神楽とみやびと、気の迷い
淡い夢を見ていました。そう、ちょっとくらいならバレないんじゃないかな?みたいな夢を。淡いじゃなくて甘い?そうとも言いますねっ、実際お口の中には自然な甘味が広がっています。──いえ、そんなことを考えている場合じゃありませんでした。今考えるべきなのは、そう、言い訳です。
「──で、お味はどうかね、卯月」
目の前に立つ、みやびさんへの。
「……お菓子にするなら、やっぱりそのものの甘みだけじゃ物足りないかもですねっ☆」
いや、0点の回答ですねコレ。
事の始まりは、神楽坂トライナリーでのバイトの休憩中、みやびさんを見かけたことでした。
「みやびさん、バイトの日でもないのにこんな時間にどうしたんですか?」
「ああ、卯月か。ちくっと台所を借りにな」
「え、でも台所なら寮にあるんじゃ」
「うちの部屋は物が多いき、今日の用事にはちと手狭なんよ」
「用事……と言いますと?」
「うむ。これや」
見せてくれたのは、見事なカボチャ。
「あ、カボチャってことは……ハロウィンですか?」
「今年は皆にお菓子を振る舞うんも悪くないかと思うてね。不慣れなものを食べさせるんも悪いき、こうして練習に来たんよ」
「それは楽しみです!でも、みやびさんの得意料理って和食がメインでしたよね?無理に頑張ってくださらなくても……」
「いやいや、子供たちの笑顔のために腕を振るうのがおばあちゃんの楽しみやきね」
そんなことを言って、みやびさんはからからと笑う。
「ほれ、あんまり長話しとると、まほさんがカンカンになるきね」
「あ、はい!それじゃあ、本当に楽しみにしてますから!」
その時はそのままバイトに戻ったんですが……事件は私のバイト終わりに起こりました。
「みやびさん、まだやってますか?──もう帰っちゃいましたかね?」
キッチンを覗きに寄ると中は空っぽ。だけど道具なんかも片付けてないようですし、休憩中なのかな?と察しました。流石のみやびさんも、共用のキッチンを散らかして帰りはしないはずです。そういうところキッチリした人ですし。
「いませんか──?」
察しながら私はみやびさんを呼んでいます。これが何を意味するのか?そう、確認です。ある程度呼んでも返事がないということは、それなりの距離があるということ。距離があるということは、まだしばらく戻ってこないということ。まだしばらく戻ってこないということは──このカボチャのペーストを、ちょっとくらい摘んでもバレないだろうということです。こんなものを置いたままにするのはまずいですよみやびさん、私はバイト上がりでとてもお腹が空いています。このカボチャ、まだ本調理前なんでしょうけどこれを一口頂いたらきっと心も体も満たされるでしょうね……
「……頂きます」
頂きました。
するとどうでしょう、すぐさま口内に溢れる至福。カボチャの自然な甘みが疲れた体に優しく染み渡り、私の心はすぐさま理想郷へ──。流石はみやびさん、まだ未完成の材料だけで私をトリップさせるなんて!
と、正気に戻って目を開くと……目の前にみやびさんが居りました。
「ふむ、お嬢様育ちのイメージからすると、ちと意外な行動やね?」
「誠に申し訳ございませんでした……」
深々と礼をして全力謝罪の態勢。私が波○戦士ならジャンピング土下座とかも出来ましたが……。
「ん?今何でもするって」
「言ってません!!」
薄い本みたいなことはダメ、ゼッタイ!ですよ!
「まあそれは冗談として、何もせずに無罪放免ってわけにはいかんねえ」
意地悪そうに笑うみやびさん。私はこの人に逆らえない、弱みを握られている……
「そんな不安な顔せんでもえいよ。卯月、明日は空いとるか?」
「……?はい、明日はオフですが」
そう答えると、みやびさんはニヤリと笑った。
「なら、明日もここに集合ぞね」
「つまみ食いしたのは私ですし、お手伝いくらいはもちろんしますけど……」
翌日。
「いい心がけやね。卯月はたしかお菓子作りは得意と言うとったろ?心強いよ」
私はみやびさんと二人でキッチンに立っていました。邪魔にならないよう髪をアップに纏めて、みやびさんが用意したエプロンを着けて。
「……本当にこれじゃないと駄目ですか?」
そう、みやびさんが用意した、”私はつまみ食いしました”と大きく書かれたエプロンを着けて。
「罰ゲームやきね。つばめちゃんのために作っておいたのが、まさか卯月に渡すことになるとは……世の中何が起こるかわからんね?」
「私もこんなことになるとは思いませんでした……」
他人事なら笑いますけど、自分でやると恥ずかしすぎますねこれ……どうか誰も来ませんように……
しかし神楽坂トライナリーは今日も営業中。そんな願いは叶うことなく、アーヤさんにもガブちゃんにもつばめさんにも醜態を晒すことになってしまうのでした……
こんな思いをするなら、いっそ許さないでください──ええ、そんな気分です……