beckley Exhibition Cole Mine)という施設がある(冬場は閉鎖している)。
そこは炭鉱での日常生活が垣間見えてくる興味深い場所だ。まず、トロッコに乗って炭鉱に実際入ることのできるツアーがあるのだが、暗くてひんやりとしたトンネル内をガタゴト回ると、炭鉱夫たちが日々作業を行った危険な環境を目のあたりにすることができる。また、博物館に入ると、天井には労働組合の大きな旗が複数垂れ下がっており、モノの売買に使われた専用の通貨や、鉱夫たちが持参したヘルメットやアルミの弁当箱、野球チームのユニフォームなども陳列されている。宿舎や教会の建物を見ると、そこが一つのコミュニティとして機能していたことがわかる。
一通り施設を回ると、炭鉱での仕事が想像以上に危険で厳しいものだと痛感させられる。炭塵が舞うトンネル内で毎日作業した労働者たちは、1人また1人と炭坑夫塵肺症にかかり、命を失っていった。崩れたトンネルの下敷きになる者もいた。また、資本家にも容赦なく搾取され続け、時には暴力的な衝突もあった。その様子は、例えば団結しようとする労働者たちと、それを暴力で押さえ込もうとする会社側との闘争を描いたジョン・セイルズの『メイトワン1920』に表現されている。
また、『遠い空の向こうに』では、コールウッドという炭鉱を背景に、ソ連が打ち上げたスプートニクを見てロケット開発者になりたいと夢見る高校生たちが描かれている。この、実話に基づいたハリウッド映画は、4人の高校生たちが全国の科学フェアで優勝して大学の奨学金を獲得し、そのうちの1人がNASAのエンジニアになるという物語だが、4人は奨学金がもらえなければ大学へ行くことはおろか、一生炭鉱労働者として働く他道はなかったということが示唆される。
長年石炭産業に支えられてきたウェスト・バージニアには現在も炭鉱が150ほどあるというが、1953年に閉鎖したベックリー炭鉱のように、その数は時代の変化とともに減少の一途を辿ってきた。ジョン・デンバーの「故郷へかえりたい」では、ウェスト・バージニアを離れた語り手/歌い手が自然の美しい故郷へその想いをノスタルジックに歌っているが、現実は大変厳しく、他の州と比較しても貧困率が現在極めて高い。炭鉱のツアーガイドのおじさんにそのことを聞くと、若者の多くは町を出て行き、残るものはオピオイド(鎮痛薬)やフェンタニル(合成麻薬)などに溺れてどうにもならない状態だと嘆く。アリゾナ州などから鉱夫を探しに来るリクルーターが、無駄足を踏んで帰っていくという。
アメリカの炭鉱町は、大統領選挙の年はここぞとばかりに政治家やメディアが取り上げ、住民や組合が二大政党のどちらを支持するのかに興味が集まるが、選挙が終わるやいなや「忘却」されていく。そこにもベックリーを始めとする田舎の炭鉱町の憂鬱と辛い現実がある。
『遠い空の向こうに』のショット
https://www.youtube.com/watch?v=CzOH54GemVo