ぽ

キャンディちゃん

犬を飼っているなら犬の話を一度は書いておかねばなるまい。

私が飼っている犬はクリーム色のポメラニアンだ。もう9歳になる。
親バカといえばそれまでだが客観的に見ても美人で顔が整っている犬だと思う。犬界でもかなりレベルの高い容姿のではないだろうか。
(上の写真は、散歩中に路肩に寄り過ぎてしまったポメ本犬である。)
可愛い犬には可愛い名前のついているものだが、うちの犬はというと名前を「ポメ」という。
豆柴のマメ、マルチーズのマル、というとあんまり違和感がないのだが、ポメラニアンのポメとなると一気に短絡的な感じがするのは何故だろうか。
さらに悲しいことにこのポメという名前は最初からそう決めてつけたものではない。
ポメは生後3ヶ月の赤ちゃんのときにうちに来た犬なのだが、何しろ初めて飼った犬なので、私と母は名づけに相当頭を悩ませた。
とりあえず、呼ぶ名前がないのもなんだから、と仮で「ポメ」と呼んで過ごしていたのを、なんだかんだと月日が立ち、ポメは自分の名前をポメとすっかり認識して、お手お座り待てと芸も覚え、いつしかもう戻れないところまで来てしまったのである。
自分で改めて書いてみるとなんともかわいそうな話だと思う。母は9年経った今でもたまに冗談まじりで「今からでも改名ってできるかな」と言う。

ある時ポメと一緒に散歩へ出かけた。
私の実家は県の都市部と郡部のちょうど境目にあり、少し歩くとすぐに田園風景が顔を出す。
ポメの散歩コースはもっぱら田畑の広がる道で、人もほとんど歩いていないのでリードに余裕を持たせて歩くことができ、とても気持ちがいい。
それらを回ったあとに自宅のある住宅街へと戻ってくるのだが、ぽつぽつと家が増え始める道に入った時、軒先からおばあちゃんが顔を出した。話し好きなのか、こちらに近づいて、「あら、かわいいワンちゃんね~」と話しかけてきた。

ここまではいいのだが、おばあちゃんは犬とコミュニケーションが取りたかったのだろう、「お名前はなんていうの?」と問うた。

私は焦った。

いつも他人に犬の話題をするとき、同世代や冗談の分かる人ならば自信を持ってポメという名前を言い、むしろひと笑い取ることにしているのだが(ポメは自分の名前を笑われていることなんて露知らないだろう。今更心が痛んできたが)、相手は年配のおばあちゃんであり、どの程度のユーモアを所持しているのか分からない。恐らくポメと言って笑ってくれる確率は低いだろう。失礼な想像ながら、ポメラニアンという犬種すら知らない可能性もある。

そんな中でポメという名前を言うのは、私にはなんだか異様に恥ずかしいことのように思えた。今、世界には私とおばあちゃんとポメしかいないのだから、分かってもらえなくてもスベったとしても、そんなこと誰にも知られずに済むのだが、私の妙な、本当に妙なプライドが邪魔をするのである。
ここまでの私の思考に要した時間は0.8秒ほど。これ以上は流石に不審に思われる間になってしまう。
なんとか、この場を何事もなかったかのように収めることはできないか。
そう思った私は、一時的にポメに偽名を宛てがうことにした。
よくありそうな感じで、このポメの可愛らしい見た目に似合いそうな名前。
そうなると食べ物っぽい名前がいいんじゃないか。ココア?モカ?でも、ポメは白色で茶色じゃない。偽名にも妙なこだわりを持ち始める自分を呪う。色に特徴が出るものはダメだ。そうなると、もうなんでもいいから甘いものでいい。何か何か何か。

「キャンディちゃんです」

私の口からはそんな言葉が出た。
なんだこれは。私が言ったのか。私が言ったんだ。間違いなく。

「キャンディちゃんっていうの?可愛い名前ね。キャンディちゃ〜ん」

そしておばあちゃんは信じた。

いや、キャンディじゃねーから。ポメだから名前。

私は心の中でブチキレていた。ふざけた、存在するはずのない名前をなんの疑いもなく信じて、そんなことは知らずポメに呼びかける無垢なおばあちゃんにめちゃくちゃキレた。おばあちゃんにはなんの罪もない。私がおばあちゃんを滑稽にしてしまったのだ。

ふと、ポメの顔を見る。
おばあちゃんに「キャンディちゃん」と突然意味のわからない名前で呼ばれ、混乱すると同時に、詳細は分からないものの、何か自分にとって悲しいことが起きていることは理解しているような、少し悲しい目をしている気がした。

おばあちゃんと早々に別れ、帰路を辿る。
楽しかったはずの散歩がまるで一変してしまった。足取りは重い。
少し先を歩くポメがどんな顔をしているか、私は直視できない気がした。
私は確かにあの一瞬、ポメの名前を恥じたのだ。自信を持って、他人に飼い犬の名前を伝えることができなかった。
しかもその結果、代わりに出した名前が「キャンディちゃん」という、馬鹿馬鹿しい恥ずかしさよ。自分でも自覚しきれていない、夢見る少女のような一面のセンスのなさに絶望する。
私はポメに申し訳が立たなかった。家までの道はひどく長く、気まずく感じられた。ポメに謝ろうにも、何か声を掛けたら言い訳のようにポメは思うだろう。猛省し、黙って自分の罪を反芻していた。


それから2年、私はこのことを誰にも話さなかった。それほど自分にとってこのことは本当に恥ずべきエピソードだったのだ。
ある時、なんだか今なら言えそうだと思い、勇気を出して友達にこのことを話してみたら、友達は涙を流して笑ったのち、
「こんな話、あなただったらすぐに話してくるはずなのに、2年も黙っていたなんて、本当に恥ずかしくて辛かったんだね」
と言った。私が本気で反省しているのが、彼女には更に面白かったらしい。
それからというものの、禁固2年の刑期を終えた私はこのことを笑い話として色んな人に話せるようになった。
私には終わってるセンスがあるということを、むしろ笑いに変えて人に話すことができるようになったのだから、人として少し成長したように思う。

しかし、ポメの傷ついた(かもしれない)心を私は無視してはいけない。
ポメと私の間で禁句になっている(気がする)この話を、今度ポメに会った時にしてみようと思っている。そしてちゃんと謝りたいのだ。
この名前は家族と自分を繋げる唯一無二のものなのだから。
次、散歩していて人に名前を問われたら、誇りを持って「ポメです」と言えるようになりたい。

ちなみにポメは「米」でも「パメ」でも振り向く。彼女にとって本当に唯一無二なのかは謎のままである。

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