旦那が倒れた時のはなし。その1
突然の連絡
バレンタインデー。
ちょうど旦那が出張中だったので、チョコはお父さんが帰ってきてからねなんて話していたときに
めずらしく家電が鳴った。
相手は、今一緒にいるはずの取引先の方だった。
「旦那さんが倒れまして」
「今心肺停止ということでして。今から来られますか?」
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本当に気が動転した時には、頭に雷なんて落ちない。
思考がまとまらない。頭の中は真っ白だった。
旦那の出張先までは、この時期だと車で高速に乗っても4時間近くはかかるだろうか。入院のことを考えたら車の方が便利だろう。さて、子供たちをどうしよう。連れていくか義実家に預けた方がいいのか
それでも、少し冷静に考えて
心肺停止からどのような処置をしたのか
AEDを使用したのか否か
倒れた時間からどのくらいたっているのかなど
それによっても変わるだろうけど
おそらく、元気な状態では帰ってこられないだろう。と予想した。
だったら、みんなで行こう。みんなで会おう。
練習に出かけた長男を呼び戻し、義実家に連絡。
電話の向こうで義母の悲鳴が聞こえた。
次男に全員分の着替えと三男のおもちゃを鞄に詰めてもらい
車に積み込んでいく。
知らず知らずのうちに涙があふれてくる。
出かける日の朝、バタバタしていてちゃんと「いってらっしゃい」って
言えなかった。
感傷に浸る暇もないくらい、関係各所からの電話がひっきりなしになっていたけど、正直何を話したのか全然思い出せない。
長男が帰宅。目に一杯涙を溜めている。
「お父さんは・・・お父さんは・・・?」と言葉を絞り出す。
ここで私が慌てるわけにいかないので
「大丈夫だよ。とりあえず行こう。会いに行こう。」と声をかけ車に乗り込む。搬送先が決まったと連絡が入った。近隣で一番の大きな病院だった。ICUもある。緊急の手術にも対応できるはずだ。
結婚してからは、近所のスーパーくらいしか運転していないのに4時間も高速道路に乗るなんて不安で仕方なかったが
とにかくやるしかない。旦那を一人にしておくわけにはいかない。一人で逝かせるわけにはいかない。
気合を入れて、ロングドライブだ。
泣くな、なんて言えない
車の中では、なるべく明るく振舞おうとした。
音楽をかけ、三男と一緒に歌を歌ったり、しりとりをしたり。
もう、私にできることは、信じることしかない。
あんなに寂しがりなんだもの、一人で逝ってしまうわけがない。
意外と体力はあるんだから大丈夫かもしれないし。
そんなことをぐるぐる考えているうちに、次男と三男はすっかり眠ってしまったようだった。
2人が眠ったことを確認してから
長男が急に泣き出した。
「お父さん・・・お父さん・・・」と
両手で顔を覆って、しゃくりあげて。
この子のこんな姿を見たのは、いつぶりだろう。
弟たちの前では我慢したのはこの子らしいな、と
こんな状況でも微笑ましく思った。
泣くな、なんて言えない。
ただ、
「私たちがお父さんを信じないと、あと誰が信じる?」
それだけ伝えて、私は黙って車を走らせた。
とにかく、どんな状態でも早く会いたい。
長男も、そう思っているはずだから。
病院に着いて~重なった奇跡
病院に到着して、すぐに救命救急センターの医師から話を聞くと、開口一番に
「奇跡が重なったとしか言いようがありません」
と言われた。
*講演中、壇上で倒れた
*会場にいた方が、すぐに心臓マッサージをしてくれた(後に地元消防団の方と判明)
*会場にAEDがあったため、使用していた。
*ドクターカーで医師も現場に行き、処置に当たった
という状況で、「すべてが幸運で、どれか一つでも遅れたり欠けたりしていたら、蘇生は難しかっただろう」とのお話だった。
「心臓が原因だったので、すでに緊急の手術は行っていますが
心臓も血管も、40代とは思えないくらいボロボロです。
今まで大丈夫だったのが不思議なくらいで、多分若さだけで乗り切っていたんでしょう。
