トメヨシ
漢字は便利かつ残酷だ。
私が小学4年生の頃、恐らく父はだれかと浮気をしていたんじゃないかと思う。なぜか毎日複数回鳴る携帯電話、それを手にトイレへ籠る父。いつのまにか休日に姿を消したと思ったら、「福山雅治のコンサートへ行っていた」と言う。いや、あんた福山雅治聴いてるのなんか見たことないぞ。
まだ齢十くらいの私には、TVドラマの中の出来事でしかなかったことが目の前で、自分の家族に起きているかもということが、ショックでしょうがなかった。
父も父で、きっと彼の人生をやっていく上で何かが当時あったのかもしれないが、なんだか家から出て行きたい雰囲気があるように思えた。
普通は浮気をしている人間はそれを隠そうとして当たり前だが、父はというと、もちろんある程度隠しはするが、どう考えてもバレバレなのである。
そして、バレバレであることをなんとなくヤケクソで良しとしている所があるように思えた。それがまた幼い私の心を傷つけていたのであるが。
私は泣きそうになりながら、メタリックピンク色の灯油ストーブのタンクカバーの上に置かれた父の携帯を見ていた冬のことをいまだ覚えている。
ある日、母が父に出先から電話を掛けたがなぜ出なかったのかと聞いた。
しかし父は電話は入っていないという。しかし確かに電話を掛けたという母に、父は私に向かって「掛かってきてないよな。」と、携帯の着信履歴が映し出された画面を私に見せてきた。
これも件の、浮気をしているはずなのに、あえてボロを出そうとする不可解な彼の行動だと私は思い、心が押しつぶされる。
見たくない。見てしまったら、疑いだけで済んでいたことが確信に変わってしまうかもしれないから。
そんな一瞬の思いとは裏腹に、画面は容赦なく私の目に飛び込んできた。
祖母、母、母、祖母、トメヨシ、母、祖母、祖母。
トメヨシ?
父の着信履歴にはこのように文字が並んでいた。
親類の中に紛れるトメヨシという人物は、いったい誰なのだろう。
読み方から察するに、会社の同僚か何かなのだろうか。
とりあえず、ヨーコとかサキとか、分かりやすい名前が認められなかったことに安堵した。
うん、きっとあれはトメヨシさんという父の会社の同僚なのだ。
友達の少なそうに見える寡黙な父だが、会社には私の知らない仲の良い同僚だって居るのだろう。
想像上のトメヨシさんに思いを馳せてしばらくすると、急に私の脳は目を覚ませと言わんばかりに鳴動した。
違う。
違うあれは、トメヨシじゃない。
ルミだ。
ほんとうは分かっていたのに、傷つく心を守ろうとする防衛反応からか私の判読能力は謎のブレーキ、いやアクセルを踏まされていた。
父の着信履歴にあった「留美」は会社の同僚のトメヨシさんではなく、妖艶(かどうかは知らないが)な浮気相手、ルミさんだったのである。
小学4年生が、親の浮気を認めたくないあまりに留美を訓読みするなんて、なんとも健気な話ではないかと思う。
これと似たエピソードが「すべらない話」にはあって、ほっしゃん。がガス料金支払いを忘れないようにするために「ガス代」と書いたメモを奥さんが見つけてしまい、ほっしゃんと「ガス代(よ)」という架空の女性の浮気を疑うというものだ。
奥さんのありえない発想で笑える話なのだが、私にとっては全くありえなくない、かなり共感できる話といえよう。
こうなってほしい、こうなってほしくないという思いにより、漢字は都合よくその読みを変え、私たちを惑わすのであった。
あの頃の浮気の是非は父にはいまだに確かめられていない。
いつかは確かめたいが、まだ予定は未定である。
もしかしたら本当に会社の同僚、トメヨシさんだった可能性だってまだ捨てきれないのだから、なるべくもう老いていく父を疑念で責めるのはよそう。私ももう大人なのだから。