手術で血管は広げましたが、心臓は3割ほどの機能しかできていない状態なので、どこまで効果が出るかは未知数ですが・・・ただ、居合わせた方が本当に頑張ってくださって適切な処置は行えたはずなので、あとは旦那さんが頑張ってくれるかどうか」
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3人の子どもの中で、長男だけが面会を許された。
あまりのショックに泣き崩れたのを看護師さんが支えながら
「お父さん、がんばってるよ!」と何度も励ましてくださっていたが
わたしは呆然としすぎて、夢の中にいるような感覚で
見ていることしかできなかった。
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ベッド上の旦那は、ピクリとも動かない。
顔は土気色。
身体に沢山の線がつながっていて
人工呼吸器が入っている。
弱いけど、一生懸命
小さく呼吸していた。
そういえば、顔色なんて最近気にしていなかったかも。
付き合いだって言って外食も多かったのに
残業も多かったのに
気にしてなかった。
私、もっと早く気づけなかったのかな。もっと気にかけてあげればこんなことには・・・
たらればしか出てこなかったけれど
沢山の奇跡をつないでくれる人がいて
消えかけた命の灯が再び灯ったのは、紛れもない事実だった。
二日目、意識が戻る
急変の可能性があるため、控室に待機するように言われ
緊張しながらもうたたねしていた朝方、連絡用のインターホンが鳴った。
「ご主人の意識が戻ったのですが、暴れて大変な状態です。奥さんの声を聞いたら少し落ち着くかもしれないので、ちょっと入っていただけますか?」
と。
子どもたちを義妹に任せ、あわてて旦那のもとへ行くと
起き上がって暴れている旦那がいた。
点滴などを引っこ抜き、血だらけになっている。抑制帯は引きちぎってしまったとのこと。
普段は本当におとなしく、会社でも「仏」と言われるほどの人だが
身長184センチ。体重は100キロを超える大男。
看護師さん4人と私の総勢5人でやっと押さえながら
一生懸命声をかけても、パニック状態で聞き入れられない。
目に涙を溜めながら
「なんで」「下ろして」を繰り返す。
病院勤務経験もある元介護士の私。
錯乱状態の方を見たり、実際に押さえたりしたことは何度もあるが
身内となると、こんなにも辛いものなのかと愕然とした。
こんな旦那は見たことがない。
いつもニコニコしながら私にまとわりついて
「わがままな所が一番好き」と言ってくれていた旦那の姿は
ここにはない。
鎮静剤を打たれて再び眠りに落ちていく旦那を見ながら
怖いよね。何が起きたかわからないんだもの。
パニックになるのも当たり前だよね・・・
そう自分に言い聞かせて、落ち着くしかなかった。
日が完全に昇る頃、ぼんやりとした状態ではあったものの覚醒。
わたしや長男の顔を見て「どうしたの?」と一言。
そして再び眠りに落ちていった。
☆☆☆☆☆
まだ急変の可能性があるため、1週間ほどは近くに滞在していてほしい
という病院側からの要請もあり、私だけ、病院の近くにホテルを取って滞在することになった。子どもたちは義両親と一緒に地元へ戻ってもらい、義実家でしばらく預かってもらうことになった。
「ひとり」
ビジネスホテルにひとり。
元々、一人の時間が大好きな私だが
この時は心細くて仕方なかった。
泣きたい気持ちはあったのに
涙が全然出てこなかった。
何から考えればいいのかもわからなかったし
不安、後悔、驚き、悲しみ、安堵
どの感情を優先させていいのかもわからなくなっていた。
その中でただひとつだけわかったことは
「思ったよりも、私は旦那のことが大好きだった」という気持ち。
この状況でそんなことを思いついた自分が可笑しくて
一人で笑っているうちに
ぽろぽろと涙がこぼれた。
こうなった以上、後に引けるような道はもうない。
ひたすら、道なき道を進むしかない。
ひとしきり泣いて、腹が決まった。
今度は、わたしが支える番。
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